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 地元の最寄り駅から、上り方面の電車に乗ることおおよそ一時間で、太平洋側から東京湾側に出ることができる。目的の駅から降りて海の方面へ十分ほど歩くと、みなとスポーツ公園に到着する。駅から公園までの道は、アリの行列のように公園へと向かう人々の列が永遠と続いていた。これらは全員、東京湾周回レースを目的に来ている客だった。公園の入り口では、バリケードは設置してあり、チケットを持っている人しか入れない。


 公園は海に面しているが、すぐに海が見えるわけではなく、木の葉の間から、巨大なスタンドが山のようにそびえ立っている。スタンドは十階建てと大規模だった。数年前に行われた国際大会のために建築されたらしい。隼人のチケットは指定席だった。それも案外、良い席で、高所の中央席だった。


 スタンドからは、東京湾を一望することができた。大型船舶がいくつも見えるが、目を凝らしてみると、小型の船舶も見えた。正面には巨大なモニターが複数ある。選手を映すものや選手の現在地、俯瞰的なものと様々な角度から観戦することができる。また、ワイファイに接続すれば、他にも、選手個人のカメラ、高度や速度、今日の体調まで、観戦することができるようになっている。もちろん、SNSにもその様子が中継されている。


 今日行われる、東京湾周回レースは、年に一度行われる大規模なスカイングの個人レースだ。参加資格は特定の大会で、一定以上の成績を収めること。年齢、性別、プロ、アマチュアも全て関係なしに同時に競う。アマチュアがプロを負かすことがしばしば見受けられることもあれば、中学生が大人を負かすこともある。レース展開の予想が困難なこともあり、日本でもかなり人気なレースの一つだ。


 コースも至ってシンプル。東京湾を一周すれば良いだけだ。会場から海岸線を沿って東京、神奈川と抜け、横須賀の観音崎から富津岬へ渡り、そこから北上して海上に戻ってくる。


 全長およそ百二十五キロのレースだ。

 隼人は椅子に座ると、ぼーと海を眺め、先日の葵とのやり取りを思い出した。


『柚月は悲しんでたよ』


 葵はそう言ってこのチケットを渡した。柚月はなにに悲しんでいたのだろうか。小学生の頃にしたあの約束を守れなかったことだろうか、俺が蘇我東を離れることだろうか。いや、そんなはずはない。彼女には俺以上に大切な人がいるのだから。なんとなくわかる。きっと柚月は、何も言わずに、勝手にいなくなったことが悲しかったのだろう。確かに、挨拶もしないでいなくなるなんて、非常識だった。俺は、


「なんて、最低なんだろう……」


 ため息交じりに言葉にだす隼人。


「誰が最低なんですか?」


 背後から知っている声、振り向くとサムがいた。


「ど、どうしてサムがこんなところに?」

「いやあ、実は私も葵さんからチケットをタダで貰えたんですよね! あ、選手が出てきましたよ。あの子いますよ! 女子高校生で出場してる、蘇我東の走水さん!」


 なに! と隼人は選手一団の中から柚月を探そうとした。いた。柚月だ。あのフォーム、雰囲気、顔、体型、絶対に柚月だ。間違いない。隼人は選手情報を見た。確かに柚月がいる。なんとなく、そんな気はしていた。葵は柚月を見せたくてチケットを渡してきたのだろう。だからあえて、選手情報を見ていなかった。まさか柚月がこんな大きい大会に出場してしまうなんて。あの日、一緒に同じ夢を見た二人。片方は選手団の中、もう片方は群衆の中。これが現実だ。


 サムが隼人の顔を覗き込んだ。


「なるほど、なるほど。青春の面持ちですね」

「どうしたの?」

「いや、葵さんから色々話を聞きましたが……」

「聞いたってなにを?」

「全部です」

「まさか、聞いちゃったのッ⁉」


 嫌な、嫌な予感しかしない⁉

 サムは歯を見せて笑顔を作った。


「はい、うすうす勘づいていたんですが、あなたを見て確信しました。私にいいアイデアがあります」

「どんなアイデアか知らないけど、絶対にやめてくれない?」

「そのアイデアはですね。私が走水さんにあなたの想いを全部正直に話すのです! そうすれば、全部解決! あなたの問題も、彼女の問題も!」

「いやいや……全く解決してないから……」


 サムは突然席を立った。


「どうしたの?」

「今から走水さんのところへ行ってきます!」

 と歩きだしたサム。隼人は全力で一段上の席へダイブし、サムの足首を掴んだ。


「お願いします! なんでもするから……なんでもするから勘弁してください!」  


 すると、サムは立ち止まった。


「ほう、今なんでもすると言いましたね?」

「あ……」


 さらに不気味な笑みを作るサム。


「どうします? いまここで、『きゃあ離してッ!』と叫べば、隼人くん、あなた大変なことになりますよね、そして私が、走水さんのところに行って、あなたの想いを代わりに伝えてきますが?」

「わ、わかったよ……スカイング部に入部するよ」

「交渉成立です!」


 隼人は手を離した。そのときだった。

「おい!」と男が隼人の手を掴んだ。男は真剣な面持ちで、隼人を睨んでいる。気が付くと、辺りの人間も、こちらに注目している。


「お前か、女の子に痴漢行為をしていたのは!」

「いえ! 違います。誤解です! おい、サム助けてくれ!」

「いやあ、まあ、仕方ないですね」

「なにがだよ! 弁解してくれよ!」

 




 海上で柚月はウォーミングアップをしていた。何万人もの人々が見る中でウォーミングアップをするのは、初めてだった。そのせいで、やや飛行がかたくなってしまっているようにも見える。


「柚月ちゃん!」


 浜辺に接地されているテントから呼ぶ声がした。真田だった。彼女は今回、自ら申し出て付き添いに来てくれたのだった。柚月は高度を降ろし、真田の横で止まった。


「どうしたの? 最近スカイングにキレがないよ?」

「うん……」

 と頷くだけの柚月。


「やっぱり、まだあのこと引きずってるの?」

「……」

「ほんと、最低だよね。勝手に諦めてスカイングやめて『前からいた好きな女がいる学校に転校します』ってなにも言わないで転校するなんて、良心の欠片もない人だよね」


 黙り込む柚月。

 真田は得意げに続けた。


「あの男はほんとう、性格が悪いよね。あれだよ。柚月ちゃんと仲良くしてるふりをして、本当は煙たがってたんだよ。絶対そうに違いない。柚月ちゃんって可哀想だね」

「やめて」

「なにを? 私は柚月ちゃんの味方だよ?」

「私を哀れむのはいいけど、隼人の悪口を言うのはやめて」

「でも、私はただ事実を言っただけだよ?」

「人の悪口ばかり言っていても、いいことないよ」


 柚月は真田から離れ、アップに集中した。だが、ちらちらと定期的にスタンドを気にしているようだった。


 スタンドの一部が騒めいている。柚月は空中で静止すると、それを眺めた。しばらくして、柚月の顔から緊張が引いていった。飛行にキレが戻り始めた。

 手首のミサンガを握ると、


「ありがとう、葵」と呟き、レースへ挑んだ。



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