第九話 王都へ行こう
王家に伝わる秘密の通路を使って、私たちは王都へと入りました。ここへ来た時とは印象が変わって見えます。
しかし、本当によかったのでしょうか……? 王家の秘密の通路を使ってしまったのも問題な気もしますが、それ以上に王族が勝手に王宮を飛び出すなど……。
「心配性だな、エレナは」
ニット帽をかぶり、服装も平民のものを着ていらっしゃるジェイク様は私の考えを見透かしたかのように笑っていました。心配なものは心配なのです。こう、王都の様子を見に行くという名目はあれど、私たち二人だけでは……。
「問題ない、問題ない。私も何度も抜け出しているからな。ここまで咎められないということはもうすでにバレているのだろう。それに、ちゃんとキュラーヴァが見張っていてくれているからな」
やはり私の考えを見透かしておられます。私も商家の娘のように白いブラウスに地味めの色のスカート。ブーツにコートも持ち合わせています。
「そこまでおっしゃるのであれば止めはしませんが……」
「エレナ。ここでは私たちはただの恋人同士だ。デートなのだから、もっと気軽に接してくれ。そうじゃないと、余計に目立つぞ?」
「そ、そうでしょうか……じゃあ、ジェイク。どこへ行くの?」
少し緊張した声で私はなるべく砕けた言葉遣いをすることにしました。ジェイク様は満足したような笑みを浮かべて、私の手を握ります。
「まずはそうだな、私の行きつけの酒場に行こう!」
「え、ええ……お酒?」
「嫌いか?」
「……好きです」
実は私、大のお酒好きなのです。エール酒もワインも、なんでもいけてしまいます。ただ、酔わないので本当に嗜む程度に抑えていますが……。
「それじゃ、問題ないな。まずは腹を膨らまそう! こっちだ」
ジェイクはニコニコと笑って私を連れていきます。辺りからは私に視線が来ますが、それはたぶん大きいせいでしょう。人混みの中でも頭一つ抜けているので、かなり目立ってしまいます。それゆえにどこかで見張っているキュラーヴァも見つけやすいと思うのですが。
酒場の看板が見えてきました。「女神の涙」という店名らしく、中からは喧騒が聞こえてきます。故郷でもあった酒場もこんな感じでした。
ジェイク様はスイングドアを開けて中へと入っていきます。私も恐る恐る入ろうとして、入り口の縁に頭をぶつけてしまいました。痛い……久しぶりすぎて自分がかがまないと入れないことを忘れていました。
カウンターのほうから、いかつい小父様がやってきて心配そうに見つめています。
「おいおい、お嬢ちゃん、大丈夫か? ジェイ、お前も久しぶりだなぁ?」
ジェイ、というのがジェイク様の愛称なのでしょう。私は頭を抑えつつ「大丈夫です」と言って、改めて中に入りました。
「エレンも気をつけなよ」
「は、はい。じゃない、うん」
私はエレンということですね。わかりました。私とジェイク様が席に着くと、先ほどの小父様……店主の方でしょうか……豪快に笑いながらこちらに来ました。
「それにしてもなんだ、ジェイにも春が来たか」
「そう、そうなんだよ。やっと春が訪れたんだよ。その祝杯を挙げようと思ってね。高いのを二つお願いするよ」
「よっしゃ、じゃあ良いワインが手に入ったから、それを出してやろう」
そう言って店の奥へと行かれました。ジェイク様の言葉に驚いた私は小さく耳打ちをします。
「よ、よいのですか?」
「なにが」
「お高いワインなど……」
「言っただろう、これは祝杯だって。堂々としてくれ」
「はあ……じゃあ堂々と」
ジェイク様のお言葉とあらば仕方がありません。店主が木製のジョッキを持ってきて、私たちの前に置きます。芳醇な香り、確かに良いお酒のようです。
「では春が来たジェイへ乾杯!」
「乾杯!」
とお二人が言ったのを見計らって、私はジョッキを一気に呷りました。ゴクン、とワインが喉を通ります。とても良い味です。これは何杯でも行けてしまいます。
「……エレン?」
店主とジェイク様はさすがに驚いたような表情を浮かべておりました。私はハンカチで口を拭うと、ちょっとだけ恥ずかしくなって顔を赤らめてしまいました。
「あ……ごめんなさい。堂々と言っていたから」
「そんなに酒が好きか」
「ええ」
「……はは、じゃあ店主、もう一杯注いでくれ! だけど、この先も楽しみがあるんだ、酔っ払わないでくれよ?」
「わかっています。ありがとう、店主さん」
今度はゆっくりと味わいます。ああ、良いお味です。ジェイク様も苦笑いしつつ、お酒を楽しんでいらっしゃいました。そしてつまみも食べきり、私たちは店を出ました。
「いやぁ、さっきの食べっぷりといい、あそこでは相当我慢していただろう?」
「恥ずかしながら……」
「いや、いいんだ。今度俺の方から酒を持って行こう。じゃあ、次はスケート場だ」
「スケート……ですか?」
にこりと笑ってジェイク様は私の手を引っ張ります。しかしその時、何か視線を感じたような……そんな気がして、私は立ち止まって辺りを見渡します。キュラーヴァとは違う、ねっとりとした視線だったのですが。
「どうしたんだ?」
「ああ、うん。なんでもないわ。行きましょう?」
きっと気のせいでしょう。私はジェイク様と一緒にスケート場へと向かいました。そこでは国民たちがスケート靴を履いて、思い思いに滑っています。
私たちもスケート靴を借りて、ジェイク様は颯爽とリングへと向かいました。慣れた動きで、シャアと気持ちの良い音を立てて入口から滑り、こちらを向かれます。
「さあ、エレンも来なよ」
笑みを浮かべてらっしゃるジェイク様ですが、私は入り口でしがみついているしかできませんでした。あ、足元が、足元が、滑る。こわ、こわい。
「大丈夫か? 手を貸そうか」
「い、いや、その……はい……」
意地を張ってみようとも思ったのですが、無理でした。私はジェイク様に引っ張られるように滑り出します。腰が引けてしまい、なんとも情けない姿です。
「ふ、ふおおおお……」
「大丈夫だ、すぐに慣れる」
思わず変な声も出してしまいました。ジェイク様は笑って励ましてくれていますが、怖くて仕方がありません。こ、これがスケート……恐ろしい!
「それじゃ、手を放すぞ?」
「え」
「いちにの……」
「待って」
「さん!」
ジェイク様は私の言葉など聞かず、両手を放してしまいました。私はどうしていいかパニックになり、なんとか体勢を整えようと思ったのですが大きく足を滑らせ、転びそうになりました。
「おっと!」
その体をジェイク様が支えてくださいます。まるでそれだけ切り取ればダンスの一場面のようですが、私はもう恥ずかしくて顔を手で覆ってしまいます。
「待ってって言ったのに……」
「ははは、ごめんごめん! でも無事だろう?」
「もう!」
しかし、私の重い体を軽々と支えているジェイク様は素敵だと思いました。こんな力持ちだったんですね。
なんとか私も腰が引けながら滑れるようになり、しばらくスケートを楽しんだ後、露天で食べ物を買い、公園のベンチで休んでいました。
「いやあ。今日はエレナの意外な一面が見れて楽しかった。やっぱりこうでなきゃな」
「もう……懲り懲りですよ」
「私と外に出るのは嫌か?」
ジェイク様が悲しそうな表情を浮かべました。私は首を横にぶんぶんと振り、それを否定します。すると対照的な笑顔を見せて喜んでくださいました。
「ならよかった。たまにはこうしてデートもしたいな」
「……でもジェイクも王族です、継承権もあるのでは?」
「……まあ、そんなことはいいじゃないか」
私の言葉に、ジェイク様は表情を曇らせて蒸かし芋を食べます。私もそれきり黙ってしまい、気まずい雰囲気になってしまいました。
「さ、そろそろ帰るか」
ジェイク様は明るい顔になって、私の手を握ってくださいます。しかしどこか陰があるようで、私には心配でした。
大通りに出ると、仕事を終えた人々などで溢れていました。私たちは何とかかき分けながら進んでいきます。すると、またあの視線が感じられました。
今度は近くから、どこから……と思った瞬間、俯き、ポケットに手を突っ込んだまま近づいてくる男性がいるのに気づきました。一気に近づいてきたと思ったら、ポケットからナイフを取り出し、ジェイクめがけて突き刺そうとしています。
「危ない!」
私はジェイクを突き飛ばし、代わりにナイフを受けました。ナイフは私の脇腹に刺さりましたが、男は一瞬驚いた拍子で深くまでは刺さりませんでした。
「エレナ!」
ジェイク様が叫びます。男はナイフを捨てて周りの人間を突き飛ばして去っていきました。
「毒が塗られているぞ……! すぐに」
「だ、大丈夫です。私の血には……巨人のものが混ざっていますから。昔から毒は効きません」
「しかし!」
「それよりも早くここを離れましょう」
辺りは大騒ぎになっています。私は脇腹を抑えながら、ジェイク様を引っ張っていきます。そして王族の秘密の通路までやってきたところで、脇腹を見せます。
「ほら、大丈夫でしょう?」
私の体の傷はなくなり、すぐに痕もなくなりました。毒も効いていません。……しかし、こんな体を見て、ジェイク様はどう思われるのでしょうか。
「馬鹿!」
ジェイク様の思わぬ言葉に私は驚いてしまいました。ジェイク様が泣いておられます。
「あんな真似はするな! 私だって武術の心得ぐらいある! あの男ぐらいなんともなかった! それを、身を挺して……こんな」
「ジェイク……」
「……すまない。言い過ぎたよ」
ジェイク様はそう言って、通路の奥へと歩き出します。私はその背中を見つめていることしかできませんでした。




