降り立つは窮地
扉の先には、真っ暗な長いトンネルが続いていた。しばらくまっすぐ歩いていると、正面にまた、扉が見える。それは小さな木製の扉。装飾のように扉のフレームに、植物のツルが巻き付き、色鮮やかな花が咲いていた。おそらくこの扉の先に、外界が広がっているんだろう。
「……よし、行こう」
意を決して、扉を静かに開く。真っ暗だった長いトンネルに光が差した。光のまぶしさに目を細めながら、扉の先へと足を進める。
「ふあぁぁぁ……」
そこは、森だった。とても背の高い木々がうっそうと生え、ザワザワと、風が葉っぱを揺らす音だけが聞こえてくる。神域では見たこともない光景。後ろを振り向くと、大きな木の根っこに埋まるようにして、木製の扉があった。これが、今、私が出てきた扉かぁ、こうなってたんだ。
「ふぅ、景色に見とれてないで、さっそく人を探さないと……って言っても、ここからどうしよう?」
指輪を見てみても、今のところ、なんの反応もない。神の候補者の近くに出るってミコト様は言ってたけど……
きょろきょろと周囲を見回しても、木々が邪魔で周囲が全く見通せない……と、
「……あれ?」
何かないか、と集中してあたりを見回していた私を突然、違和感が襲う。
木々が葉っぱを揺らす音”だけ”が聞こえてくる。つまり、それ以外の音が一切しない。虫の鳴き声、鳥の羽ばたく音、生物が放つ音がなに一つ聞こえてこないんだ。森であるのなら、鳥や虫くらいはいるはずなのに……
それに気づき、警戒態勢に入った途端、周囲の景色が変化する。青々とした木々が、空が、地面が禍々しい赤黒い色に染まっていき、周囲の空気が途端に重苦しいものへと変わった。
「一体何が……」
ガサガサッ
正面のほうから草木をかき分ける音がする。そして、正面の視界を覆っていた茂みが、突如、爆ぜる。
「ッ!?」
とっさに左へ飛びのいた私の横を、何かがすごいスピードで駆け抜けていった。ほほに当たった風の強さから、その速さは相当なものだと感じ取れる。それは、大きなイノシシだった。全長5メートルほどだろうか。全身が周囲の景色同様に赤黒く染まっている。
「……逃がしてはくれなさそう」
イノシシの赤黒い目は、虚ろでありながらも、はっきりと私を映していた。背を向けたものなら、途端に突進してきて吹き飛ばされるだろう。
「……炎よッ!?」
互いににらみ合う中、魔術の詠唱を始めようとした途端、イノシシが加速もなしに、突然フルスピードで突進してきた。
(は、早すぎる!)
詠唱する暇もなく、次の突進が飛んでくる。
(だったら魂術を使って……!?)
魂術を使おうとしたときに、再び大きな違和感。現在いるこの場所には、妖力しか感じ取れなかった。つまり、この場所は、あらゆる生物の怨嗟のみがばらまかれ、一切の魂が無事に成仏できていない場所であるということだ。次々に訳の分からないことが起こり、頭が混乱してくる。
(何が起きているのか、さっぱり訳が分からない……けど、術を使えないわけじゃあない。今はこの状況をどうにかしないと!)
イノシシの突進をよけつつ、頭の中にイメージを浮かべる。妖力を集めて、その形を変化させる。相手を焼き尽くすような、強く、大きい炎へと。
(相手は私を殺しに来てるんだ。やらなきゃ、やられる)
「……行けっ!」
イメージ通りに生成された大きな火球は、突進してくるイノシシめがけて打ち出されていく。そして、イノシシに当たり……消滅した。
(……ぇ)
打ち出した火球は、イノシシの体に当たる寸前に、イノシシの体から出てきた謎の赤いオーラに吸収され、イノシシの体に傷をつけることはなかった。
「ぁ……」
目の前で起こったことに気を取られた一瞬のスキを突かれ、イノシシの突進をまともに受けてしまい、私の体は宙に舞った。
「ぐがはッ!!」
地面に打ち付けられ、肺の中の空気がすべて吐き出される。ミコト様に鍛えられた体をもってしても、激しい痛みが私を襲う。
(いた、い……)
立ち上がろうにも、体に力が入らない。
(まだ……何も……)
痛みで意識が朦朧とする。
(何も、できてないのにっ……)
ぼやけた視界に移る、迫りくる大きな影。耳に届く、くぐもった足音。
「……こんなところで、死ねないっ!」
迫りくるイノシシの巨体。残っている精神力を振り絞り、妖力で暴風の壁を作る。イノシシの突進はそれに阻まれ、わずかに減速する。しかし、それでもイノシシは止まらない。
「……えいっ!!」
次に、目の前に頑丈で大きな土の防壁を作る。
(これで今回の突進は防げるはず……)
バギャッ
(……そんな)
無常にも、土の壁はイノシシの突進を防ぎきれず、割れてしまった。
突進を直に受け、その強さを理解してしまった私は、無意識のうちに、この突進は防げないかもしれない、と考えてしまった。その結果、術の制御が甘くなり、生成された土の壁がもろくなってしまった。
イノシシはもう目の前まで迫っている。死に直面し、周囲の時の流れがいやに遅く見えた。ゆっくりと、確実に迫りくる巨大なイノシシ。自分の死が明確に足音を立てて迫ってくる。もう私には、この状況を解決する手段は何も思いつかなかった。
(ごめんなさい、ミコト様……)
すると、
ボギッ
と、鈍い音を立てて、目の前のイノシシが横に吹き飛ぶ。
(……一体、何が?)
イノシシの吹き飛んだ方向を見ると、体がくの字に曲がり、完全に沈黙したイノシシと、その上に立つ人影が見えた。
「だ、誰な……あっ……?」
警戒態勢のままその姿を確認しようとした途端、突然体から力が抜ける。立て続けに様々なことが起こりすぎたせいか、思っていた以上に疲労がたまっていたらしい。まずい、と思いながらも、体はいうことを聞かず、その場に倒れ伏し、私は意識を失った。
手にはめられていた指輪が、うっすらと光っていた。




