第五話 私の気持ち
武道場へと連れていかれる、そう思った瞬間、何かが風切ったような感覚を覚えました。次の瞬間にはお妃さまは白目を剥いて気絶してらっしゃって、控えていたお付きの人が抱えていました。本当に何が起こったのでしょうか。一瞬すぎて何も見えませんでした。
「失礼いたしました。王妃様は出会った方になりふり構わず勝負を挑まれるので困っていたのです。それでは失礼いたします」
お付きの人はお妃さまを抱いていかれるとそのまま去っていきました。本当に嵐のように現れ、嵐のように去っていくような方々でした……。ともかく、私は武道場で戦うなどと言う事をしなくて済んだのでよかったです。
「まったく母上はあいかわらずだな。あの付き人……ポーラは戦場で戦った同志であり、直属の部下だったらしい」
「え、ええ。お妃さまが戦場に?」
「そうだ。騎士姫と呼ばれるほどの強者だったと聞いたことがある。まあ、私も生まれる前の話だから、本当かどうかはわからないがな!」
あはは、と笑うジェイク様に驚きの表情がないので、日常茶飯事なのでしょう。しかし次に会ったとき本当に連れていかれそうで怖いので、なるべく一人で行動するのはやめておきましょう……。
そのままジェイク様と王宮を散策することになりました。使用人の方が時々奇異な目で見てくるのが少し辛いのですが、これも慣れていかねばならないと覚悟を決めて堂々と進むことにします。猫背ではいけません。ピンと背を伸ばさないと。
するとそんな私に気づいたのか、ジェイク様が苦笑して言いました。
「そんなに気を張らなくていいんだよ。自然体で大丈夫だ。ほら、私のように」
「ジェイク様は自然体であられますね……羨ましいです」
ジェイク様は本当に気取らず、裏表もないお方です。不機嫌なときは不機嫌とわかりますし、嬉しい時は嬉しいとはっきりと表情を出されます。無礼かもしれませんが、小動物のようにコロコロと表情を変えるのが可愛らしいと思いました。
「エレナ」
と、突然ジェイク様が不機嫌になられました。私はドキっとして胸の前で手を重ねてしまいます。今のことが知られてしまったのでしょうか。
「な、なんでしょうか……?」
「それだ。その他人行儀のような態度。ジェイク様じゃなくてジェイクと呼んでくれ。それに妻となるのだから、私に対して丁寧な言葉遣いも不要だ」
「ええ、でもそれでは他の方に示しがつかないのでは……?」
「いいんだ、それで。私は私として生きたいし、エレナはエレナとして生きたいだろう?」
私は私として生きたい……そんなことを考えたことはありませんでした。私はジェイク様にただお仕えしたいと思っていただけでした。その生き方をすることに疑問はありません。ただ……私自身はどうなりたいのでしょうか。ジェイク様に相応しい女になりたいと思っているのでしょうか。それとも、ただ横にいたいだけ?
ジェイク様は窓際に立ち、少し憂いを帯びた顔で外を眺めていました。
「私も第三王子とは言え、王家の人間だ。今後の生き方を決められているも当然なのだけれど……それでもあの鳥のように」
ジェイク様は一羽の鳥を指さしました。鳥は自由気ままに空を飛んでいます。
「外に飛び出して、羽ばたきたいとも思っているんだ」
「……それがジェイク様の生き方?」
「そうだよ。だから私に告白され、王家に来たからと言って気負いすることもないし、嫌だと思ったら嫌だと言ってくれ。私はエレナを愛しているが、それで君を縛り付けたいとは思っていない」
私は深く考えました。今は答えが出ません。それを察してくれたのか、ジェイク様は歩き出しました。私もそのあとを追っていきます。
◆
しばらくして、庭園に出ました。庭園には東屋がいくつかあり、そこでお茶会なども開かれるのだろうな、と簡単に想像できました。東屋の位置が三角形を作り、その中心に噴水が置かれています。石像が持つ水瓶から水が噴き出てきていて気持ちよさげです。
「一カ月もすれば冬が訪れるなぁ。雪が降るとこの庭園も表情を変えるんだ」
「素敵な風景でしょうね」
「ああ、私は冬が好きでね。スケートもできるし、時々王宮を抜け出して、王都に飛び出したときに食べる温かいスープもおいしいんだ」
「ジェイク様は王宮のことがお嫌いなのですか?」
「……どうだろうね」
私はジェイク様が困惑した表情をしたのを初めて見ました。どう答えていいのか、思案しているようにも思えます。
「さっきも言ったけれど、私は縛られるのが嫌いなんだ。とはいえ、王家として生まれたものとしての責務も果たさなければいけないともわかっている。しかし……」
「しかし?」
「どうしても、どうしても体が動き出して仕方がないんだ。こればかりは止められないよ」
ジェイク様がぱあっと笑みを浮かべています。それを見て、私もつられて笑ってしまいました。そして、決心することもできました。
「やはりあなたは笑顔の方がお似合いですよ、ジェイク」
私が彼を縛り付けるものになってはいけないと思い、彼の望むようにジェイク、とお呼びすることにしました。ジェイク様は最初驚いた様子でしたが、すぐに太陽のような笑顔を見せて私の手を取ってくださいました。
「やっと呼んでくれたね、エレナ」
「ええ、でもさすがに皆様がいらっしゃるところでは様付けさせていただきますね。二人きりの時は可能な限りジェイクとお呼びします」
「ああ、ああ。それでいいよ。エレナ、もう一回呼んで」
「ジェイク」
「うん、いいね。じゃあ、今度は書庫にでも行ってみようか」
「はい、ジェイク」
ジェイク様は嬉しそうな表情を浮かべて私と手をつなぎ、ちょうど王宮の東側に行かれました。そこには書庫があって、様々な本が並べられています。
「殿下、なにかお探しでしょうかぁ?」
と、書庫を管理している方なのでしょうか。緑の髪を三つ編みにして、そばかすがある眼鏡をかけた少女がこちらに声を掛けてきました。私はぺこりとお辞儀をします。
「セリナ、この人が私の想い人だよ」
「あらぁ、殿下がずっと思い続けてらっしゃったという……初めまして、わたくしはこの書庫の管理を任されておりますぅ、セリナ・ロアリアムと申します」
「あ、その初めまして。エレナ・アヴェレーナと申します」
セリナさんはおっとりとされていらっしゃる方で、私にも柔らかい笑みを浮かべてくださいました。他の方とは違った対応に、私は少しだけ安心しました。
「ふふ、本当に大きいのですねぇ」
「はい……面目ございません」
「ああ、いえいえ。ただ書庫の上のほうの本を取るのも楽そうだなぁと正直に思っただけですぅ。あまり思い詰めないでくださいねぇ」
「え、あ、はい」
「セリナは思ったことをすぐに伝えてくれるから好きだ」
「だから嫌われちゃうんですけどねぇ」
と言いつつも全く悪びれていないようでした。なんだか逆に清々しい方で、仲良くなれそうな気もします。
書庫を出て、王宮を一回りした時にはもうすでに日も傾き始めていました。本当に広い場所なのだなぁと私は暢気に考えてしまいました。
と、この時私はあることに気づきました。
「そういえば、ご兄弟の方々にお会いしなかったような……」
「ああ、兄上達と弟のオリバーか。二つ上の兄上はともかく、長兄のツヴァイヤは今遠征をしているし、オリバーは別荘に行っているはず。機会が合えば会わせるよ。次兄以外には」
ジェイク様の言葉の端々にとげがあります。なにやら複雑な事情があるようですが、ここで首を突っ込んではいけないと思い、私はただ楽しみにしておりますね、とだけ伝えました。
こうして一日が終わり、私は王宮二日目の生活を終えたのでした。
まだ二日目だというのに、いろんなことが起きた気がします。ジェイクの気持ちも少しずつ分かってきました。でも、私自身の気持ちはまだわからないままです。




