第十二話 転落(※メレーナ視点)
どうして、どうしてうまくいかなかったの? 私は完璧に行ったはずなのに、あのジェイクという第三王子は『まるで最初から知っていたかのように』私を罠にはめて、あのような恥をさらした。これも、絶対にあのエレナが関係しているのですわ。許せない、絶対に許せない……!
ともかく、私は会場から離れるように逃げ出しました。馬車に乗り、アヴェレーナ子爵領へと向かおうとします。しかしその途中、私の乗っている馬車を取り囲むように国の兵士たちが立ちふさがりました。槍を構え、こちらを牽制してきています。その中の一人が前に立ち、突如叫んできました。
「止まれ! メレーナ・アヴェレーナだな!」
「無礼者! 私は貴族ですわよ! あなたの様な下郎に、呼び捨てされる筋合いはありません! 御者、さっさとここを抜けるのです!」
私はそう叫び、御者にこの場を走り抜けることを命令しました。しかし御者は笑うと、そのまま席を立ち、森の中へと走り去っていきました。残されたのは私一人だけに。どうして、どうしてこうなってしまったの? みんなに裏切られて、私はどうしたらいいの?
「大人しく降りてこい。さもなければ……」
「さもなければ何なのです! 降りたところであなたたちの言いなりになるものですか!」
「あーあ、あーあ、これだから馬鹿な女は嫌いなんだ」
と、突然私を罵倒する言葉が聞こえてきました。何者、と思った瞬間、兵士たちが膝をつき始めます。馬車の向こう側から一人の男が現れました。背の高く、オールバックにしている髪はつややかで、着崩している服装が妖しい色気を醸し出しているような、そんな男でした。
「だ、誰ですか、あなたは!」
「俺を知らない? まあ、いいだろう。知らないのであれば仕方がない、教えてやるしかないな」
男はだんだんと近づいてきます。怖い、怖いです。誰か、誰か助けてください。私はなぜかがくがくと震えてしまう体を抑えながら、ひとまず馬車を降りる事にします。ここではなにもできないのですから。私は隙を見て逃げるしかありません。無様であろうが、こうするしかない。
「どうも、お嬢さん、ポーレタリア王国第二王子ヘルクレスだ。以後お見知りおきを」
男が恭しく礼儀をしてきます。しかしその挙動はどこか妖しくて、引き込まれそうになるのを我慢するしかできないような力を感じてしまいました。
しかし、彼は言いましたか? ポーレタリア王国第二王子と……そういえばヘルクレス様といえば……一度肖像画を見たことがあるような……!?
「し、失礼いたしました! ご無礼をお許しください! この通りでございます!」
そうだ、肖像画の顔にそっくりなのでした。恰好こそただの気障な男ですが、その尊顔を忘れたことは一度もありません。私は地べたに膝をつき、ドレスが汚れるのもいとわず、ただ謝罪をいたしました。屈辱ではありますが、第二王子が相手では分が悪すぎます。私は何とかこの場をやり過ごせないか試みますが、ヘルクレス様は思案している素振りを見せて、私をじっと見つめていました。その赤い瞳が怖くて仕方がありません。
「うーん……どうしようかな。国からは弟とヴァルロード公爵の御子息を誑かそうとした悪人としてすでに指名手配されているのだけれども」
し、指名手配ですって!? 私が何をしたというのですか! ただ私は相応しい方と一緒になろうとしただけ。そのための儀式をしただけなのですから。その手段が強引だっただけなのに、なぜ犯罪者扱いされなければならないのでしょう!
そうだ。なにもかも、あの女のせいに決まっています。あの女が第三王子を誘惑してそうさせたに違いありません。そうでなければ私が……。
「理不尽なこと考えているでしょう? まあ、君はもうアヴェレーナの姓も名乗ってはいけないということになっているから、ただの平民なのだけれどね」
「へ、平民!?」
「おや、君の親御さんから聞いていないかい? こんなことをやらかして、勘当を決めたそうだよ? もはや擁護もできないと、父君も母君も言っているそうだ」
そ、そんな。あの父親はまだしも、母にまで捨てられた……? あの母が、私を、捨てた……? そんな、そんなことって……母は私を愛してくれていたのではなかったの? だから傍に置いてくれた、あの家に置いてくれていたのではなかったの?
「哀れだな。何もかも失って、愛する人を失って、犯罪者にまで落ちぶれて。どういう気分だい?」
「……しなさい」
「うーん?」
「殺しなさい! こんな恥を受けるなど、間違っていますわ! いっそ殺してごらんなさい! 私はもう一度、人生をやり直せるはずです! またあの時間に戻って……」
「そんな都合の良い話があると思うのかい?」
冷たい、凍えるような声でした。私は頭を抑えます。もう夢ならば醒めてください。もういやです。もう、もう、もう誰も信じることができない!
「自業自得だねぇ。欲張りすぎるからこんなことになるんだよ。……でもまあ、少しチャンスを上げようか」
「は……?」
私はもう何も考える事ができませんでした。ただ、チャンスと言われて、それに縋ることしかできませんでした。もう何でもいい、助かるのであればなんでも構わない。
「君に指輪を作ったという魔術師、それを教えてくれれば……そうだね、この場は見逃すし、指名手配も取り下げよう。平民と言う立場は変わらないが、生きているだけマシになると思うけれどね」
「……本当ですか?」
「本当だとも。君がどこに行こうが勝手な話さ」
この男が何を考えているのかは理解できません。しかし、私が助かるのであればそれでいい。私が縋るように魔術師の名を教えました。男はうんうんとうなずき、兵士たちを動かします。道が開けました。
「さあ、君はもう用済みだ。どことなり行くといい」
「……私一人では生きていけません」
「じゃあどうしてほしい?」
「メイドでも、いいえ奴隷でもいい! あなたの元で働かせてください! どうか、どうかお願いいたします! 邪魔にはなりませんので……」
私は平民が貴族にするように、頭を地面に付けます。なんという屈辱。しかし、それどころではありません。私の命がかかっているのです。
その時に見た、優越感で満たされているヘルクレス様の顔を、私は二度と忘れないでしょう。ヘルクレス様に対して跪いた私に、彼の靴が差し出されます。
「舐めろ。それが条件だ」
「ひっ……それは……その……」
「ああ、じゃあいいな。適当に生きるがいいさ」
「ああ、待って! 待ってください……舐めます。舐めさせていただきます」
ヘルクレス様の靴を、私は舐めました。自分でもわかるぐらいの卑屈な笑みを浮かべています。まるで、家にいた私に愛想をふるまうメイドたちのような。私はそこまで落ちぶれてしまったのです。
「面白い女だ。じゃあ、少しは役立ってもらおうかな。何ができるかは知らないけれど……まずはその魔術師のところへと連れて行くがいい」
「は、はい……ご案内いたします」
私はそれから彼を連れて、アヴェレーナの領地へと向かいました。席にはヘルクレス様がいて、御者は私です。なぜこんなことになるのでしょう。
私は絶対に許しません。あのエレナ・アヴェレーナを。どんな手を使ってでも、あの女の幸せだけは奪ってみせます。絶対に、絶対に。あの女だけは許しておけません。
待っていなさい。必ずやその顔をふみつけてやりますから。そして、アヴェレーナ、いやこの国に相応しいのはどちらかをはっきりさせてあげます。
しかし、私は知りませんでした。これが破滅への道だということも、私がどういう目に遭うのかも。私には想像することができなかったのです。




