過去の足跡
更新が不定期すぎて本当に申し訳ない……
血痕を追うこと、数十分。
「なんだろ、ここ」
たどり着いたのは、何等かの建物の廃墟だった。普通の家より少し大きいぐらいの建物。ひびが入り崩れかけの壁、割られた窓からは診察室のような内装が見て取れる。一度建物の周りをぐるっと歩いて回り、正面玄関と思しき場所で足を止める。
「ボロボロだけど……診療所、なのかな?」
足元には『…………診療……』と掠れた文字が書かれている小さな看板が落ちており、それとともに、建物の中へと続く血痕が残されていた。
「入る、しか、ないよね」
「そうですね、生きている人がいるかもしれませんし……」
意を決して薄暗い診療所の中へと足を進める。
………………
…………
……
玄関を入ってすぐの部屋は、待合室だったようだ。綿が飛び出て弾力を失った長椅子、ほこりをかぶった受付カウンター、引き裂かれたポスター、どれも長い年月をかけて風化している。
「外見から想像できていたけど、やっぱり中もボロボロですね……」
「……」
「ほこりに足跡がついてる……この先にだれかがいるかもしれないですね……ロズさん?」
問いかけに返事がなく、ロズさんの方を振り向くと、彼女は待合室の中心に立ち尽くし、落ち着きなく周囲をきょろきょろと見回している。
「……」
どこか心ここにあらずといった感じで、私の声もとどいていないようだ。
「どうかしましたか? 『……ッ!?』って、うわっ!?」
ぽん、と優しく肩をたたくと、彼女はしっぽをぶわっと逆立たせて、待合室の隅へと飛びのいた。
(警戒……されてる? いや、何かにおびえてる……ような)
「お、落ち着いてください、ロズさん……」
警戒を解いてもらおうと、優しく語り掛ける。
「フーーーッ、フーーーッ、フーーーッ」
少しずつ、少しずつ、距離を詰め、彼女を優しく抱きしめる。
「ヴゥゥゥゥ……ヴァァゥ……」
「大丈夫……大丈夫ですから……」
落ち着かせるように、子供をあやすように、優しく頭をなでる。
………………
…………
……
(うれしい。こわい。にげたい。たのしい。)
「ヴァァァゥ……ヴゥゥウゥゥゥ……」
頭の中が、ぐちゃぐちゃで、こんがらがって、よくわからない。
(たすけて、いやだ、だれか、たすけ……)
「ヴァゥ……ぅぁ……あぁ……?」
突然、頭の中に、光が、差した。
(あ、れ……? わたし、なに、して?)
目の前には、小さい、狐の女の子が、ココが、いた。
(あたま、なでられて、る?)
わたしを、抱きしめて。頭を、優しく、なでて。
(あった、かい……)
ぐちゃぐちゃだった、頭の中が、きれいに、なっていく。
(なつかしい……?)
なんだろう。なにか、なつかしい、ような。よくわからない、けど、今は、いいや。
………………
…………
……
ほんの二、三分。気づくと、ロズさんはすっかり落ち着いたようで、彼女も私の背中に手をまわしており、ぎゅっと抱きしめられる。
「……落ち着きました?」
「……うん、ありがと」
抱きついていた腕をそっと離す。そしてロズさんも、名残惜しそうにしながらも、私の背中から腕を離した。
「一体何があったんですか?」
「自分でも、よく、わからない。でも、ここに入った途端、なんか、変な感じが、した。懐かしいような、うれしいような、でも、怖いような、逃げ出したいような……」
そう語るロズさんの瞳には、確かに恐怖の色が見えた。耳もぺたんと伏せてしまい、しっぽも不安そうに垂れている。今の彼女は、軽々とイノシシもどきを屠った人とは思えないほどに、か弱く見えた。
「……ここから先は、私一人で調べてきましょうか?」
はたから見ても、今のロズさんの精神状態は良いものとは言えないとわかる。このまま進めば、彼女は再び理性を失ってしまう可能性が高い。なら、ここから先は私一人で調べてくるべきだろう。
「……いや、わたしも、ついてく」
「またさっきみたいに、パニックになってしまうかもしれませんよ」
「……ココに、迷惑、かけちゃうかもしれない、けど、いきたい。いかなくちゃ、いけない、気がする。なにか、思い出せそうな、気がする、から。だから、ついていかせて」
覚悟を決めたようで、先ほどまで不安そうだった耳やしっぽをぴん、と立たせて私の目をはっきりと見つめる。
「ふふっ……」
「ココ?」
森の小屋を出たときとおんなじようなやり取りだなぁ、といっても、立場は逆だったけど。
「じゃあ、一緒に行きましょうか」
「……! わかった!」
ぱぁっと晴れやかな顔をして、返事をする。しかし、すぐに顔を俯かせてしまう。どうしたんだろう? と思っていると、彼女は恥ずかしそうに、小さな声で、
「ココ、その……手を握っても、いい?」
「もちろん、いいですよ」
小さなつぶやきに返事をすると、再び晴れやかな顔に戻り、しっぽをぶんぶんと振りながら、私の手を取る。
「それじゃあ、探索再開です」
「うん、いこ」
二人で手をつなぎながら、ほこりに残された足跡を追う。
………………
…………
……
場所は変わって、診察室。室内に染み付いた様々な薬品のにおいが鼻を突く。どうやら、足跡の主はこの部屋を物色していたようだ。部屋の床には無数の足跡がちりばめられており、薬品の入った棚や診察用の机の上にはほこりをかぶっていない。足元には真新しい消毒液の瓶、そして濡れたボロボロの包帯が落ちている。おそらくここで止血処置をしたんだろう。それにしても……
「本当にどこに向かったんでしょう?」
診察室の入り口には、中へ入る足跡はあれど、外へと向かう足跡は残っていなかった。
「ロズさん、何かわかりますか?」
「……うん」
「ですよね、さすがに……って?」
ロズさんの返事に驚き、声のした方を振り向くと、彼女は薬棚の一番下の段に頭を突っ込んでいた。
「な、なにしてるんです?」
ガサゴソ、ガサゴソ。
目の前でふらふらと揺れるしっぽを見つつ、少し待つと、
「あ、あった」
そう言って、ロズさんの動きがぴたっと止まる。カチ、とボタンを押したような音とともに、診察室の中心で、ガコっと音がした。見ると、床に取っ手ができていた。
「……これは?」
「わからない。でも、なんか、知ってた」
この感じからすると、おそらくロズさんは記憶を失う前、この場所に来たことが、そして、このからくりを見たことがあるんだろう。
「多分、ロズさんは記憶を失う前、この場所に来たことがあるんですよ」
「だから、さっき、懐かしい感じが、したんだ」
すぽっ、と棚から頭を引っこ抜くと、現れた取っ手に手をかけ、なんのためらいもなく取っ手を引く手に力を入れる。すると、床板が開き、下へと続く階段が現れた。
「……この下に何があるか、わかりますか?」
「……いや、何も、わからない。でも、何か大切なものが、ある気がする」
この先に、大切なものがある気がする、か……この先にロズさんの記憶に関する何かがあるんだろうか?
「行かなくちゃ……行こう、ココ」
「……はい、行きましょうか」
何かに急かされているようなロズさんの様子を不思議に思いながらも、手をつないで地下へと続く階段を下りていく。