とりあえず、まっすぐ
「あとどれくらい歩けばいいんですかね……」
「……さあ?」
ロズさんの後についていくこと数時間、私たちはいまだに目的の壁へとたどり着いていなかった。どこまで歩いても、見える景色は木々に覆われている。道なき道をただひたすらまっすぐ進んでいく。ロズさん曰く『とりあえず、どの方向かに、まっすぐ進めば、いつか、壁に、着くんじゃ、ないかな』らしい。実は逆に壁から離れる方向に歩いているのかも……
ロズさんが拾った本には地図も書かれていたが、著者は小屋周辺はたどり着かなかったようで、それらしき目印は書いていなかった。加えて、コンパスのようなものもなく、現在向いている方角も全くわからない。なんにせよ、使える情報がない今の状況じゃあ、この方法しか思い浮かばなかった。
「それにしても、この森って、本当にすごく広いんですね」
「そう、みたい」
いくら赤黒い獣を警戒しながら進んでいるとはいえ、数時間歩いても木々が途切れる気配がない。とすると、この森の面積は相当に広いんだろう。一体どこまで続いているんだろうか……
と、その時、
「……いる」
目の前を歩いていたロズさんが姿勢を低くして、私に向かって小さく一言。よく目を凝らしてみると、はるか前方に、最初に見たのと同じ、イノシシもどきが背を向けていた。
「私が、仕留める、から、ココは、隠れてて」
「えっちょっと待……」
私が制止の言葉を言い切る前に、間髪入れずイノシシもどきに突撃していくロズさん。
高速で突進してくる気配に気づいたのか、イノシシもどきがこちら側を振り向く。しかし、その時には、ロズさんは高く飛び上がり、イノシシもどきの視界から外れていた。そして、突撃の勢いと重力による加速を持ったロズさんのかかと落としが目の前に迫る。
「……フッ」
口から軽く吐き出された息の音。それと同時に、イノシシもどきは重力に押しつぶされたかのように頭を変形させ、地面へと深くめり込んだ。
「……よし」
イノシシもどきが完全に動かなくなったことを確認してから、私のもとへと戻ってくる。
「……相変わらず、すごく強いんだなぁ」
この人を神に育てるなんて、私にできるのかなぁ……っ!?
「ロズさん、後ろっ!」
私の方へと向かってくるロズさんの背後の茂みが突然揺れる。その中から、一匹の小さなイノシシもどきが姿を見せ、大きいイノシシもどきにも劣らない速さでこちらに向かって突っ込んでくる。私の忠告でロズさんが振り向くその時には、イノシシもどきはロズさんの目の前に迫っていた。不覚にも、先ほどと同じ、狩る側と狩られる側が入れ替わっただけの構図。
「クッ……!」
そして、それは速さを緩めることなく、
ロズさんの横をすり抜けた。
「!? こいつ、動きが、おかしい……ッ! ココッ!」
イノシシもどきの赤黒い瞳は、初めからロズさんがいなかったかのように、はっきりと私の姿だけを映していた。突進は勢いを増し、まっすぐ私に向かってくる。目の前に迫りくるイノシシもどきは、小さいながらも、非常に大きな威圧感を放ってくる。恐怖で足が震え、心臓の鼓動がうるさいぐらいに早くなる、が。
(怖いけど……ロズさんに私も戦えるってことを認めてもらうためにも、ここで私がやらなきゃ……!)
ゆっくりと深呼吸をする。肩の力を抜く。落ち着いて、落ち着いて。正面から迫りくる敵をはっきりと見据える。
「……いきます!」
遠くにいるロズさんに、そして自分自身に始まりの合図を告げる。
最初に戦った時と同じように、妖術を使って風を起こし、イノシシもどきの速度を緩める。そして、小さく圧縮された土の壁を生成する。
(強い壁。圧縮された土の壁。何物にも全く動じず、壊されない壁……)
今度は絶対に壊されないように、精神を落ち着かせながら、簡単には壊れない壁を強く、深くイメージする。
(大丈夫、今度はうまくやれる……!)
ドゴッ!
突如イノシシもどきの進路をふさぐように現れた土の壁に、イノシシもどきは反応することができず、大きな音を立て、壁に激突した。相当な勢いが乗った打撃を受けた土の壁は、それでもなお壊れることはなかった。勢いよく壁にぶつかったイノシシもどきは、頭から黒く濁った色の血を流しながらも、ふらふらと壁を回り込み、再び突進の姿勢をとる。その赤黒い瞳は、まだ私をはっきりと映していた。
「……すぅっ、ふぅ」
息を軽く吸って、呼吸を整える。そして、懐から一枚の札を取り出し、精神を集中させる。すると、手の内の札が水色に淡く発行し、同時に急激に体が軽くなったような錯覚を覚える。感覚が研ぎ澄まされ、周囲の時間の流れが遅く感じる。
ギリ、と地面を踏みしめ、後ろへと蹴る。軽くなった体は、打ち出される弾丸のごとき勢いで飛び出し、一瞬でイノシシもどきの目の前へとたどり着く。そして、
「……ごめんね」
こんなことを言っても意味なんてないだろう。でも、勝手に口からこぼれていた。私は今から初めて生き物の命を奪う。自分が生きるために。きっと今後も今回みたいなことがたくさんあるだろう。その時もきっと私はまた相手の命を奪ってしまう。そのうち、この罪悪感も感じることがなくなるのかもしれない。でも、今のうちは。罪悪感を感じているうちは、言わせてほしい。気持ちを整理するために、自分が救われるために。
「……はぁっ!」
握りこぶしを作り、構えた腕を振り下ろす。頭を打ち、意識がもうろうとしているイノシシもどきは回避できず、こぶしの直撃を受けた。そして、風に吹かれる木の葉のように吹き飛ばされ、力なく地面に横たわる。以降、それは二度と動くことはなかった。