忍び寄るエミリー
「ニームのことは信用したわけじゃないが、同行は許可する」
カーディフ公爵からそう言われ、アイリーンはホッとして肩の力を抜いた。
ニーム自身はお気楽なもので、デスク上にあぐらをかき、前足の汚れが気になるのか、お腹に爪をこすりつけては何度も覗き込んでいた。
「このままのんびり話している時間はない。すぐに着替えて、結婚式に出てくれ」
「着替え……」
思ってもみなかったことを言われ、アイリーンは言葉を詰まらせた。
「どうした?」
「私、婚礼衣装がありません」
「そうか……急に決まったからな」
カーディフ公爵は率直な男性だが、「では、妹が着るはずだったものを借りれば?」とは言わなかった。それがアイリーンにはとても助かった。
エミリー……アイリーンの胸がチクリと痛む。
あの子はずっと「邪魔されたくない」と言っていた。結局こうなってみると、アイリーンが邪魔したことになる。
けれどアイリーンにはどうしようもないことだった。本来『列福精霊審査』は未婚の令嬢全員が受けるはずのものである。最初から規定どおりにアイリーンが受けていれば、こんなふうに横取りしたということにはならなかったはずだ。
ただただ後味が悪い。
聖女の責務というのも逃れようがないものだし、何よりアイリーン自身が、カーディフ公爵の助けになりたいと願っている。だから彼がアイリーンを必要としてくれる限り、アイリーンのほうから下りることはない。
でも、ドレス……確かにこの普段着以下の粗末な衣装では、問題がありそう。
カーディフ公爵が続ける。
「コートニー司教にどこかでドレスを借りられないか訊いてみよう。この部屋で待っていてくれ」
「あ、でも」
アイリーンは焦ってしまった。自分のことなのに、カーディフ公爵が代わりに訊いてくれるって変じゃないかしら? 申し訳ない。
「私がコートニー司教に訊いてみます、ごめんなさい」
「司教とはほかに話すことがあるから、別に構わない」
断りながら彼はすでに立ち上がっていて、忙しそうだ。ならばお任せしたほうがよさそうだと判断した。
「ありがとうございます」
「ではこれで」
カーディフ公爵は淡白というか、あっさりそう告げて部屋から出て行った。
* * *
ハートネル教会を遠目に眺め、エミリーは大きく息を吐いた。
彼女の薄紫の虹彩は怪しい光を放っている。
……面倒でも、愛嬌は振りまいておくものだわ。エミリーは皮肉げに口角を上げる。
そう――ノートン修道士。あれとの会話が役に立つなんてね。
彼は三十代半ばだろうか。ハートネル教会にいるノートン修道士はエミリーに対してずっと好意的だった。
エミリーはコートニー司教の弱みを探りたかったので、なんとか探りを入れられないかと、ノートン修道士の雑談に辛抱強く付き合ったことがある。
それは列福精霊審査を受けたあとのことだ。
ノートン修道士が近寄って来て、
「ここで後日カーディフ公爵と結婚式を挙げることになりますね。よろしければ教会内を案内しましょうか」
と申し出て来た。正直エミリーは『教会内を歩くなんて、面倒くさい』と舌打ちしたくなった。
けれど道中で何かネタを掴めるかもしれないので、愛想良く彼に付き合うことにした。
結局コートニー司教の裏話は何も聞けず、あちこち引っ張り回されて足が疲れただけだったのだが、今こうなってみて、大変役立つ情報とアイテムをゲットすることができた。
ハートネル教会は北側に裏口があり、今回、カーディフ公爵歓迎の準備で、大勢の人間がそこを出入りしているとのことである。備品庫などが裏にあるので、表口を使うより都合が良いそうだ。
教会としては普段、そこに修道士を一名置き、不審者が入り込まないよう見張っている。しかし今ハートネル教会の修道士は皆忙しいので、近隣に住む農夫に、その見張り番を頼んだ。
けれど農夫には教会関係者か、そうでないかの区別がつかない。そこで臨時に、出入りする人間のほうが証拠を見せるという方式に変えているそうだ。
具体的には、あらかじめ関係者におそろいの腕章を配っておき、腕にそれをつけた者が裏口に来たら、見張りの農夫は腕章だけを見て、機械的にそこを通す。
ノートン修道士はエミリーに、
「そうだ、記念に腕章を差し上げますよ」
と言ってきた。
エミリーは正直『いらないわよ』と顔を顰めそうになったのだが、断るのも面倒なので受け取り、帰りの馬車内に置きっぱなしにしてそのまま忘れていたのだが……。
先ほど確認したら、使用人はそれを保管していた。
今、エミリーの手にはその腕章が握られている。
エミリーは顎ひもつきの帽子を深くかぶり、腕に腕章をつけてから、教会の裏口に向かった。
3.アイリーンとカーディフ公爵(終)