絶望の檻
動かなくなったイノシシもどきをじっと見ていると、ロズさんが戻ってきた。
「ココ、大丈夫!?」
「はい、何とか……」
イノシシもどきの死体と私を交互に見ながら、ケガがないかを隅々までチェックされる。ちょ、服をむしり取ろうとしないでくださいっ、無理やり袴を捲らないでくださいっ!?
………………
…………
……
「……うん、ケガは、なさそう」
「……剥かれた……」
無理やり脱がされた服を再び着ながら、ケガが無いことが確認できて満足そうなロズさんの様子を見る。はじめは上機嫌だったが、次第に悲しげな表情になる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「ココ、ごめん」
「? 何がですか?」
いきなり謝られて、よく分からず、聞き返してしまう。ロズさんに謝られるようなことなんてあったっけ?
「わたし、イノシシを、見つけた時、ココのこと置いて、戦いに、いった。ココに、離れないようにって、言ったのに、私が、離れちゃった……」
……確かに。
「わたしが、ココを守るって、言ったのに、危険な目に、遭わせた。だから、ごめん」
「でも、こうして無事でしたし、謝る必要はありませんよ。こういう時は、次から気を付ければいいんです」
実際、私はケガもしていないし、ロズさんに私の戦いを見てもらえたから、結果としてはよかったのかも。
「で、ココ?」
「はい」
「ココって、本当に、戦えたんだね。小さくて、可愛いから、戦えないと、思ってた」
……なんだか、小さいって言われて怒るミコト様の気持ちが分かった気がする……
………………
…………
……
「戦ってるときの、ココ、なんだか、今と違ってた。それと、あのとき持ってた札は、何だったの?」
「そうですね、ちょっと説明が長くなりますが、まず魂術について……」
あの札を説明するために、魂術について、そして『刻印』について軽く触れておく必要がある。魂術には『刻印』というものがあり、妖力、霊力を通しやすい特殊な札に、特殊な文字である『刻印』を刻む。すると、刻印が刻まれた札は、特殊な効果を持つようになる。刻印には様々な種類があり、その形によって効果が変化してくる。
私が持っていた札には、『蓄積』の刻印が刻まれており、その効果は、札に妖力、霊力をある程度ためておけるというものである。さっきはそれを使うことで、札に込められていた霊力を取り出し、身体強化を施して、イノシシもどきを倒したというわけである。
「……というわけです。えーっと、大丈夫、ですか?」
「うーん……なんとなく、わかるような、わからないような?」
頭を抱え、うんうんうなりながら話を整理しようとするロズさん。と、頭から手を放し、私のほうを向いて一言。
「まあ、あれがあれば、ココも、戦える、ってことで」
すごくざっくりしているけど、まあ大体あってはいる。
「それじゃあ、出発、しようか」
「そうですね、まだ赤黒い壁は見えませんし」
気を取り直して、再び目的のものを探し、足を進める。
………………
…………
……
「あれがあの本に載っていた赤黒い壁、絶望の檻……」
「本当に、大きい、壁」
遠目に見てもはっきりとわかる。右を見ても左を見ても、上を見上げても、どこまでも続いている、巨大な赤黒い壁。壁には水の波紋のようなものが揺らめいていて、じっと見ていると、だんだんと気分が悪くなってくる。
「近づいて、みよう」
「ちょっと待ってください、下手に近づくと危ないかもしれません」
何の躊躇もなく壁に近づこうとするロズさんを引き留め、背中の風呂敷をあさる。えーっと……よし、取れた。
風呂敷から取り出した札を、妖力で風を起こして壁のほうへと飛ばす。この札は『検体』の札、人体に有害なものが周囲にある場合、札が黒く変色するようになっている。
「うーん……見た限り、大丈夫そうかな?」
風に乗って、検体の札が壁のほうへと飛んでいくが、ぱっと見では変化は見られなかった。
「じゃあ、今度こそ、近づこう」
「はい、行きましょう」
ロズさんの後を追って、壁に近づいていく。
………………
…………
……
ロズさんの持っていた本には壁と書かれていたが、厳密には壁ではなかった。その正体は、とてつもなく濃度の高い、赤い霧だった。森の外に近づくにつれ、徐々に霧が濃くなっていき、不思議と体が後ろに押される感覚がしてくる。最終的には、赤い霧に覆われて周囲の様子が見えなくなり、前に進むことができないほどに後ろへと押し戻される力が強くなる。まるで、何者をも、この森から出させないようにしているかのように。
「本当に、森から出るのは、難しい、みたいだね」
「……」
「一体、この霧は、何なんだろうね、ココ」
「……」
「……ココ?」
ロズさんのつぶやきが耳に入らないほどに、私は目の前の状況に困惑していた。赤黒い壁の正体は分かった。
これは、とてつもない量の、本来実体を持たないはずのものが見えるようになるほどに濃縮された、妖力の塊だ。
確かに、実体を持たない妖力が実体化する場合がある、という話はミコト様から聞いていた。しかし、それが起こるのは、戦争や虐殺などによって一か所に大量の怨嗟がたまった場合にのみ、まれに発生する現象だと言っていたはずだ。となると、この森はそれだけの事が起きた場所だっていうことなんだろうか……
「ココ、こっち来て」
ロズさんに軽く肩を叩かれ、意識が現実に引き戻される。
「あれ、地面、見て」
「……血痕?」
ロズさんが指をさしたほうの地面には赤い血痕が小さく残されていた。
「まだ乾ききってない……見る限り、失血死するほどの量でもなさそう……っていうことは」
それは、赤い壁に沿って続いていた。
「この奥に、ケガをしている人が、いる。しかも、生きてる可能性が、ある?」
ロズさんと互いに目配せをして、血痕をたどって走っていく。