カーディフ公爵に殺される?
突然カーディフ公爵が結構な暴挙に出たので、アイリーンは呆気に取られた。
つい今さっき『優しい人』と思ったところだったので、余計に驚いてしまう。
アイリーンは慌てて椅子から立ち上がり、カーディフ公爵の腕を押さえた。
「ニームの耳を掴んではいけません!」
カーディフ公爵はニームの両耳を左手で握り、宙に吊るしている。
ニームは顔がちょっと縦に伸びてしまっていて、全身だるーんとさせているのだが、鼻のつけ根に皴が寄っているので、どうやらおかんむりらしい。
カーディフ公爵がニームに話しかけた。
「教会に入り込むとは図々しい。盗人が監獄に押し入るようなものだぞ」
アイリーンは『どういう意味だろう』と思った。
とはいえニームを救出するのが先だ。カーディフ公爵の腕を揺すってニームを下ろすよう促すのだが、彼はそれを意図的に無視している。
ニームがだるそうに答えた。
「別にいいだろー、俺はアイリーンの相棒なんだから、ここにいたって」
「これは何かのトラップか?」
「違う。別にあんたを嵌めようってんじゃない。俺とアイリーンは昔馴染みだ」
「昔馴染み?」
「知り合ってもう、七、八年になるかな」
「本当か?」
カーディフ公爵の青い瞳がこちらに向く。アイリーンは頷いてみせた。
「はい、そうです」
「……なるほど」
一応納得がいったらしく、カーディフ公爵はニームをテーブル上に戻す。
ニームは自分でウサギ耳を引っ張ったり丸めたりして、いい感じに直してから胸を張った。
アイリーンはホッと胸を撫で下ろし……『あれ?』と思った。ニームを眺めおろし、眉根を寄せる。
「……ニーム」
「おう、なんだ」
「もしかして、ずっとスカートの中にいたの?」
「まぁそうだな」
まるで悪びれていないのだけれど、どういうつもりなのだろうか。アイリーンとしてはかなりの衝撃である。
アイリーンの服は貴族令嬢にしては質素で、庶民のそれに近い。それでもドレスの下にシュミーズやペチコートを着込んでいるから、そのヒラヒラの中に小さなニームが紛れ込んでいてもまるで分からなかった。というか、ニームが上手だったのだろう――アイリーンの移動に合わせ、巧みに歩調を合わせていたからこそ、気配がなかったのだろうし。
「なんでそんなことを?」
理解できない。普通に「同行する」と言ってくれればいいのに。
……よくよく考えてみると、馬車での移動中もそうだし、『列福精霊審査』のあいだもずっとスカートの中にいたってすごくないかしら? それとも入ったり出たりして、物陰に隠れてやり過ごしていたとか?
「アイリーンに言っちまうと、足元をチラチラ気にしそうじゃん? その視線の動きでバレると困るからな」
「バレると困るの?」
「そりゃまずいよー。うっかり見つかって、殺されたら嫌じゃん」
「誰に殺されるっていうのよ」
「カーディフ公爵とか、コートニー司教とか」
「そんなわけないでしょ」
「そんなわけあるよー。さっきのカーディフ公爵の手つき見ただろ。すごい速さで耳掴まれたからな」
それは……確かに。
アイリーンは先ほどカーディフ公爵を止めに入ったので、まだ彼の横に立ったままだった。
カーディフ公爵のほうを見おろすと、彼は瞳を細めてニームをジロジロ眺めている。
横顔のラインがとても綺麗で感心してしまうのだが、カーディフ公爵は無表情であるものの、なんだかげんなりしているように見えた。
カーディフ公爵が気まぐれのようにこちらを見上げる。
「――アイリーン」
名前を呼ばれて、今さらなのだけれど、ドキリとした。
とても綺麗な声。ほかの誰かが「アイリーン」と呼ぶ時とは、まるで違う響きに感じられた。
「……はい」
意図せず返事が震えてしまう。けれどアイリーンが変なことにはもう慣れているのか、カーディフ公爵は気にした様子もなかった。
「このニームとやらは『悪魔』だぞ」
「……え?」
「しかも八将――かなりの大物の右腕だった悪魔だ。君はどえらいやつと組んでいるな」
「悪魔?」
「そう」
「でもニームは精霊だって自分で言って……」
ニームがウサギ頭の後ろで両手を組み、ウサギヒゲをピクピク動かした。……なんだろう……目を細めているせいで、ちょっとふざけているというか、鼻歌交じりな顔に見えてしまう……。
「悪ぃなアイリーン。だって言えないじゃん? 俺実は悪魔なのよー、なんて」
「嘘ついてたの?」
「別に嘘ってわけでもないじゃん。悪魔も精霊も似たようなもんだろ」
すごい屁理屈。アイリーンが呆れていると、カーディフ公爵がニームのほうに手を伸ばし、人差し指と親指でニームの鼻の穴を押さえた。
ス、ピー……とニームの息がつまる。
「解釈の違いというのは一理あるとしても、アイリーンに正直に告げることはできたはず」
子供じみた悪戯(?)をしながら、ちゃんと正論を口にできるカーディフ公爵ってすごい。
「なんらのー……らっておらぁ……ほんなんふぁー……」
何言っているのか全然分からない。カーディフ公爵もそう思ったのか、指をパッと離した。
「いやさぁ……そうすると自慢みたいになっちゃうからぁ」
「自慢?」
「わし、今はもう抜けたけれど、ちょっと前まで八将のひとりの右腕をしててな、実はこう見えて大物ですねん、なんてさぁ」
「…………」
アイリーンはちょっといたたまれなかった。……ニーム、ちゃんとしっかり見て……カーディフ公爵の絶対零度な顔を……。