続・名代辻そば鶴川店
名代辻そば鶴川店の深夜営業は、基本的に暇だ。
鶴川駅前は別に繁華街という訳ではないし、深夜営業をしているような飲み屋も周りに多くはない。
終電で帰って来た酔客が飲みの締めにそばを手繰りに訪れ、そういう客層も帰ってしまうと、始発の時間になるまで来客はほぼ0となる。
だからこそ、店長である堂本修司はこの時間帯の営業を好み、客が来ないのをいいことに夜な夜な自分の好きな珍そば開発に勤しんでいるのだが、毎週木曜日の深夜だけは少し事情が違った。
毎週木曜日、終電も過ぎた深夜2時くらいになると、必ずタクシーに乗って鶴川店を訪れる客がいるのだ。
もう70も半ばを過ぎたくらいの老人なのだが、まだ現役で仕事をしているのかスーツを着てネクタイも締め、一見すると身形の良い紳士なのだが、しかし必ず酒に酔った赤ら顔で来店する。ただ、酔っているとはいっても泥酔している訳ではなく、軽く1、2杯引っかけてきた、というような酔い方で、いつも意識はしっかりしていた。まあ、多少は酒に酔って気分が弾んでいるようだが、それでも羽目を外すということはない。
この老人、店長である修司からは『ダンさん』と呼ばれており、ダンさんの方も修司とは以前から知り合いのようだ。
それが証拠に、ダンさんは鶴川店が開店した初週の木曜深夜に「修ちゃん、やってるかい?」と言って訪ねて来たのだから。
しかもこのダンさん、注文が少し変わっている。店に置いてあるメニュー表は見ず、いつも必ず、修司が開発中の店舗オリジナルメニューを食わせろと言ってくるのだ。
そして、修司も何故だか毎週木曜はダンさんの為に開発中の料理を用意する。まあ、それは勿論、珍そばになるのだが。
ダンさんに開発中の料理を食べてもらう時、修司は何故だか少し緊張した面持ちになる。まるで食通に自分の料理を試されているような、そんな感じだ。
ダンさんも修司の料理を食べ終わると、感想を一言、二言だけ述べて帰って行く。まだ開発中だから金はいらないと言う修司に1000円札を渡して店を出て、携帯電話でタクシーを呼んで帰るのがいつもの流れだ。
出された料理が美味かろうが不味かろうが、感情も露に声を荒らげるということもない。常に凪いでいるように穏やかで、語り口もごく普通。
だが、このダンさんが美味いと評したメニューは何故だか売れる傾向にある。修司が開発した料理なので見た目が奇抜なものが多い、普通であれば敬遠するようなものなのに、それでもどうしてか好評を得て数が出るのだ。
ダンさんが太鼓判を押した珍そばは売れる。
これは今や、名代辻そば鶴川店のジンクスと言えるものになっており、深夜帯で働く従業員たちの共通認識となっていた。
バイトリーダー、七海京子が見たところ、このダンさんは別に食通やメディアで活躍するような美食家ではない。極めて普通のおじいさんだ。料理番組などで顔を見たこともないし、身なりも特別に良いという訳でもない。偉ぶったところもないが、そばについて特別博識という訳でもない。至って普通。
そういう普通のおじいさんが、何故だか店舗オリジナルメニューを採用する際の最後の関門のように思われているのが、京子にとっては不思議でならない。
そんなことを考えながら、京子が店のテーブルを拭いている今は木曜深夜、午前1時50分。もうそろそろ午前2時だ。
修司は今現在、開発中のオリジナルメニューの準備をしているので、今日もダンさんは来るのだろう。
テーブルも椅子も拭き終わり、テーブル上の備品が不足していないか確認作業をしていた午前2時5分、いつもであれば来客のない静かな時間帯に、黒塗りのタクシーが店の前に止まった。間違いない、ダンさんだ。
機嫌良さそうにタクシーから降り、ほろ酔い加減で入店してくるダンさん。
「いやあ、お晩です」
「「「いらっしゃいませ」」」
バイトの坂野と上田、そして京子がダンさんを迎える。これもいつもの流れだ。
「お、ダンさん、やっぱり来たね?」
厨房で作業していた修司が顔を出し、ダンさんに笑みを向ける。
すると、ダンさんも修司へにこやかな笑みを返した。
「そりゃ来るさ。私は修ちゃんの作る変わった料理、結構楽しみにしてるんだからね」
「先週は不味いって言ってたじゃん?」
「そりゃあ言う時は言うさ。だって先週の、あれはないよ。紅茶を入れたそばなんて。そばの香りと紅茶の香りが喧嘩して台無しだよ」
苦笑いしながらそう言うダンさん。
そう、修司が先週ダンさんに出したそばは、その名も紅茶そば。そばを打つ時、茶そばを作る要領でそば粉に紅茶の粉末を混ぜ、もりそばに仕上げたものだ。
京子も試作品を食べさせられたのだが、通常の茶そばとは違い、何だか香水ガムの紛い物を食べさせられているような気分になる微妙な一品だったことを記憶している。
ダンさんの言葉を受け、修司も苦笑いしながら自らの頬をポリポリと掻いた。
「いやあ、茶そばがイケるなら、紅茶そばもいけるかと思ってさあ……」
「まあ、何でも試してみるのはいいと思うけどね。挑戦だから」
言いながら、ダンさんは席に座る。U字テーブルの、厨房から一番近い席だ。ダンさんはいつもここに座る。言わば指定席のようなものである。
「で、今週もあるんだろ? 開発中のメニュー?」
座るなりそう言うダンさんに対し、修司は不敵な笑みを浮かべながら頷いて見せた。
「おう、あるよ。ちょっと待ってて」
そう言って厨房に戻る修司。きっと、仕上げの作業をするのだろう。
彼が料理を持って来るその前に、京子はダンさんに水を持って行った。
「お水どうぞ」
「ありがとう、お嬢さん」
ダンさんは京子からコップを受け取ると、ゴクゴクと喉を鳴らして水を飲んだ。泥酔するほど酔っている訳ではないが、それでも多少アルコールが入っているので喉が渇いていたのだろうし、酔い覚ましの意味もあるのだろう。
一息に水を飲み干したダンさんは、持参したハンカチで上品に口元を拭った。
「んん……やっぱり美味いねえ、酔った時に飲む水は」
そう言って笑顔を浮かべるダンさんに京子も笑顔を返しながら、水差しを持って空になったコップにおかわりの水を注ぐ。
と、そうこうしている間に、修司がそば用のどんぶりを持って厨房から戻って来た。
「はい、お待たせ。今回のメニューはこれ、冷やし和、だ!!」
そう言って修司がダンさんの前に、ゴン、と音を立ててどんぶりを置く。
そのどんぶりを、京子も上からまじまじと覗き込む。
錦糸卵に千切りのきゅうり、同じく千切りのハムにくし切りのトマトが2切れ。そして真ん中に缶詰の真っ赤なさくらんぼがひとつ。
どんぶりの底に溜まり、麺が少し浸かるほど注がれたタレには香ばしい匂いのごま油が混ざっており、その香りの中にツンと刺激的な酢の匂いを感じる。
そしてどんぶりの縁には、味変用の和辛子が塗り付けてある。
もう、ほぼ冷し中華。だが、修司はこれを、冷やし和、と言った。それは何故か。
麺だけが日頃見慣れた灰色で、中華のそれにはない和の要素を主張している。
「え? ヒヤシワ?」
眼前の料理を見てから、困惑した様子で修司を見上げるダンさん。
まあ、それはそうだろう。当初、試作第1号としてこれを見た時は京子とて困惑したものだ。ちなみに試食の時、酢豚のパイナップルやポテトサラダのみかんやリンゴが許せない派の京子は、上に乗っかっているさくらんぼだけは残した。修司は怒ったがそれも自慢の鉄拳で黙らせた次第。その時の一撃は、高校時代、ボクシングでインターハイに行った上田をして「崩拳みたいでした……」とのことである。
「冷やし中華ってのは、中華麺を使うから冷し『中華』っつーんだろ? だったら、和の麺であるそばを使ったら、呼び名は冷し『和』じゃねーか? 冷しそばだったら、普通の冷たいぶっかけそばみたいだからな」
何故だか自慢気に、胸を張ってそう説明する修司。相変わらずのオリジナル理論を展開している。
そんな修司に対し、ダンさんも苦笑を返すしかない様子。
「語呂悪いねえ、冷やし和って……」
「そう言わずに、まあ、食ってみてくれよ?」
自信満々といった感じで修司が冷し和を進める。
そう、この冷し和、見た目こそヘンテコではあるが、味自体は悪くないのだ。むしろ美味い。もうすぐ本格的な夏が訪れるが、カンカン照りの暑い日に、キンキンに冷えた冷し和など食べれば良い暑気払いとなるだろう。京子もそれは認める。
問題は、ダンさんがどう評するかだ。
「あいよ。いただきます」
卓上の筒から割り箸を取り、それをパキリと割って早速冷し和を啜り始めるダンさん。
特に不味そうな顔もせず、美味そうにもりもりと冷し和をたいらげていく。
麺だけを食べることもあれば、トッピングだけを食べることもあり、双方一緒に食べることも。半分ほど食べたところでタレに辛子を溶かして味変。
そして麺の1本すら残さず最後まで食べ終えると、ダンさんは両手を合掌の形に合わせ「ごちそうさま」と呟いた。
いやはや、見事な食べっぷりだった。勢い良く食べているのに、食べ方に下品なところもなく、それでいて気取っているふうでもない。従業員から見ても気持ちの良い食べ方だ。
「どうだった?」
修司が訊くと、ダンさんは「うん、そうだね……」と前置きしてからこう答えた。
「いや、美味しかったよ、普通に」
このダンさん、修司が出した料理が不味い時でもあまり表情は変えないのだが、ほんの一瞬だけ残念そうに眉を寄せる癖がある。が、今日はそれがなかったので、本当に冷し和が美味しかったのだろう。
「だろ?」
少し安堵した様子で、満足そうに頷く修司。
だが、ダンさんはそれに対しては頷くことなく「うーん……」と唸った。
「でもねえ……これ、わざわざそばでやる必要あったかい?」
「え?」
「中華麺で良くないかい? あるだろ、中華麺?」
そう、そうなのだ。
この冷し和、確かに美味い。そばとして見ると異端なのだが、意外にも冷やし中華の味付けにマッチするのだ。
が、ダンさんの言うように、それは別に中華麺でやってもいい。というか、本来は中華麺でやるべきものなのだ。そして更に言うのなら、名代辻そばではラーメンを提供している店舗が少なからず存在している。御多分に洩れず、この鶴川店もラーメン提供店。当然、中華麺はいつも潤沢に用意してある。
ダンさんの指摘に対し、修司は、いやいや、と首を横に振って見せた。
「ダンさん、それじゃあ駄目さ。普通の冷し中華なんてもんは、普通のラーメン屋とかで出すもんだ。うちはそば屋なんだから、やっぱりそばに拘らないと。本当はラーメンだってそばの麺でやりたいくらいなんだぜ、俺は? まあ、本社から禁止されてるからやらないけど」
そばというものに拘る、何とも修司らしい言葉である。
冷し中華は本来中華麺で出すものだが、うちはそば屋だからあえてそばの麺を使うことに拘る。ダンさんの言うことは道理ではあるが、なるほど、確かに修司の言うことにも一理あるかもしれない。
修司の言葉を受け、ダンさんは苦笑しながら肩を竦めて見せた。
「珍妙なもんだねえ。まあ、そこが修ちゃんの拘りなんだろうけど……」
「珍妙か……。俺にとっちゃあ誉め言葉だな」
珍そばに並々ならぬ情熱を注ぐ修司のこと、珍妙という言葉はむしろ嬉しく感じるのだろう。やはりこの男、変人である。
「きみらしいねえ、本当」
今度は苦笑ではなく、ダンさんは楽しそうに笑みを浮かべた。
そうして、再び合掌して「ごちそうさま」と言ってから、ダンさんは使い古された黒革の財布を取り出し、中から1000円のピン札を1枚取り出し、卓上に置く。
「腹も一杯になったし、私は帰るよ。お代ここに置いておくからね」
「いっつも言ってるけど、試作品だからいらないって」
「そういうわけにはいかないさ。これもいつも言っているけど、店で食事してお金も払わないんじゃ、無銭飲食だ。この歳でお縄はきついからねえ」
「通報なんかするかっての」
修司としては、むしろダンさんに食べてもらっている、と思っているのだろう。仮にダンさんがお金を払わなかったとしても、きっと彼の講評に感謝して礼を言うに違いない。
「いいんだよ。気持ちだよ、気持ち。じゃ、帰るよ。お邪魔様。また来るからね」
ダンさんはそっと立ち上がると、確かな足取りで店を出た。
ダンさん自身は小柄な人だが、その背中はいつも妙に大きく見える。
そんなダンさんの背に、修司含めた従業員一同が頭を下げた。
「まいど。またどうぞ」
「「「またお越しください」」」
振り返らず、片手を上げてその声を応え、粋に店を出て行くダンさん。このまま幹線道路の方に出てから、いつものようにタクシーを呼んで帰るのだろう。
ダンさんが普段何をしているのかは知らないが、妙に雰囲気のある不思議な人だと、京子はいつもそう思う。ダンさんは自分語りのようなことをしないので詳しいプロフィールは分からないのだが、修司であれば知っているのだろうか。
「…………ねえ、堂本?」
ダンさんが退店し、店内に再び沈黙が戻ってから、京子は思い切って修司に訊いてみることにした。
「ん? 何?」
「前からずーっと気になってたんだけどさあ……」
「……?」
「ダンさんって、一体何者なの?」
京子がそう切り出すと、自分たちも気になっていたとばかりに坂野と上田も一緒に頷いた。
するとどういう訳か、修司はギョッとした様子で、信じられないものでも見るような目を京子に向ける。
「え!? お前、気付いてなかったの? 辻そばでバイトしてんのに!?」
「あの、店長……」
「俺らも知りませんけど……」
坂野と上田がそう名乗り出ると、修司は彼らにも引いたような顔を向けた。
「マジかよ! 信じらんねえな、お前たち!!」
修司の言い振りだと、まるでダンさんの顔を知らないことが非常識のようだ。が、しかし京子にとってはやはり知らない人でしかない。それは坂野も上田も同じことだろう。
「いや、そんなこと言われたって、別に普通のおじいさんじゃんか」
京子が言うと、修司は「かぁー……」と息を吐き、天を仰いだ。
「自分が働いてる会社の創業者の顔ぐらい知っとけよ!」
半ば呆れたような顔で、修司が言うと、京子も、坂野も、上田も驚愕して声を上げた。
「「「えッ!?」」」
修司は今、何と言ったのか。頭が言葉を額面通りに受け取ることを拒否している。ダンさんが名代辻そばの創業者だと、修司はそう言ったのか。
修司は正社員だが、京子も、坂野も、上田もバイトだ。当然、名代辻そばの社史など勉強していないし、別に知りたいとも思っていない。だから創業者どころか今現在の社長の顔も名前も知らないし、たまたま目にしたところで覚えることもないだろう。
京子は、もしや修司が嘘を言っているのではないかと一瞬思ったのだが、しかし目の前の彼に嘘をついている様子はない。むしろ、京子たちの無知に呆れている様子だ。
「それに俺、あの人のこと、ちゃんと『ダンさん』て呼んでただろうが?」
呆れた様子は継続したまま、修司は言葉を続ける。
確かに彼は、いつもあの人のことを「ダンさん」と、そう呼んでいた。
京子はいつも、それがあのおじいさんのあだ名なのだろうと、そう思っていたのだが、それが何か。
「「「???」」」
3人が揃って頭上に疑問符を浮かべていると、修司が急に「ああ、もう!」と声を張り上げた。
「段幹夫! タイダングループの会長!!」
「「「ええぇーッ!?」」」
3人一緒に、今日1番の大きな声で驚きの声を上げる。
名代辻そばを運営する会社がタイダンフーズであり、各種グループ企業を合わせてタイダングループと言う。
その巨大なグループのトップオブトップ、会長が、まさかあのダンさんだとは。
ダンさんというのは、別にあだ名でも何でもなく、普通に本名だったのだ。
「ど、ど、ど……どうして会長が毎週こんなとこに来んのよ! それにあんた、気安い感じで、ダンさん、なんて呼んで……」
修司はただのグループ企業の平社員でしかなく、ダンさんはグループを纏める会長。同じ組織の所属であっても、内部におけるヒエラルキーに差がありすぎて、普通であればお互いに知り合うこともない間柄だろう。
それが何故、ダンさん、修ちゃん、などと呼び合う気安い間柄になるのか。というか、そもそもからして、一体どうやって知己を得たというか。しかもだ、どうして会長がわざわざ修司の作る珍妙なそばを食べに、ほぼ毎週、このような都心からも離れた店舗に来るのか。自ら望んで左遷されたも同然の男のところに。
あまりにも謎が大き過ぎる。
「そりゃおめえ、色々あんだよ、色々……」
3人が仰天した様子で注目する中、しかし修司は詳しく語ることをせず、面倒臭そうにそう吐き捨てた。
わざわざ説明したくないということか、それとも明かすことの出来ない秘密ということなのか。
本当のところは修司にしか分からないが、とにかく彼に詳細を説明する気はないらしい。
露骨に残念そうな顔をする3人に対し、修司は仏頂面を向ける。
「ともかく、ダンさんは俺の珍そばを気に入ってくれてんだよ」
彼の口から秘密が語られることはなかったが、とにかく、ダンさんはタイダングループの会長で、修司とは何故か旧知の間柄。そういうことなのだろう。
いやはや、何ということなのだろうか。まるで、殿様と町人が友達同士として付き合っているようだと、京子は漠然とそう思った。恐らく、坂野と上田も京子と似たようなことを思っているに違いない。
「信じらんない……」
「すっごい意外……」
「人は見かけによらないっすね……」
3人はそれぞれ感想を述べた。
堂本修司という男の、意外過ぎる人脈。
京子は大学卒業以来、7年くらい修司とは会っていなかったのだが、人に歴史あり、ということなのだろう、彼自身が先ほど言ったように、その7年で随分と色々あったようだ。大学時代から不思議なところのある男だとは思っていたのだが、今回のことで、その謎がより深まってしまった。
修司自身の口から、その謎が語られる時は来るのだろうか。今すぐとは言わずとも、いずれは聞いてみたいものである。
「まあ、つまり俺の珍そばは会長公認ってこった。分かったらもう、俺の珍そば開発にゴタゴタ文句つけんなよ、七海?」
唖然としている京子に対し、修司がそう言ってきた。
正直、まだ驚きは冷めやらないのだが、会長のことを持ち出してヘンテコなそば作りを正当化するのは違うだろう。
「それとこれとは別でしょ? 美味しいのか不味いのかもよく分かんないもの食べさせられる方の身にもなってみなさい」
京子が反論すると、修司は悪びれる様子もなくそれを鼻で笑った。
「別に良くね? どんな味なんだろうってわくわくすんじゃん?」
「んなワケあるか!」
美味ければまだいいが、彼は結構な確率で不味い試作品を作ってくる。いつもそれをいの1番に食わされているのだから、京子の憤懣も溜まろうというもの。
だが、修司はやはり悪びれる様子もなく、ヘラヘラとしたニヤけ顔を見せた。
「ツレないこといいなさんなって、京子ちゃん」
そう言ってポンポンと京子の肩を叩いてくる修司。
こちらの気も知らず、いや、知ろうともせず、何ともお気楽なことだ。これは喝を入れねばならないだろう。
「キメェ!」
瞬間、京子は一瞬でファイティングポーズを取ると、右膝を上げ、修司の右脚、その内側に蹴りを入れた。格闘技素人の修司に対し、わざわざ空手の技術にはない、技の起こりを見破られ難いブラジリアンキックでインローを攻めたのだ。
スパァンッ!
と、軽快な音を立て、京子の蹴りが決まる。
修司は「いぎゃあ!?」と苦悶の声を上げながらその場に蹲った。
「いっっっでぇ!? インローはねえだろ、インローは!! ツッコミで脚を削る蹴りを打つな!!」
修司はそう抗議するが、別に本気で蹴った訳でない。京子が本気で蹴れば、鍛えていない修司の脚など折れていたことだろう。
「私、明日から安全靴履いて来るから」
「安全靴ってあれでしょ!? つま先に鉄板仕込んであるやつでしょ!? そんなんで蹴られた俺、骨折しちゃうよ!?」
「だったら言動に気を付けな、珍そば男」
「あだ名ヒドくない!? 俺、店長ぞ!?」
「知るかボケ!」
「やっぱりヒドい!」
半ベソを掻きながら声を上げる修司。
こういうやり取りはいつものことなのだが、勤務時間中にすることじゃないよなと、坂野も上田の呆れた様子で2人のことを見ていた。
最初に名代辻そば鶴川店を発表した時、嬉しいことに続編を望む声をいくつかいただきました。
今回はそれに応えさせていただくような形で続編を執筆したのですが、いかがだったでしょうか?
今回の短編も好評なようでしたら、もしかすると本作も連載化するかもしれません。
※本作では感想欄を公開していますが、ネガティブなご意見はご遠慮くださいますようお願い申し上げます。