91 岩竜の最期
その先には、長い下りの階段が続いていた。イーアは階段を駆け下り、その先の一本道を進んだ。
開かれた扉がある。イーアはその中へととびこんだ。
大きな広い空間に、巨大な岩竜が倒れていた。
さっきの轟音はこのドラゴンが倒された音だったようだ。
ドラゴンは岩でできた体のあちこちを粉砕されていて、そして、その岩の体のところどころで黒い炎が燃えていた。
ガネンの民を、イーアのお母さんを襲ったあの黒い炎が、今、岩竜の体を蝕んでいた。
ドラゴンはわずかに顔をイーアの方に動かした。
ローブの力でイーアの姿は見えないはずなのに、岩竜モルドーにはイーアのいる場所がわかるようだった。
『懐かしい匂いがするな……』
モルドーはそうつぶやいた。モルドーの目に敵意はない。本当に何かをなつかしんでいるようだった。
『モルドー、だいじょうぶ?』
大丈夫そうではなかった。イーアは治癒の力をもつ精霊を呼ぼうと思って、『友契の書』を手に取った。
だけど、制止するようにモルドーは言った。
『最初にたずねるのが私の心配とはな。だが、助けは無用だ。やさしいウェルグァンダルの子よ。私は確実に死ぬ。この身を焼き続けるは暗黒神の呪炎。この呪炎は対象が死ぬまで燃え続ける死の呪いだ。いかんともしようがない。だが、悲しむ必要はない。私は十分に長く生きた』
イーアは何も言えず、そっとドラゴンの岩でできたほおに手をそえた。
『思い残すはただ一つ。支配者の石板を守り抜く役目を果たせなかったことだけだ』
モルドーがそう言った時、イーアははっとした。
『支配者の石板? それが、白装束の魔導士たちが狙っているもの? 白装束たちがガネンの森から持ち去ったのも……』
岩竜モルドーは優しい声で言った。
『ああ。懐かしい匂いがすると思えば。ガネンの民か。メラフィスの戦い以来だ』
『ガネンの民を知っているの?』
『遠い昔、共に戦った仲間だ。そうか……。ガネンに封じた石板の欠片も奪われてしまったか』
イーアはモルドーにたずねた。
『教えて、モルドー。その石板の欠片は何? わたしは何も知らないの。教えてもらう前に、ガネンのみんなは殺されちゃったから』
モルドーに残された時間も、もうあまりないだろう。黒い炎が燃えているところから、すでにモルドーの体を成す岩がボロボロと崩れはじめていた。
モルドーは残された力をふりしぼるようにして言った。
『支配者の石板……かつて強大な力と技術を持つメラフィスの王がつくらせたもの。あれは、この世界全体から霊力を集め、行使する力をもつ。……だが、その力は、人の世を支配するのみならず、大地から霊力を奪い精霊を害し、世界を崩壊へむかわせるものだった。……それゆえ、我々は、人間達と協力してメラフィスの王を倒し、支配者の石板を破壊した。そして、それぞれの地へと戻り、我々は石板の欠片を封じてきたのだ』
メラフィスの王、それは約1800年前に滅んだという古代王朝の王のことだろう。
つまり、モルドーとギアラド王国の人達、ラシュトとガネンの民は、約1800年前に、他の仲間とともに、古代王朝を倒した。
そして、誰かが再び『支配者の石板』を使うことがないように欠片にわけて、各地で守ってきた。
その『支配者の石板』を、白装束の魔導士たちが、手に入れようとしている。
『じゃあ、その石板の欠片が集められたら、また……』
『世界は破滅に向かうであろう。だが、ガネンの子よ。お前ではあの魔術士には敵わない。先へは行くな。我が配下のものにも、これ以上、無益に血を流さぬよう言ってある。代わりに、頼みがある。私の体が消え去った時、そこに残る後継の岩核を……』
すでにモルドーの岩の体はぼろぼろと砂になって崩れ落ちはじめていた。
『よろしく頼む。ウェルグァンダルの、ギアラドを継ぐ者に……』
言葉だけを残すように、最後に岩竜モルドーの頭が砂になって消えた。
『モルドー……』
イーアは、自分の手の平に残る、かつて岩竜だった、崩れ落ちた砂を見つめた。
「イーア。ここにいる?」
大広間の入り口から、ユウリの静かな声が聞こえた。
イーアは返事をせずに、岩竜の体が崩れてできた砂山の中を歩いて行った。
砂山の真ん中に、丸い岩が一つあった。
その岩はまるで脈打つように見えた。
これが、モルドーが頼むと言っていた岩だろう。
イーアはごつごつしたたまごのような丸い形の岩を持ち上げた。
抱えると脈動が感じられた。でも、この岩はとても重たくて、持ち運ぶことはできそうにない。
「ユウリ。この岩を大事に守ってて。たぶん、ドラゴンのたまごだから」
「ドラゴンのたまご? カバンに入るかな……」
ユウリは魔法のカバンを持ち上げて大きさを確認するように見た。
その時には、イーアはすでにこの大広間の出口に向かって歩いていた。
「わたしは、行ってくる。とめないと。守らないと」
「イーア? 待って……」
ユウリは止めようとした。
だけど、姿の見えないイーアを、ユウリにとめることはできなかった。




