3-32 黒い太陽
イーアの方にむかって歩いてくる少年は、マーカスにそっくりだった。
でも、マーカスがここにいるはずがない。
マーカスはギルフレイ卿に騙されて、グランドールの地下で命を落とし、紫色のチルランになってしまったはずだ。
(誰かが、支配者の石板の欠片を祭壇にもどしてマーカスを復活させた?)
でも、誰が?
あの石板の欠片はイーア達が保管している。まだ誰にも奪われてはいないはずだ。
そんなことを考えている間に、マーカスはどんどんとイーアの方に近づいてきた。
「マーカス!」
イーアが呼んでも、マーカスは返事をしなかった。
ただこちらに向かって歩いてくるだけだ。
イーアはマーカスの方に向かった。
「マーカス! いつ元に戻ったの?」
イーアは自分が今、アラムの姿だということは忘れていた。
手で触れられるほど近くまでマーカスに近づいた瞬間、イーアは気が付いた。
これは、マーカスじゃない。
人間じゃない。
とても精巧につくられた人形だ。
「マーカスの、魔動人形……?」
なんでそんなものがあるんだろう、とイーアが思った時。
マーカスそっくりな人形が、イーアに抱きつこうとするように両手をあげた。
その次の瞬間、激しい爆発が起こった。
爆発の砂埃がおさまったとき、マーカスの人形はもうそこになかった。
人形の爆発は、周囲にいた人も出店もすべて木っ端微塵に破壊した。辺りにいくつもあった屋台は消えていた。
それは、アラムの肉体を骨すら粉砕して即死させるのに十分な威力だった。
あの距離で爆発をくらっていれば。
イーアは全てが一瞬で吹き飛ぶ光景を、透明な魔法障壁ごしに、呆然と見ていた。
強力な魔法障壁が爆風や破片を完全に防いでくれていた。
そして、気が付いた時にはイーアは離れたところに移動していて、イーアを、いやアラムを、アンドルが自分の背を壁にするように抱きかかえていた。
突然の爆発に呆然としながらも、イーアは気がついた。
さっきの爆発は終わりではなく始まりに過ぎなかったことに。
人々は爆発から逃げるように走っていたけれど、あえてこちらに向かって近づいてくる人影があった。
マーカスそっくりな魔動人形がこちらに向かってくる。
それも、一体だけではない。
いつの間にか、広場には何体ものマーカス人形が出現していた。
人形の数は、5、6、いや、もっと、とっさに数えきれないくらいあった。
あちこちの方角から、沢山のマーカス人形たちが、一斉にこっちに向かって近づいてくる。
アンドルが片手をあげた。
すると、何体ものマーカス人形たちが一瞬で魔法の檻のようなものに包まれ、空中に浮かび上がった。
魔動人形を捕えた透明な檻には雷のようなものが走っていて、小声でアンドルが魔導語の呪文を唱えていた。
アンドルが手を閉じた。その瞬間、マーカス人形たちは雷で焼かれ、透明な檻の中で激しく爆発していった。
激しい爆発で人形は粉々になって消えていったけれど、魔法の檻の外に爆風がもれでることはなかった。
イーアはアンドルの肩ごしに周囲を見渡した。
マーカス人形の姿はもうない。
すべてアンドルがさっきの一撃で始末したようだった。
どうやって沢山の魔動人形を探知して捕獲したのか、あの魔法が何だったのか、イーアには見当がつかない。
ギルフレイ卿アンドル・ラウヴィルは相変わらず恐ろしいほどに強かった。
今は恐怖は感じず、むしろ絶対的な安心を感じてしまったけれど。
マーカス人形の爆発は、普段だったら大事件になったはずだけど、大混乱さなかの王宮前広場で、爆発に注目している人はほとんどいなかった。
抗議活動をしていた群衆は今はみんな広場から逃げ出そうとしていた。でも、広場の出入り口付近は障害物でふさがれ、待ち構えた警官隊が逃げようとする民衆を逮捕していた。
ところが、今、その警官隊がまるで何か指示を受けたように、撤退を始めた。
何かよくないことが起きそうな予感がする。
イーアは周囲をよく観察した。
王宮前広場の上空はすでに大怪鳥オーロガロンが支配していた。
だけど王宮門の上空に数人の魔導士がいるのが見える。
まるで何かを待っているようだ。
一斉攻撃か何かの準備が進んでいる気配を、イーアは感じ取った。
広場の中にはまだ大勢の人がいた。
火の塊に焼かれ、あるいは、氷の矢に貫かれ、苦し気に倒れている人達もいる。
これ以上犠牲者がでるのを見るのは耐えられない。
『友契の書、オーロガロンを帰還させて』と、イーアはささやいた。
オーロガロンを帰還させた後、ティロモサを呼んで王宮警備隊を一掃するつもりだった。
ティロモサは手加減なんてできないから、警備隊に大きすぎる被害を与えるだろうし、広場にいる人達も巻き添えをくうかもしれない。
だから、呼ぶのを避けていたけれど、このままだともっと悲惨なことが起きそうだと、イーアは感じていた。
オーロガロンたちはすぐに姿を消した。
だけど、イーアがティロモサを呼ぶ前に、アンドルの手がイーアの手を包みこむようにつかんだ。
自分の体とローブで覆い隠すようにしたまま、アンドルはイーアの手の中に、何か石のようなものを押しこんだ。
その石が何か、イーアはつかんだ感触で分かった。
「アラムをたのむ」
そう言うと、アンドルは立ち上がった。
アンドルが立ち上がったのとほとんど同時に王宮前広場全体が何かの魔法で包まれていった。
たぶん、障壁魔法だと、イーアは感じ取った。
アンドルはほとんど一瞬で広場全体を包みこむ巨大なドーム状の障壁を張っていた。
イーアが何かを言う前に、アンドルはすでに上空へと飛翔していた。
ほとんど同時に、背後からイーアを呼ぶ声が聞こえた。
「イーア!」
イーアが声に気が付いて振りかえった瞬間、青ざめた顔のユウリがしがみついてきた。
「ユウリ? なんでここに?」
アラムになってから、一度もユウリには連絡をとっていなかった。だから、知るはずがない、いるはずがないユウリが突然あらわれて不思議に思ったけど、でも、イーアは驚きはしなかった。
どこかで、ユウリならいずれ自分を見つけるような気がしていたから。
「イーア。無事でよかった……」
その瞬間、巨大な炎の壁がひしゃげた王宮門の傍に出現した。
巨大な炎の壁が王宮側から広場に向かって、津波のように流れてくる。
あの炎はきっと、王宮前広場にいた沢山の人達を一瞬で焼き殺していただろう。
アンドルが張った魔法障壁がなければ。
魔法障壁の中には炎は入ってこなかった。障壁の上、頭上全体を炎が覆っていく。まるで空全体が炎になったように。
炎の天井を見上げながら、イーアは呆然とつぶやいた。
「こんな炎魔法……」
「きっと警備隊が王宮を守るための魔法を起動したんだ」
冷静にそういうユウリにイーアは叫んだ。
「こんな魔法が使われたら、広場にいる人、全員、死んでたよ! アンドルがいなかったら……」
アンドルが張った障壁魔法のおかげで、広場にいた人々は誰一人傷つかなかった。
ただ、障壁の外にでていた、広場のはずれの石造りの背の高い建物は上部が炎に飲まれ、火の手があがりだした。
帝都は燃え始めていた。
イーアは上空を見ながらつぶやいた。
「アンドルは……?」
アンドルはあの巨大な炎の津波が襲ってきた時、すでに障壁魔法の外にいたはずだ。
直撃を受けていてもおかしくはなかった。だとしても、それくらいで死ぬ魔導師ではないけれど。
アラムの青い光は、アンドルを追いかけるように空にむかって浮きあがったところで、炎に覆われた天井を前にどうしようもなくて留まっていた。
やがて上空を天井のように覆っていた炎が消え、青い空が見えた。
青空の中に黒いものが見えた。
空に浮かぶアンドルが黒い炎に包まれていた。
王宮門の上にいた警備隊の将校のような人と数人の魔導士も、黒い呪炎に体を焼かれてもがくように苦しんでいた。
たぶん、さっきの巨大な炎攻撃がアンドルへの攻撃だと判定されて、暗黒神の呪炎の反撃を受けてしまったのだろう。
彼らはもう死を待つことしかできない。
アンドル自身は何もせず、ただ虚空に浮いていた。
暗黒神の呪炎はその体を覆い、肉体を激しく燃やしていた。
ユウリがつぶやいた。
「暗黒神の呪炎が術者自身を襲っている? ……裏切りの代償?」
「どういうこと?」
ユウリは冷静な声で説明した。
「きっと契約で裏切れば呪炎で自分が焼き殺されるようになっていたんだ。絶対に<白光>を裏切らないように。でなきゃ、裏で魔女の子とさげすまれているギルフレイ卿が、あれだけ大きな力を与えられるはずがない。でも、何が裏切りとみなされたんだろう。帝国に抗議する民衆を守ったから? いや、イーアを守ったから?」
それだけじゃない。
イーアは手の中の石の冷たい重みを感じた。
支配者の石板の欠片を、敵に渡した。
それは何より明確な<白光>と帝国への裏切りだ。
たぶんアンドルは、この石を渡せば呪炎の自分自身への攻撃が発動するとわかっていたのだろう。
だから、アラムを巻きこまないように即座に離れ、空へむかったのだ。
(アンドルを助ける方法……)
あるはずがなかった。助かる方法があったら、アンドルが自分で対策をとっている。
アンドルはこのまま呪いの炎に焼き殺される。
憎い仇が死んでいく様が眼前にあるのに、イーアは少しもうれしくなかった。
怒りなのか悲しみなのか悔しさなのか、何もわからないけれど、なぜか涙があふれてきた。
イーアは空に向かって叫んだ。
「勝手に死なないでよ! まだ文句も言ってないのに!」
呪いの炎の勢いはさらに増し、アンドルの姿を球状に覆い隠した。
地表で民衆が続々と広場の外へと逃げていく中、王宮近くの空のただ中で、黒い太陽のように呪いの炎が激しく燃え続けていた。
やがて呪炎は術者を、アグラシア帝国を支える偉大な魔導師と呼ばれた男を完全に燃やし尽くし、黒い炎の残り火が空に消えた。
青い空には、何も残っていなかった。
ただ空が見えるだけだ。
今はもう逃げていく群衆の数もまばらになっていた。
ユウリが転移水晶を手に持ち、立ち尽くすイーアに声をかけた。
「行こう。ここで捕まったら面倒だ」
イーアは何もない空を最後にもう一度見てうなずき、空中に浮かぶ青い光に呼びかけた。
「アラム、行こう。もとの体に戻ろう」




