勇者の一族②
こいつ、打撃は効くのか?
レギオンは対象に憑依する悪霊であり、家畜、特に豚のそばにいることを好む。豚つながりなのか、オークのことも好きなようだ。
オークの大群にレギオンが紛れていると厄介で、群れの一体を憑き殺したあと、それを母体として長い年月をかけて別の死骸を吸収し肥大化していく。初めは群れの中に紛れ込む蚤同然のちっぽけな存在であっても、いつの間にか立場が逆転し、群れのボスになっている。
現れたレギオンはこれまで見てきた中で一番巨大だった。人が単独で挑めるような相手ではない。
……さてどうする。ここで退けば、目の前のレギオンはオークの死骸を大量に食い、さらに凶悪な存在になるだろう。そうなっては手がつけられなくなる。
分断された仲間がすぐにここへ来るか分からない。そもそも最近は討伐隊の人手が圧倒的に足りておらず、万全の態勢で臨めたことなどないに等しかった。いつもギリギリの状態でなんとかしてきた。誰かをあてにする心構えでいると死ぬ。
リードが躊躇ったのは一瞬のことで、彼はすぐに地を蹴って駆け出していた。
前へ――行け、行け、行け!
悲惨な状況であってもリードは動く。それは彼の性格ゆえかもしれないし、そのように訓練で叩きこまれているせいかもしれなかった。
「こんな時、レジナルドなら止まらねぇしな!」
鼻につく忌々しい男だが、レジナルドならこういう場面で、何があっても敵に背中は向けないだろう。しかも憎らしいことに、あの男は決して負けないのだ。
だからリードも逃げるわけにはいかない。
剣を上段から振りかぶり、渾身の一撃を叩き下ろす。レギオンの右足を斬り落とすつもりでいったのに、
「硬い……!」
剣のエッジが表面に少し傷をつけただけで終わる。腐肉で柔そうに見えるが、硬化したゴムの塊のようで、かなり手強い。初撃がまるで効かず、かえって隙を作る結果となった。
カウンターでレギオンに力任せにぶん殴られ、リードは横に吹っ飛ばされる。
咄嗟に腕を十字に組み胴体を守りダメージを軽減したのだが、焼け石に水という感じだ。
凄まじい馬鹿力だった。リードは木にぶち当たり、それでも勢いを殺せず、結局五本の木を叩き折ってからやっと地面に落ちた。
ぐぅ……と呻き声が漏れる。
痛いなんてものじゃない。右腕は折れたかも。たぶん肋骨もいっている。息ができない。
剣は手を離れ、レギオンの足に刺さったままだ。けれど向こうは痛くも痒くもなさそうである。殺気をまき散らしながら、トドメを刺しにこちらへ向かって来る。
動、け……動け……死ぬぞ……動け……!
地鳴りのような振動が響く。視界が霞んだ。抗う気持ちはあるのに、体が言うことを聞かない。吐きそうだ。三半規管が揺れていて、魔力のほうも上手く練り上げられそうにない。
……ああくそ、こんなことになるなら、山火事のことなんか考えずに、初っ端から最大級の魔法をお見舞いしてやればよかった。この災厄をこのまま行かせれば、どのみち山火事よりもひどい事態になるのは明白なのだから。
こうなったら、やってやる――玉砕覚悟でひと泡吹かせてやるからな。
「死豚どもめ――爆散しろ」
体に鞭打ち、比較的マシな左手に魔力を集めていく。コントロールが馬鹿になっているようで、放電するみたいに、四方八方に魔力が抜けていくのが分かった。それでもやるしかない。
ふ……と視界が翳った。レギオンがすぐ目の前まで迫っている。
――その時。
リードは異変を感知した。
ハッとして空を仰ぎ見ると、不思議なきざしがあった。羽音が響き、鳥が一斉に東に向けて飛び去って行く。
なんだ――? 西から何か、来る――……!
圧を感じたが、抵抗を覚えたのは一瞬のことだった。――というより正確に表現するなら、抵抗しきる余裕なんてなかった。それほど圧倒的だった。
とんでもない速さで到達し、気づいた時にはもう跡形もない。
リードが知覚した時にはすでに体の中を何かが通っていて、それは東の方角に抜けて行った。清涼の度合いがすごすぎて、鋭く感じられたほど。
空に浮かんでいた雲がひとつ残らず消えている。……吹き飛ばされたか。
「今のは聖女……の力、か?」
リードにはなんとなくそれが分かった。
拳に力を入れると、驚いたことに滑らかに動く。怪我が治っていた。体に活力がみなぎっている。
広範囲回復魔法というわけではなく、もっと根源に働く強い力だった。この不可思議な現象は勇者の血縁者にのみ作用している――おそらくそうだ。先ほど突き抜けていった何かに、血の奥底に眠る力が呼応したのが分かった。
レギオンは混乱したように身じろぎしてから、すぐにこちらに向き直って拳を振りかぶった。体が朽ちているからこそ生者を呪うのか、凄まじい憎悪を発散している。怒り狂ったような獣の唸り声が響いた。
リードは右腕全体に紫の炎を宿し、外側に向けて強く押し出しながら、自ら後方に飛んだ。殴りかかるレギオン――その拳がリードの紫炎に触れる――インパクトの瞬間、爆音と煙が上がった。レギオンが苦痛の叫び声を上げる。
黒煙で視界が覆い尽くされ、やがてそれもゆっくりと流されていく。
しばらくして視界が晴れると、遥か後方に着地し無傷で佇むリードと、右腕を失った歪なレギオンが、距離を置いて対峙していた。