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カーディフ公爵、先にエミリーと会ってしまう


 ――さかのぼり一刻前。アイリーンがハートネル教会に呼ばれ、屋敷を出発したあとのこと。


 自邸を出て五日目、レジナルド・カーディフ公爵は目的地のひとつに到着した。


 正式な目的地はハートネル教会なのだが、彼はその前に、途上にあるバデル伯爵邸に立ち寄った。聖女に決まったというエミリー・バデル伯爵令嬢と対面し、彼女を伴って教会へ向かうためである。


 彼は冷めた瞳でバデル伯爵邸を見上げた。……なんの感慨も湧かない。


 他者を思い遣り、その者のために何かをしてやろうと心を砕くのは、それが実現可能な場合に限る。少なくともレジナルドの考えではそうだった。自分には助けることができないのに、綺麗事で頭を悩ませるのは意味がない。


 先日吟誦公爵ゴモリーに寝込みを襲われ、『花嫁を殺す』と脅された。聖女の身を案ずるならば、結婚を取りやめる必要があるだろう。


 ――しかしそれはできない。


 大勢の人間がふたりの結婚を望んでいる。


 魔物討伐をしているカーディフ公爵家に連なる者たちは、色々な意味ですでに限界を迎えていた。下の者たちは、当主であるレジナルドが聖女を娶ることで、少しでも事態が好転するのではないかと期待しているのだ。


 この状況でレジナルド本人が、『聖女とは結婚しない』と言い出したらどうなるか。それは死地に赴き日々戦っている仲間の心をへし折ることになるだろう。


 夢も希望もない話だが、義務だから結婚する必要がある。


 レジナルドの気持ちは冷めきっていたが、彼なりに聖女に対しては筋を通すつもりでいた。だから教会での現地集合ではなく、先にバデル伯爵家に立ち寄り、ひと手間かけることにした。


 ところが。


 先方の常識のなさに、レジナルドは思わず眉根を寄せることになる。


 レジナルドを玄関ホールに通した使用人が、


「――只今、大変取り込んでおりまして、その――申し訳ございません、少々お待ちください」


 と言い置き、そそくさと奥に引っ込んでしまったのだ。とりあえず客間に通すだとかの、最低限の気遣いすらみせることなく。


 なんらかの重大なトラブルが起きた結果こうなっているのか、あるいは普段もこんふうに礼儀知らずなのか。


 ……大丈夫なのか? この家は……レジナルドは呆れ果ててしまった。


 爵位が遥か上の貴族が訪ねて来るのがあらかじめ分かっていて、当主が出迎えもしない。しかも用向きは『結婚』という重大事であるのに。


 玄関周りに張りついている使用人が、来客の馬車が到着したのを少し前に確認しているはずで、普通の気遣いができるのなら、すぐに当主が出て来る。こんなふうに格上の貴族を玄関口で待たせて放置というのは、あまりに非常識だ。


 レジナルドは『ひとりでハートネル教会に行ってしまおうか』と考えた。


 彼は合理的な人間であるので、『常識のない相手には何を言っても無駄』という考えを持っていた。


 このバデル伯爵家のイカレ具合がどのくらいなのか、知り合いではない自分には見当もつかない。今でも散々だが、これからもっとひどくなる可能性もある。


 ならば、事情に通じているハートネル教会の関係者に、あいだに入ってもらったほうがいいかもしれない。ここで時間を無駄に浪費するくらいなら、教会で待つほうがまだマシだろう。


 小さくため息を吐き、踵を返そうとしたところで、ヒールがカツカツと床を打つ音がした。


 音のほうに視線をやると、おそらく同年代――十代後半と思しき、小枝のように痩せた娘が、ホールに繋がる廊下から足早に出て来るのが見えた。娘の動きに合わせ、茶色の髪が揺れる。


 年齢的に彼女が結婚相手の聖女(確か名前はエミリー・バデルといったか?)のようだが、婚礼衣装ではなく普段着を身に纏っている。


 ……なんだ? 物腰からして、使用人にも見えないから、この家の娘だと思われるが……。


 教会に到着してから着替えをするつもりなのか? 時間があまりないので、長支度は勘弁してほしい。


 面倒だな……そう思いつつも、彼女の顔を眺め、何かが引っかかった。


 菫色の瞳――……虹彩の繊細な色合いが、レジナルドの記憶のどこかを刺激した。


「……リイ?」


 思わず呟きを漏らす。


 リイ――八年前の夏、たった一度会ったきりの女の子。


 ウサギを模した、不思議な目出し帽をかぶっていた。


 綺麗な優しい声で話すのに、壊滅的に歌が下手で。


 不意に、夏の強い日差しが脳裏に蘇り、眩暈がした。


 現れた娘がリイだという確信はない……だからなぜ先ほどそう口に出したのか、自分でもよく分からなかった。


 虹彩の色だけでなく、目のふちの形も似ている……だろうか? あの時ウサギマスクをかぶっていた彼女は、顔の大部分を覆い隠していたが、かろうじて瞳の周りだけは露出していた。


 そう……確かに似ているかもしれない。少なくとも、記憶が刺激される程度には。


「え……どうしてその愛称……」


 こちらに足を進めていた娘がピタリと足を止める。彼女の瞳には驚愕の色が浮かんでいた。


 ――『リイ』という愛称に反応した彼女を見て、レジナルドは衝撃を受けた。


 そんな、まさか。


「……君は『リイ』なのか?」


 そう問いかけるレジナルドの声は掠れていた。



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