3-18 準備完了の報せ
ラグチェスター校でアラムのふりをして勉強しながら、ガネンの森に行ってはお母さんとおしゃべりをする。
そんな、奇妙に平穏で幸せな日々が続いていた。だけど、冬休みが始まってイーアは学校からアラムの家、つまりギルフレイ卿の邸宅に戻った。
(この家にいると、お母さんに会えないなー。何か理由をつけて町に行こうかな。……でも、ひとりにはなれないか。アラムにはいつも召使いの人がついてくるもんね)
イーアがアラムの部屋でそんなこと考えていると、窓を叩く小さな音が聞こえた。
窓の外に小鳥がいる。
どこにでもいそうな地味な、注意しなければ気が付かないような存在感のない小鳥。
(ケピョン……。そういえば、ヤララに全然連絡してなかった)
イーアが窓をあけると、小鳥は中に入ってきて、ケピョ、ケピョ、と鳴きだした。そして、ヤララの小声が聞こえた。『今、大丈夫?』
『うん、たぶん、だいじょうぶだよ』
『伝言。こっちの準備はできたって。そっちは?』
どうやら、ガリがイーアの体の修復に成功したらしい。これで、準備は整った。
あとはフーシャヘカに頼めば、イーアはもとの体に戻ることができる。
だけど……イーアを元の体に戻したら、お母さんが消えてしまう。
イーアは、気が付いた時には答えていた。
『まだ。まだだめ』
イーアの心は、まだ準備できていなかった。
何も知らないヤララは、まだカゲが見つかっていないのだと受け取って、『準備できたら、教えて』と言った。
ケピョンは再び窓の外にでていって、飛び去った。
ふよふよと室内を飛ぶ青いチルランを見ながら、イーアは思った。
(まだ、いいよね。このままで)
今、イーアが元の体に戻っても、アラムをこの体に戻すことはできない。ガネンの森から奪われた石板の欠片が手に入らないのだから。
アラムをもとに戻せない状態でイーアがこの体から出ていったら、アラムはまた寝たきりの状態に戻ってしまう。
そしたら、またアラムのお母さまは悲しんでふさぎこんで、みんな不幸せになるだけだ。
だったら、このままの方が、みんなのためだ。
そんな言い訳を、イーアは心の中で作っていた。
毎日アラムのふりをしなくちゃいけないのは大変だし、イーアは自分の人生を生きていない感じがする。
それでもイーアは、お母さんと会って話せるこのままの状態でいたかった。
どうせバララセ総督のギルフレイ卿はめったに帰ってこない。
メイドたちの話によれば、バララセに飛ばされる以前からずっと、少なくともアラムが意識を失ってからはずっと、ギルフレイ卿はこんな感じで、年に数回くらいしか館に帰ってこないらしい。
だから、きっと、正体がバレることもないだろう。まだ大丈夫。
だけど実はこの前フーシャヘカに、「あまり長く棺の外で時間をすごすと、イーアさんをもとに戻す魔力が足りなくなってしまうかもしれません。まだ大丈夫ですが、もうそろそろ」と言われていた。
フーシャヘカの魔力が足りなくなったら、イーアはもう元の体に戻れない。
そうなれば、アラムも元に戻れず、一生、チルランのままだ。永遠にしゃべることすらできないチルランのままでいるなんて、ひどすぎる。
だけど、(それでもいい。お母さんが消えちゃうのはイヤ)と、イーアはつい思ってしまう。
わがままなのは、自分勝手なのは、わかっている。
アラムの、青いチルランの姿を見るたびに、心が痛む。
お母さんだって、そんなことは望んでいない。イーアの体の治療が終わったと知れば、お母さんはすぐにイーアを元の体に戻そうとするだろう。
それでも、イーアはお母さんと別れたくなかった。
(お母さんに会いに行こ。庭に出て、どこか、人のいない場所を探さなくちゃ)
そう思って、イーアは部屋を出て廊下に出た。
そして、いるはずがないと思っていた人物と遭遇してしまった。
銀色の髪の長身の男が、廊下をこちらに向かって歩いてくる。
いつのまにかギルフレイ卿が館に帰っていた。
(そっか。もうすぐ冬至祭だから、帰ってきたんだ……)
冬至祭は普通、家族と過ごすものだから、考えてみれば当たり前だった。
7年ぶりに一人息子が目覚めて初めて過ごす冬至祭に家に帰らない父親なんてありえない。
少なくとも、アラムのお母さまはそう思うはずだから、ギルフレイ卿に帰ってくるようにお願いしていたはずだ。
「アラム、話がある」
ギルフレイ卿に低い声でそう言われた瞬間、イーアは、逃げるべきか迷った。
ガリは一目でアラムの中にイーアがいることを見抜いた。
ガリの目、たぶんガリの解析魔法が、異常にすぐれているのかもしれないけれど、ギルフレイ卿だって一流の魔導師だ。帝国史に残る偉大な魔導師の一人とすら言われている。
アラムの体の中にいるのが本物のアラムではないことに、ギルフレイ卿がすでに勘づいていてもおかしくはない。
さらに長時間面と向かって話せば、完全に見破られるかもしれない。
むしろ、バレない方がおかしいだろう。
だけど、今、逃げたりしたら、その瞬間に間違いなくアラムではないことがバレる。
それに……イーアの心のどこかで、バレてもいい、むしろ自分が誰なのか面とむかって言ってやりたいという気持ちが渦巻いていた。
面と向かって堂々と「わたしはお前が殺したガネンの民の生き残りだ!」「お前が殺したミリアの娘だ!」と叫びたくなる。
実際に命がけでそんなことをするほどバカではないけれど。
イーアは心の中の恐怖も怒りも迷いもすべて押し隠して、アラムのふりをして冷静に答えた。
「はい。父上」
ギルフレイ卿が背をむけて歩き出すと、イーアはふよふよと廊下に浮いていた青いチルラン、本物のアラムを、こっそりポケットの中にいれた。
歩きながらイーアは、1年前の冬至祭の日のグランドールの地下大鍾乳洞を思い出していた。
ギルフレイ卿とマーカスたちの後を、ローブの中にかくした青いチルランとふたりでこっそり追いかけた時のことを。
あの時の死と背中合わせの感覚を。
あの時、青いチルランは一度、ギルフレイ卿を追いかけようとした。あれは、アラムが自分の父に気が付いたからだったのだろう。
でも、あの時、結局、青いチルランはイーアの指示に従って、その後もイーアとずっと一緒にいる。
なぜアラムは自分の父に助けを求めることよりも、イーアを選んだのだろう。
いったいアラムはどんな気持ちでいたのだろう。
青いチルランの正体を知ってから、イーアは何度か不思議に思った。
だけどチルランは話せないから尋ねたとしても何も教えてはくれない。
(アラムとおしゃべりしたいな)
矛盾しているけれど、イーアは時々そう思った。
ギルフレイ卿は重たそうなドアを開けてイーアを室内に通し、ドアを閉めた。




