3-19 アンドルの話
イーアが連れていかれたのは、天井近くの壁に額縁に入った肖像画が並ぶ部屋だった。
この館の中でも特に豪華な調度品がそろった部屋だけど、今は室内には他に人はいない。
室内だけでなく、この部屋の近くには使用人のひとりもいない気がする。
ギルフレイ卿が誰も近づかせないようにしているのだろうか。だとすれば、それは何を意味するのだろう。
ギルフレイ卿は、壁に並ぶ肖像画に目をやり言った。
「ここに並んでいる肖像画は歴代のギルフレイ侯爵のものだ。この館の中には、侯爵家一族の絵や写真が数多く保管されている。だが、我々には、ここにはいない祖先もいる」
ギルフレイ卿はそう言って椅子に座り、イーア……アラムにも、テーブルの向こうの席に座るようにうながした。
イーアは黙って椅子に座った。
イーアがギルフレイ卿と正面からしっかりと向かいあうのは、初めてだった。
ギルフレイ卿ことアンドル。アラムの父、イーアの伯父で、そしてイーアの両親と祖父母、村の皆の仇。
ギルフレイ卿はいつ見ても、生まれてから一度も笑ったことなんてなさそうな険しい表情で眼光鋭かった。元々の整った顔立ちが厳格そうな雰囲気をなおさら増していて、そして、暗黒神の呪炎のせいなのか魔力の強大さなのか、近くにいるだけで知らずに足が震えだしそうな強烈な威風を放っていた。
だけど、今はアンドルの表情は奇妙に穏やかだった。うわべだけ見れば今は息子と家族としての時間を過ごしているのだから、当然といえば当然だけど。
だけど、本当にアンドルは目の前にいるのがアラムだと騙されているのだろうか?
今のイーアの瞳はきっとありえないほどに敵意と怒りに満ちている。
それに、アンドルの表情の奥にはどこか生きることに疲れ切ったような沈鬱さが見えた。
アンドルは再び口を開いた。
「ここにはいない祖先。例えば、俺の母、お前の祖母フィネヴィアだ」
(おばあちゃん……?)
イーアやアラムが生まれる前に殺されてしまったという祖母。アンドルとミリアの母。
ギルフレイ卿は一枚の写真をテーブルの上に置いた。
そこには、ほとんど銀色に見えるプラチナブロンドの長い髪をもつ、とても美しい女性がまだ幼いふたりの子どもと一緒に写っていた。
以前、バルゴに子どもの頃の写真を見せてもらっていたイーアはその子どもたちがアンドルとミリアだと一目でわかった。
フィネヴィアは色白なアグラシア人女性で、アンドルは明らかに母親似だった。
アラムにはフィネヴィアと少し似ているところもあるような気がしたけれど、イーアにはフィネヴィアと似ているところは見当たらなかった。
でも、フィネヴィアの目元はどことなくイーアのお母さん、ミリアと似ているような気がした。
イーアが写真に見入っていると、アンドルはゆっくりと話しだした。
「母フィネヴィアは美しく聡明な魔導士だった。少々きついところがあって、ひどく叱られたこともあったが……俺達を心から愛していた。望まれて生まれたわけではない俺すらを。そして、母は人々のために魔術を使った立派な魔導士だった。フィネヴィアの名は魔導士の歴史には残らない。だが、歴史に残る名だたる魔導士に負けぬ魔導士であり、あの壁に並んでいる侯爵の誰よりもすばらしい人間だった」
テーブルの下で、青いチルランがポケットから出て、イーアの足の上に浮かんで、いっしょに話を聞いているように静止していた。
アンドルは何かを考えこむように、思い出したくないものを思い出しているように、しばし沈黙した後、ふたたび話しだした。
「だが、フィネヴィアは殺された。母が殺された時、俺は復讐を誓った。何を犠牲にしてでも復讐を果たそうと誓った。だが、俺には才能がなかった。妹のミリアは魔術の天賦の才に恵まれていたが、俺にはなかった」
お母さんのミリアの名前が出て、イーアは思わずアンドルを見た。「お母さんを殺したくせに……」と言いたいのをぐっと我慢して、イーアは話を聞き続けた。
「ミリアはおそらく同世代の中でアグラシア一の才能を有していた。母と同じく表の歴史に名は残らないが、ミリアは偉大な魔導士だった。俺はミリアには絶対に勝てなかった。何をしてもいつもミリアは一枚上手で、俺は失敗するたびにミリアに助けられてきた」
イーアはこれ以上アンドルの話を聞きたくないと思いはじめていた。
憎い仇、魔王のような、人間ではない存在だと思い続けてきたギルフレイ卿が、ひとりの人間、ミリアの兄アンドルに見えてきたから。
今のアンドルは、あの恐ろしい<白光>の魔導師と同じ人物には見えなかった。
「俺は努力で一流の魔導士にはなれたが、それでは足りなかった。もっと大きな力が必要だった。そして復讐のために力を欲していた俺に、古代魔術の師ウラジナルがある契約を教えてくれた。史上最も魔術が発展したメラフィス王国で信奉され利用された古の神々のひとつである至高神との契約。<契約>と<代償>は古代魔術ではよく使われる技術だが、その神はほかの古代神よりも大きな力を与えてくれるという。俺はその神と契約を結び、力を得た」
(なんで、こんな話をするの?)と心の中で疑問に思いながら、イーアはたずねた。
「それが、あの呪いの炎?」
「そうだ。至高神の別名は暗黒神。無限の魔力と呪炎を得る代わりに、俺は暗黒神と<白光>への絶対的忠誠を誓った。だが、それはただの忠誠ではなかった。むしろ洗脳に近い。あの瞬間から、感情の一部が消え、すべては絶対的忠誠のための思考に置き換わった。任務を遂行するためなら、誰を殺そうと構わない。そう心から信じていた。そして、この手で数えきれないほどの命を奪ってきた。俺はミリアの命すら奪った。謝っても謝り切れない」
(謝ったって、許さない!)
イーアはそくざに心の中で叫んでいた。
アンドルの後悔は本心だとわかっていた。
過去を見たイーアは、すでにこの目でうなだれるアンドルの姿を見ている。
少なくともお母さんを呪炎で殺してしまったことはわざとではなく、アンドルにとっても辛いことだったのだろう。
だけど、殺されたのはお母さんだけじゃない。
アンドルが後悔したからといってイーアの怒りが消えることはない。
洗脳だった。殺すつもりはなかった。後悔している。だからゆるしてほしい。
そんなことをどれだけ言われたとしても、イーアは、ゆるせない。
家族を、ガネンの森のみんなを殺された事実は変わらない。
気持ちがいっぱいになりすぎて、イーアは、青いチルランがふよふよとテーブルの上に上がってきていることにも気が付かなかった。
「アラム。お前が眠り続けていたのは、俺のせいだ。死の呪いの回避に失敗し、呪いがお前にいった。長い時を奪ってしまった。すまない」
そう言うアンドルの視線は、さっきまでとは違い、イーアではなく青いチルランを見ているように思えた。
「俺がお前に残す禍根は大きいだろう。だが、できれば自由に生きてくれ。アラム。話はこれだけだ。その写真はお前のものだ」
そう言って、イーアのお祖母ちゃんが写った家族写真をテーブルに置いたまま、アンドルは立ち上がった。
立ち去るアンドルの背中に、イーアは心の中で叫んでいた。
(だからって、ゆるさない!)
ゆるせはしない。
たとえアンドルが悪魔でも魔王でもなく、ただの哀れな人間にすぎなかったとしても。




