83 慈悲深きドラゴンの話
その晩、イーアはウェルグァンダルの塔に泊まることにした。
そして、ゲオも塔に泊まっていったので、まだ年明けになっていないけれど、イーアはさっそくゲオの補習を少しだけ受けることになった。
リグナムが言う通り、ゲオはとてもいい先生だった。
テストの成績が悪すぎるという理由で教えてもらうことになったのでイーアが申し訳なさそうにしていると、ゲオは言った。
「気にすることはない。成功は自信につながり、失敗は成長につながる。若い頃は失敗を繰り返して進めばいい。それに、精霊語を君ほど自在にあやつれる者は、ウェルグァンダルにもほとんどいない。テストでは測れない力もある」
それを聞いて、イーアはすっかり元気になってやる気がでた。
勉強がひと段落ついたところで、ゲオはイーアにたずねた。
「グランドールの今の召喚術の教員は誰だい?」
「オレン先生です」
「オレン……。オレン……。ひょっとして、あのオレンか」
「知ってるんですか?」
「昔、<見習い>としてここにいたよ。もう40年ほど前のことか。結局、正式な入門はあきらめて、途中で去って行った。別の道に進むのかと思ったが、召喚術はあきらめなかったようだ」
それを聞いて、イーアはふしぎに思った。
なんで、イーアよりずっと召喚術に詳しいオレン先生が入門できなかったのに、イーアが入門を認められているんだろう。
リグナムだって、10年以上ここにいるのに、入門を認められていない。リグナムが入門できないのは、ふしぎに感じないけど。
イーアはゲオにたずねた。
「ウェルグァンダルに入門できるかって、どうやって決まるんですか? 精霊語ですか?」
入門した時にイーアがもっていた能力は、精霊語を話せることくらいだ。
ゲオは考えながら、イーアを見て言った。
「過去しばらくは、一定の召喚術の知識と技術を有していることも条件にしていた。だが、本来の基準は、塔が認めるかどうか、だ。塔が認めそうな者ならば、塔主が声をかける。そう決まっている。今代の塔主は、古の基準に戻したのだろう」
つまり、イーアは召喚術の知識は何もなかったけれど、「塔が認めた」から、ガリがすぐに入門を許可したらしい。……さっぱりわからない。
「塔が認めるってどういうことですか?」
「それは、私の口から説明することではないな。君はいずれ知ることになるかもしれないが。そういえば、この地に伝わる慈悲深き竜の話を聞いたことはあるかい?」
「いいえ」
「これは、この地で語り継がれてきた伝説なのだが。かつて、人々と精霊が絶え間なく争いを続けていた時代のことだ」
「人と精霊が争っていた?」
そんな時代があったとは、イーアには信じられなかった。
「そうだ。今も争いはなくなってはいないが、かつて、人間と、ドラゴンをはじめとする精霊がもっと近い場所に住み、互いに苛烈な争いを続けていた時代があった。その時代に、復讐が復讐をよぶ血の連鎖を憂いた慈悲深いドラゴンがいた。一方、その時代も、人は人の間でも争い続けていた。ある日、人の世の戦火が迫ろうとしていた小さな村の若者が、慈悲深きドラゴンと出会った。慈悲深き竜は、大国に踏みにじられようとしている小さな村の人々、そして、無力さをなげく若者をあわれんだ。慈悲深き竜は若者に精霊を呼ぶ力を授けるかわりに、精霊と人間の争いをとめる手伝いをするようにと言った。そして、若者は慈悲深き竜ウェルグァンダルと約束をかわし、戦火から村を守った。その若者が最初のウェルグァンダルの召喚士だといわれる」
「じゃあ、ウェルグァンダルって、そのドラゴンの名前なんですか!?」
イーアはこれまでウェルグァンダルは地名か何かだと勝手に思いこんでいた。
ゲオはうなずいた。
「その通り。ウェルグァンダルとは、その伝説のドラゴンの名だ。慈悲深き竜ウェルグァンダルは、絶え間ない人間と精霊の争いを終えるためにその身を捧げた。その精神を受け継ぐ者として、ウェルグァンダルの召喚士は人と精霊のかけ橋にならねばならない。そう言われている。それゆえ、その役目を担えるかどうかが、ウェルグァンダルの召喚士にとって、もっとも重要な資質なのだ。君はその資質を持っていると判断されたのだろう」
「だから……」
謎が解けた気がした。
だから、精霊と仲良しのイーアは、ウェルグァンダルの召喚士になる資質があると認められて、すぐに入門できた。
それに、だから、モルドーたちは、ウェルグァンダルの召喚士を特別扱いしているのかもしれない。
(でも……なんでそんな大事な教えを教えてくれないの! ガリは!)
イーアは心の中で師匠に文句を言ってから、ふと気がついてゲオにたずねた。
「そういえば、岩竜モルドーっていうドラゴンを知っていますか? ギアラド王国の守護竜の」
ゲオの表情がすこし変わった。みけんにしわがよっている。何かを警戒するように。
「一般に知られている以上のことは知らない。だが、君が知りたいのはもっとくわしいことなのだろう。ドラゴンについて一番よく知っているのはガリだが……」
「そうですよね」
ドラゴンといえば、ガリ。
しかも、ガリはグランドールの卒業生だ。
ということは、たぶん、ガリはモンペルとも会話をしているだろうし、ひょっとしたらモルドーとも会っているのかもしれない。
なんで、いままでガリにたずねることを思いつかなかったんだろう。と、イーアが思っていると、ゲオはけわしい表情で言った。
「だが、たずねるのなら、他に人がいない時にしたほうがよい。それから、ギアラドについてはあまり人に話をしないように」
「え? なんでですか?」
ゲオは目をふせた。
「この問題はなかなか難しく危ういのだ。うかつにふるまえば大変な事態を引き起こしかねない。君がガリの弟子であるからには。どんなに気をつけても気をつけすぎることはない。私がこのような忠告をしたことをふくめて、誰にも言ってはいけないよ。さて、勉強にもどろうか」
ゲオはそれ以上何も教えてくれなかった。
なんだかとても気になる話だったけど、ガリはその晩、塔にいなかったから、イーアは何も聞けなかった。




