2-9 任務
ある日、イーアがヤララの部屋に行くと、ドアがちょっと開いていて、中からヤララとガリの声が聞こえてきた。
『オーロガロンの件、ンワラデがイーアを応援によこせって。どうする? まだ早いよね?』
イーアは廊下で首をかしげた。
(ンワラデ……?)
ンワラデという召喚士を、イーアは知っていた。年始の儀の日に会ったから。
その日、イーアが食堂で準備をしていると、入り口に召喚士があらわれた。
たぶん30代か40代くらいの男の人で、肌の色はイーアと同じくらいに黒く、髪の毛は剃り上げていた。
その人はイーアを見ると、声を震わせながら言った。
「まさか、あなたが新しい入門者ですか?」
「はい? そうですけど……」
イーアがふしぎに思いながらそう答えると、その召喚士はつかつかと広間に入ってきて、とつぜん、イーアの手を両手でつかんだ。
「いやぁ、すばらしい。噂に聞くガリの初弟子が我が同胞バララセ人であったとは」
その召喚士は、なんだかおおいに感動しているみたいだったけれど、イーアは困った。
「あの……」
「私の名はンワラデ。以後お見知りおきを」
ンワラデはイーアの手をはなして優雅にお辞儀をした。
「わたしはイーアです。よろしくお願いします」
「イーアさんのご出身はどちらで?」
「わたしは西部のオームで育ちました」
「アグラシア育ちでしたか。バララセに行かれたことは?」
「ないです。いえ、小さい頃住んでいたかもしれないけど、どこなのかわからなくて……」
ガネンの森はどこにあるのだろう。
イーアはしゃべりながら思った。なんとなく、バララセ大陸のどこかにありそうな感じはするけれど、まったく見当がつかない。
それに、ティトの話によれば、ガネンの森は普通は人間が来ることのない精霊の住む場所、つまり人界からみると異界にあるらしい。
「ぜひ、我らが祖国、美しきバララセにお越しください。とはいっても、バララセは広大な地、何千もの部族が住んでおり、ところによりまったく風情が異なりますが。私はバララセ北東に住むマデバ族の首長でして。バララセにお越しの際にはぜひ声をかけてください」
あの日、ンラデワはそんなことを言っていた。
そんなことをイーアが思い出していると、ドアの向こうからガリの声が聞こえた。
『今のままでは行っても戦力にならない。こいつは行きたいと言うかもしれないが』
突然、ドアがあいて、ガリが廊下にいるイーアをじろりと見た。
イーアは部屋の中に顔をいれてあいさつをした。
『ヤララ! こんにちは!』
『ひ、ひぇっ! 勝手に入ってこないで!』
ヤララは両腕で顔を隠してそう叫んだ。
ヤララの部屋の中にはたくさんの霊鳥がいて、手紙を受け取るポストがたくさんあって、とてもごちゃごちゃしていた。
『ご、ごめん……』
イーアは部屋の外にひっこんだ。それから、イーアは廊下からガリに言った。
『ちょうどバララセに行きたい用事があって……ガリの部屋で話していい?』
ガリのため息が聞こえた。
『ろくでもない予感しかしないが、聞こう。ヤララ、この件は後で決める。少し待っててくれ』
『わ、わかった』
塔主の部屋で、イーアはガリに、グランドールの地下で出会ったカゲについて話をした。
ガリは険しい表情でイーアに言った。
『過去を知る道具? 過去を知るのはかなり高度な占術だ。門外不出にされている類の魔術を簡単に行える道具が本当にあるのか? ラシュトの小僧が言うように、そのカゲという者もただの精霊とは思えない。今、呼べるか?』
『うーん……呼べない』
イーアは『友契の書』を確認してみたけれど、カゲのページは召喚不能を意味する暗いページになっていた。
『そもそも、支配者の石板の件に関われば関わるほど、<白光>に命を狙われることになる。バララセにはギルフレイ卿もいる。バララセにその魔道具を探しに行くのは、命がけというより自殺行為だ。ラシュトの小僧はどう言っている?』
イーアが答える前に、部屋の中にティトがあらわれた。ティトは話を聞きつけて、出てくるタイミングを待っていたみたいだ。
『当然、おれは反対だ。トカゲかぶれと意見があうのは嫌だけどな』
だけど、ガリは言った。
『安心しろ。意見はあわん。俺は反対ではない』
ガリの言葉に、ティトが信じられないというような、口をあんぐりあけた顔になった。
イーアも驚いた。
『え? ガリは反対じゃないの?』
さっきの話の流れで反対じゃないとは思えなかった。ガリは淡々と言った。
『さっき言ったように、自殺行為に違いないが、例の石板を奪いとった時点で、お前は<白光>の殺害予定リストの最上位にのっている。このままでは遅かれ早かれ、殺される。生き延びるためには力が必要だ』
ちなみに、イーアが契約している一番強い精霊は、オレンが自分の命を生贄にイーアに契約させた溶岩魔神ヴァラリヒヌだけれど、ヴァラリヒヌはウェルグァンダルの契約禁止リストにのっている精霊だった。理由は、人間の命を生贄にしないと契約できないから。それは、ウェルグァンダルの精神に反する契約だから。
もしもイーアが自分の意志で契約していたら破門になるところだったらしい。
しかも、すすんで協力してくれるガネンの森の友達やモルドー配下の精霊達と違って、溶岩魔神ヴァラリヒヌの召喚には相当な魔力を使うから、今のイーアには実戦でヴァラリヒヌを使うのは無理そうだった。
ガリは話を続けた。
『ならば、強力な精霊との契約を進めるしかない。バララセに行きたいというのなら、バララセ東部の海には、古水竜ティロモサという精霊がいる。比較的気性のおだやかな精霊だ』
『うん! わかった。バララセに行って、ティロモサと契約する!』
ティトは『本当に行くのか?』と、いやそうな顔で言ったけれど、イーアはすっかり行くつもりになっていた。
『ウェルグァンダルの任務は余裕があれば行えばいい。無理をする必要はない。ヤララやンワラデの手におえない任務をお前ができるとは誰も期待していない』
ガリはその後も注意事項を言っていたけれど、イーアの頭の中はもうバララセ大陸への旅でいっぱいだった。




