3-35 出立
転移先は無人の林の中だった。
ここがどこだかイーアには見当もつかないけれど、人の気配はなく、小鳥の鳴き声だけがたまに響く静かな林だった。
ユウリは頭を抱えるようにして言った。
「まさか、イーアがギルフレイ卿の子のアラムになってるなんて。ぼくはもう少しで取返しのつかないことを……」
ユウリの強い後悔の理由を理解しないまま、イーアは手の中の、支配者の石板の欠片を見つめてつぶやいた。
「でも、もうすぐ元の体に戻るよ」
アンドルから渡されたこの石板の欠片は、きっと、ガネンの森から奪われた石板の欠片だろう。
イーアが元の体に戻り、これをガネンの森の祭壇に戻せば、アラムは元に戻れる。
自分の体に戻るということが何を意味するかは、考えたくないほどによくわかっていたけれど、イーアはもう決意していた。
ユウリは顔をあげ、たずねた。
「イーアは、これからも<白光>と戦い続ける?」
何か月ぶりかに会ったユウリは、前よりずっと大人びてみえた。
幼い子どもの頃の、天使のような無垢なかわいらしさの名残りは、バララセに行く前にすでにほとんどなくなっていたけれど、今はもう完全に消え、どこか冷たい陰さえ感じさせる美しさに代わっていた。
声を聞けば以前と変わらないユウリだとわかるけれど、その声自体も以前とは変わっている。毎日一緒にいるときは変化に気が付かなかったけれど。
イーアは支配者の石板の欠片をしまいながら、うなずいた。
「支配者の石板を<白光>から守らないと。じゃないと、人間も精霊もみんな滅んじゃうから」
その決意は、はじめから決まっていた。
ユウリはいつも通りの落ち着いた声で言った。
「なら、ぼくはこのまま<白光>への潜入を続けるよ。その方が、役に立つ情報をつかめるから」
「<白光>に!?」
ユウリが<白光>に入団していたなんて、イーアは想像もしていなかった。
「うん。<白光>に入ったんだ」
「大丈夫? <白光>は……」
<白光>は危険だ。<白光>にはただ強大な力を持つ魔導士たちがいるだけではない。その危険さをイーアは今、前よりもよく理解していた。
「ぼくは大丈夫。やめる方が難しいんだ。それに、多少あやしい行動をとっても、師匠がぼくを守ろうとするはずだから。いまいましいけど、利用できるものは利用させてもらう」
最後の方を、ユウリは顔をゆがめて言った。
ユウリが誰かをそんなに強く嫌っているのを、イーアはたぶん初めて見た。ちょっと嫌いなくらいじゃ、ユウリは表情にださない。
だから心配になったけれど、イーアは何も言わなかった。
「イーアこそ気をつけて。石板のことだけじゃなくて、<白光>は今、「帝国に滅亡をもたらすダークエルフ」という存在を探して殺そうとしている。死んじゃったイーアがそのダークエルフのはずはないと思っていたけど……」
イーアはうなずいて、きっぱり言った。
「きっと、わたしのことだね」
ガリによれば、イーアは半分エルフらしい。それに、帝国に滅亡をもたらす、という言葉にも、お母さんの話を聞いた今は、心当たりがあった。
イーアはつぶやいた。
「帝国の滅亡……そんなつもりはなかったけど、未来はそうなるのかも」
お母さんが願っているような新しい世界をつくることなんて、イーアにできるとは思えなかった。
だけど、今日見た群衆は、新しい国を求めていた。
アグラシアは今、大きく変わろうとしている。
その手助けなら、できるかもしれない。
ユウリは迷いのない声で言った。
「ぼくは気にしない。何が滅ぼうと。イーアの敵はぼくの敵だ。帝国だろうと、<白光>だろうと」
ユウリは転移水晶を取り出しながら言った。
「イーア。これからは、しばらく会えなくなるかもしれないけど」
「うん。会えなくても、心はずっといっしょだよ」
ふたりはうなずきあった。これ以上、言葉は必要なかった。
それぞれが行くべき場所に向かうため、ユウリは転移水晶をにぎり、イーアは『友契の書』をつかんで言った。
『友契の書、わたしをウェルグァンダルへ』




