無明の闇
「相変わらずここは陰気臭いな、なんとかならんのか」
「わざわざ来るなと言われますよ?」
「そうだな、まあ仕方があるまい」
一片の光さえ射さぬ虚空の闇が広がる中、悲鳴と絶望が入り混じった声が幾つもこだまする。
どこからともなく血が噴き出す音、肉が砕け、骨が裂けて焼き焦げ炭化する臭いなどが混じる。
何が起きているのかさえ見えない、知ることさえできない闇の中で、阿鼻叫喚の出来事さえ生ぬるいと感じるほど、絶望と虚空に足掻く声が幾つも響き渡っていた。
「・・・・何しに来た、こんな所まで」
無間ともいえる闇の中、刀身に明けの明星と暗褐色の輝きをそれぞれ宿す剣を持った存在が声を掛けた。
「相変わらずのようだな、なんら変わらぬ」
「・・・・変わる訳がない、何をしに来た、このような所まで」
「蜘蛛の糸の役目、引き受けてくれるか?」
「そんなことを言いにわざわざ来たのか、陽将」
「はい」
「お引き取り願え、案内してな」
すうっと、目の輝きが変わった。
見る者を射抜く、虚空さえ見通す眼の鋭さがそこに宿った。
「このあと落ちて来る、下がっていろ」
凄まじい轟音と共に人であった者が落ちてきた。
衝撃で骨が砕け肉が裂け、打ち付けられたはずみで眼球が飛び出し、裂けた腹から内臓と言う内臓が一片の肉片となって飛び散った。
粉々に砕けた骨と潰れた肉が周囲に飛び散っていく過程で、かつて人であったものが最後に叫んだであろう声が幾つもこだましていく。
それは苦痛と怨嗟、憎悪と恨み、恐怖と絶望が入り混じった声だった。
「くっそおおぉぉぅぅぅ・・・許さねえ、許さねぇぞぅ、あいつううぅぅ・・・」
虚空の闇の中にその声はこだまして、やがて消えていった。
「許さねぇ、許さねぇ・・・必ず、必ず、殺してやる!!」
「・・・許さぬとして、どうする気だ」
なんら感情を露わにしない眼で、それはみた。
肉片から凄い勢いで、かつて人であった者の姿を取り戻していく。
憎悪に彩られ、憎しみと怨嗟に満ちた声を上げ、爛々と輝くその目は恨みに燃えていた。
気の弱い者ならばそれだけで気を失うほどの絶望と苦しみ、それらを越えた憎悪の感情にその目は彩られていた。
「殺してやる、殺してやるううぅぅっ!」
「五月蠅い」
憎悪に爛々と輝く目を持つ者の首を、その手に握っている剣ですれ違い際に斬り落とした。
なんら躊躇することなく、静かな流れで斬った。
「・・・・やはりこの程度では死ねぬか」
噴水のように勢いよく血が噴き上がる、後ろに倒れることなくいつまでもその身体は立ち尽くしていた。
斬り落とされた首がさらなる憎悪に彩られて、怒りの炎を燃やして、自分の首を斬り落とした者の姿を見ようと足掻いた。
「殺してやる、殺してやる・・・こんなところに落としたあいつらを、殺してやる・・・」
ゆっくりと身体が動いた。
その手には先ほどまでなかった、鋭い刃先を備えた鎌を握り締めていた。
「・・・・落としてやるしかないか」
すうっと、目が変わった。
暗褐色の輝きが目に宿った。
「・・・○○剣」
剣が応えるかのように鋭い輝きを増した。
刀身が鈍く光った。
「・・・・逝け、終わりにしてやる」
どす黒い血が噴水のように噴き上げ続ける身体を、斬られた首から身体の先端に至るまで、真一文字に斬り落とした。
返す刀で跳ね飛ばされた首を幾度も斬り裂いた。
「いつもこうなのか」
「・・・そんなことを聞いてどうする」
返り血を浴びた凄絶な姿で剣を勢いよく振り抜いた。
血糊と肉片を飛ばすかのように。
「無明の闇においての救いは消滅すること、そのように聞いていたが凄まじいな。
なんら一切の情をかけるに値せぬ輩ばかりだ」
喰い合い、へし合い、絶叫と苦痛と怨嗟をまき散らす者達の動きが見えているかのように問い質した。
「ここでは当たり前のことだ、救いなどなき者達が蠢く場だぞ、何を言う?」
「その場であって落ちてきた者を追い返すのがお前の役目か」
「・・・・何が言いたい」
「お前自身、無明の闇にあって救いなき者としてここにいることはあるまい、もう戻れ。
やるべきことがあるではないか」
「・・・・くだらぬ」
絶対の拒絶だった。
何者をも許さない、一切の救いなどない者の声だった。
「そのようなことを言うためにわざわざ来たのか、このような場に。
とっとと帰れ、お前のようなものが来るべき場ではない」
握り締めた剣の柄から、返り血ではない血が落ちていく。
悲しみを示すかのように。
「そうもいかぬ、観音様の命でな。
如何なることをしても連れて行くぞ」
「・・・観音が何の用だ?」
「現世に戻りて救いなき者を救え、悲しみの涙を流す者達をその刃で止めよ。
それがお前の業だ」
「・・・・くだらぬ、所詮は使い捨ての存在ではないか、観音と言えどもなんら変わらぬな」
「・・・・様」
「救いなき者を救えと言うのならば己が動けば良いだけではないか、なんのための仏だ、誓願ぞ。
所詮は己が何もせぬ者の言い訳に過ぎないではないか」
「・・・・それぞれの役目があるというものです」
薄布の白衣に身を隠し、目を半眼に閉じた存在が答えた。
「弥勒様、なぜこのような場に・・・・」
白磁のような白い肌に艶やかな眼を半眼に閉じ、愁いを帯びたその顔はどんなものよりも美しかった。
「あなたとてわかっているでしょう、○○○殿。
いつまでもここにいるべきではありませぬ、お戻りされるように」
「・・・・弥勒殿、試みに聞きたい」
「なんなりと」
「ここにいる事で罪業を得ることはないのか、第八層に行くことは叶わぬのか」
「叶いません、如何にあなたが望もうとも得るものではありません」
迷いを断ち切るかのように答えた。
「仕方がない、では戻るとするか・・・・とはいえ、いつでもここに戻るぞ」
「構いません、その剣に帯びた悲しみ、その目に焼き付けた思い、願いはいつまでもあなたと共にあるのですか?」
「死した者達のせめてもの生きた証だ、忘れることはない」
迷うことなく宣言した。