76 召喚契約
双頭の狼は巨大な扉に向かって突進していった。
だけど、その時には巨大な扉はすでにしっかりと閉まっていて、双頭の狼は閉じた扉にぶつかってはね返された。
『侵入者!』『侵入者!』
双頭の狼が扉に向かってしきりに吠えている中、オクスバーンの枝の上でオッペンがふしぎがっていた。
「魔獣、とつぜん逃げてったぞ? どうしたんだ?」
精霊語が聞き取れないオッペンとユウリは状況が理解できていない。
イーアはオッペンとユウリに教えた。
「誰かがあの扉のむこうに侵入したみたい」
「このすきに逃げよう」
ユウリはそう言ったけど、イーアは双頭の狼の様子も侵入者のこともとても気になっていた。
イーアはオクスバーンから降りながら言った。
「ユウリとオッペンは先に逃げてて」
ユウリがぎょっとしたように叫んだ。
「イーア!?」
「狼さんとお話してくる」
「無茶だよ!」
「だいじょうぶ」
イーアは双頭の狼の方へ歩いて行った。
双頭の狼は、見るからにしょんぼりした姿で、扉の前に座っていた。
さっきまでの興奮状態とはすっかり様子がかわっている。
二つの頭も尻尾も地面にむかって垂れ下がっていて、今はイーアのことにも気がつかない様子で、完全に戦意喪失している。
いかつい見た目だけど、精神的に打たれ弱い霊獣なのかもしれない。
双頭の狼の二つの頭は、交互になげいていた。
『あぁ……侵入者、侵入……』『うぅ……任務、失敗……』
今なら、話ができるかもしれない。
イーアはおそるおそる声をかけた。
『だいじょうぶ?』
『オレ、もう、イヤ……』『オレ、家、帰りたい……』
双頭の狼はゆううつそうにつぶやいていた。
さっきまでは狂暴な魔獣みたいだったけど、今はすっかり別の生き物、ただのかわいそうな犬みたいにみえてくる。……体は巨大で顔はふたつあるけど。
イーアはたずねた。
『お家って、扉の向こう? 帰れなくなっちゃったの?』
狼はうなだれたまま、悲しそうな声で言った。
『家はここじゃない……』『家は海のそば……』
『オレ、帰りたい……』『でも、帰れない……』
『海のそば? どこか遠くから来たの?』
グランドールの近くに海はない。
イーアがたずねると、双頭の狼は言った。
『召喚士、オレを呼んだ』『召喚士、死んだ』
『オレ、帰れなくなった』『それから、ずっとここ』
(召喚士……?)
イーアはこれまで双頭の狼は元々この地下に住んでいる霊獣なのだと思っていた。
だけど、どうやら双頭の狼は、もともと召喚獣としてここに召喚されたらしい。
召喚士が死んだら、普通、召喚獣は元の世界に帰るけれど、魔道具が壊れていると元の世界に戻れないことがある。という話を、イーアはオレン先生の授業で聞いたことがあった。
双頭の狼は交互につぶやくように言った。
『モルドー様、敵だったのに、オレを助けてくれた』『モルドー様、とってもえらい方。だからオレ、働く』
双頭の狼は、召喚士が死んだ後、助けてくれたモルドーに感服して、モルドーのために働くことにしたらしい。
モンペルもモルドーのことを尊敬しているみたいだったし、きっとモルドーは立派なドラゴンなんだろう。
『でも、オレ、失敗ばっか……』『うぅ、オレ、ダメなやつ……』
『もう、帰りたい……』『でも、帰れない……』
『あぁ、もう一度、海の音を聞きたい』『うぅ、もう一度、魚食べたい』
すっかり意気消沈した双頭の狼は、なげきながら力なく地面に伏せた。
かわいそうだったから、イーアは『友契の書』にたずねた。
『友契の書。この子を家に帰らせることはできる?』
『友契の書』からいつものように淡々とした声が聞こえた。
『通常は無理です。召喚契約書があれば、あるいは可能かもしれませんが』
『召喚契約書……。狼さん、その召喚士ってどこで死んだの?』
双頭の狼は伏せったまま、やる気なくぼそりと言った。
『この辺。どこか』『忘れた。あいつ、嫌い』
双頭の狼を召喚した召喚士はこの辺りで死んだらしい。
なら、<召喚契約書>があるとすれば、この辺りのはずだ。
『アプタン、お願い。この辺に、本や死体がないか探して』
イーアが呼ぶと、アプタンが数人あらわれ、すぐに猛スピードで辺りをかけめぐった。
アプタンたちが、壁ぎわでとびはねながら叫んだ。
『あったよー!』
『うわぁ、巨人のガイコツだぁ!』
『ありがとう!』
イーアはお礼を言って声が聞こえた方へ走った。
その様子を見て、ユウリもイーアの後を追ってきた。
壁の近くに、大きな岩がたくさん転がっていた。
そして、その岩の影に人骨があった。布や靴の残骸も残っている。
イーアの後ろで、ユウリがつぶやいた。
「これが、地下で行方不明になった先生の……?」
「そうかも。召喚術の先生だったんだね」
イーアは近くに召喚の道具がないか探した。
すこし離れた岩の上に、きらりと光る召喚具が見えた。
金属製の召喚具が表紙に装着された<契約の書>だ。
イーアはかけより、<契約の書>を手に取ろうとした。
だけど、その<契約の書>は、ほとんど朽ち果てていた。
イーアがふれると表紙の革はぼろぼろと崩れ落ち、折れ曲がった金属製の召喚具が下に落ちていった。
中に束ねられていた<召喚契約書>も大部分がすでにボロボロになっている。いまにも粉々になって消えてしまいそうだ。
『友契の書。どうすればいい?』
『上に本書をおいてください』
イーアは言われた通り、『友契の書』を<召喚契約書>の束の上に置いた。
『どう?』
『かろうじて情報を読み取れます。双頭の炎氷狼オルゾロ……生息地エルテア島……』
『友契の書』はしばらくブツブツ言っていた。そして、最後に言った。
『必要な情報の複写が完了しました。召喚士イーアとの契約が成立すれば、オルゾロをエルテア島に戻すことが可能です』
『よかった。狼さん、お家に帰れるって!』
イーアが狼の所に戻りながらそう叫ぶと、双頭の狼オルゾロはふたつの顔をあげた。
『友契の書』の冷静な声が聞こえた。
『召喚士イーアとの契約がなければ、無理です。双頭の炎氷狼オルゾロ。召喚士イーアとウェルグァンダルの召喚契約を結びますか? この契約はいつでも破棄可能です。契約条項の改訂も行えます。召喚契約の詳細はこれから……』
オルゾロは最後まで聞かずにほえるように言った。
『オレ、契約する!』『オレ、帰りたい!』
『友契の書』から声が響いた。
『契約成立。オルゾロの生息地はエルテア島でまちがいありませんか?』
『家、エルテア島』『エルテア島の洞窟』
オルゾロが答えると、『友契の書』はイーアにたずねた。
『召喚士イーア、オルゾロを生息地へ帰しますか? これには魔力を消費します』
『うん。帰らせてあげて』
イーアがそう言った次の瞬間、大きな双頭の狼の姿が、目の前から消えた。




