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部室の前には、隼人、サム、アレッタ、葵、奏多の総勢、五人のメンバーが集まっている。てっきり、葵はフライヤーを持ってきただけかと思っていたが、彼女も立派なスカイング部の一員らしい。気まずいなと、隼人は思う。
「今日から参加する新メンバーです! 自己紹介よろしく!」
「えっと鴨居隼人です。よろしくです。あの、新メンバーではないけど、よろしく」
パチパチと隙間の多い拍手が響いた。
「それだけですか? つまらないですよ他になんかないんですか? 好きな食べ物とか?」
「はーい、はーい! 私が好きな飲み物はルイボスティーです!」
とアレッタ。
「あー、あれ美味しいですよね。でもね、今アレッタさんの番じゃないんです。隼人くんの番なんです。まあ、それはさておき、今日から本格的に練習をはじめます。目標は来年の冬の全国駅伝に出場すること。以上です! 何か質問がある人!」
「「はーい」」とアレッタと奏多が手を挙げた。
「はい、アレッタさん!」
「それって楽しいですか? それで勝てるんですか?」
「楽しいです! 勝てます!」
「やった!」
「はい、奏多くん」
「練習に参加しないでゲームしててもいいですか?」
「ダメです!」
「ええええええええええッ! なんで? そんなの俺の勝手じゃなん!」
「奏多くんにもちゃんと参加してもらいます。てか参加しなければなりません」
「参加しなかったら?」
「大学に行けなくなります」
「なんだそれ! そんなわけあるか!」
「そういうと思って。これを用意しました。見てください」
サムは一枚の紙を皆に見せつけた。そこには入部届と書かれている。
『私は堀上高等学校スカイング部に入部します。 氏名:城ケ崎奏多』サムは入部届の右下の小さい文字を指さした。そこにはギリギリ読める大きさで『裏へ続く』と書いてある。裏にはこんなことが書かれていた。
『選手が集まるまでは、部室でゲームをしてもよいとする。ただし、選手が五人以上集まったら、練習に参加する。やむを得ない事由なく幾度も練習を休んだ場合、もしくは退部した場合、大学への推薦は全て辞退することする。 校長:永田便 座慰問寅丸』
なんと、ご丁寧に校長のサインまで入っているではないか。
「な、なんじゃこりゃあああ! 俺こんなの知らないぞ? 見たことない! 絶対後から付け足しただろ!」
「そんなわけないじゃないですか! 証拠はあるんですか? まあ、そう思うなら練習をサボってもいいですよ? どうなるか知りませんがね。一般入試で大学だっていけますし。一般入試がそんなに嫌なら、海外の大学に行けばどうです? アメリカに私のおすすめの大学がありますよ」
「俺は勉強が大嫌いなんだ。この卑怯者め」
どうやら奏多の負けのようだ。
「さ、皆さん準備してください」
「はあ」と奏多はため息をつくと、しぶしぶ着替える準備をした。
部員は学校指定のジャージに着替える。スカイングには、スカイング専用のジャージや練習着がある。蘇我東高校では、学校のジャージを練習着として着る人は誰もおらず、皆それぞれ自前のジャージか、部活で用意したジャージを着て練習に参加していた。
隼人は部室の外で着替えた。狭い部室は女子の花園となっている。今日は天気が良く、日差しが暖かいが、まだまだ深い冬の中。風が冷たいので、隼人は一瞬で着替えを終えさせた。奏多はいやそうな顔をしながらも、着実に少しずつ着替えを進めている。
部室の前に戻ると、サムが制服のまま、なにやら分厚いノートを読んでいた。真剣な面持ちで読むのに夢中で、こちらに気がついていない。何が書いてあるのだろうか。と気になった隼人は覗き込んでみてビックリする。ノートの内容はスカイングの練習方法についてで、手書きの文字がノート一面びっしりと埋め尽くされているではないか。
「それ、見てもいい?」
思わず言ってしまった。するとサムは笑みを浮かべた。
「これ、私の宝物なんで、普段誰にも見せてないんですが、まあ、あなたは私達の救世主だから、特別にいいですよ」
持ってみると、ノートは想像以上に重かった。一体何ページあるのだろうか見当もつかない。初めの方のページは紙が黄ばんでいる。やはり、相当な年月をかけてこれを完成させたのだろう。ノートには練習方法、戦略、医療、魔法学、コーチング哲学、そしてスポーツビジネスまで、ありとあらゆることが網羅されている。最後のページを見ると、【鴨居隼人】と書かれたページがあった。ノートはまだ完成されていない。まだ更新され続けているんだ。彼女のあの以上な粘着質な行動も理解できる。サムはスカイングに情熱を注いでいるのだ。隼人は丁寧にノートを畳むと、サムに返した。
「ありがとう。少し、安心したよ」
「なにがですか?」
「サムがただのお馬鹿さんじゃないってことがわかって」
「それはよかったですね!」
「早く着替えなくていいの?」
女子も着替えを終え、次々と部室から出てきている。
「ええ。私は飛びませんから」
「え?」
隼人は一瞬サムが何を言っているのか飲み込めなかったが、すぐに『今日は飛ばない』という意味でそれを解釈した。
「今日は飛ばないんだ」
「いえ、私は部長兼、監督です。この先も飛びませんよ」
「え? ってことは人数足りなくないか?」
フライヤー駅伝は五区間存在する。今ここには、隼人、サム、アレッタ、葵そして奏多の五人がいる。サムが飛ばないということは、選手は四人、人数が足りないではないか!
「キラーちゃんがいるから大丈夫だよ!」
心配をする隼人に、アレッタがニコニコしながら言った。因みに彼女は葵とあやとりをしているようだ。以外と葵は面倒見がよいのか。
「キラーちゃん? もう一人部員がいるの?」
「はい、吉良流子さんという堀上のエースがいます。昨年は個人で県大会入賞もしています。ただ、普段は練習には参加せず、一人で練習しています。今日も一人で練習しに、来ると思いますが」
こんな高校に、県で入賞する選手がいるなんて、すごいというか、勿体ないというか。一人で練習してそれだけの成績が残せるのなら、ちゃんとした部活に入れば、全国でも活躍できるのではないだろうか。
「え~、キラーくるの? 新人、やつとは関わらない方がいいよ」
奏多はいかにも動きにくそうなぶかぶかなジャージで、ポチポチゲームをしながら言った。
「なんで私と関わらない方がいいの?」
やや低く、だが切れ味のある声と共に、部員は静かになった。「ゲッ」と奏多から心の声が漏れる。「ヤッホー」と挨拶をするアレッタ。
「いつも、意地悪で偉そうだからだ!」
反撃するような強い語気の奏多。吉良はややムスっとした表情で、
「それはあなたでしょ? 練習もしないで、ずっとゲームをやってるだけ。部活くる意味ある? とっととやめればいいじゃん」
「な、なんだと! お前だって、普段顔を出してないだろ? 部活にいる意味あるのか?」
「あります。私は大会に出るために仕方なくいるの。ちゃんと大会で実績だって残してるし。奏多とは違うの。もう私に関わらないで」
いい負かされた奏多は顔を真っ赤にした。「なんだと」と今にも襲いかかりそうになるも、アレッタ一人に抑えられ、動くことすらできなくなっていた。この様子じゃあ、実際に喧嘩しても、奏多が負かされてしまのが容易に想像できてしまう。
吉良は鋭い目付きで隼人を見た。隼人は蛇に見つめられたウサギのように目を逸らした。
「あなたが、蘇我東から転校してきた子ね」
吉良の視線には切れ味がある。見つめられると、なぜか背筋を正してしまいたくなるような、これは威圧感の一種だろう。隼人は緊張した面持ちで、小さく頷いた。
「私と勝負しなさい」
「え?」
隼人は目を点にしてきょとんとした。
「それ……いいですね!」
サムが横で悪い顔をしている。
「いや、俺は……結構かな」
「いえ、やりましょう。これは決定事項です!」
学校の屋上は景色が良かった。からっとした快晴だったため空気が澄んでいる。田舎なので、近くに校舎以上の大きな建物はない。遠くでわずかにキラキラと光りが蠢いている。あれは太平洋だろうか。ただの蜃気楼だろうか。海岸と反対の方向には山が見える。山と言っても、一番高い所で海抜六十メートル。形も山というよりかは、台形に近い。それを見た隼人は懐かしい気持ちになった。しかし、「やだやだやだ! もう一回! 次は絶対に勝ちたいッ!」という、アレッタの喚き声で、現実に引き戻された。
アレッタは奏多とゲームをしていた。アレッタが負けたのだろう。「もう一回だけ」と駄々をこねている。
「ええ、どうしようかな?」
奏多は満足そうな笑みを浮かべている。
サムがパンパンッと手を叩いた。
「ルールを説明します」
皆がサムに注目する。
「学校の敷地、及び隣接する田畑の一区画、一周二キロを先に五週した方が勝ちです」
「たったの十キロ?」と不満そうな吉良。
「はい。吉良さんが得意な短距離です。ただし、クライミングとダイビングが入ります。まず、三週目に、高度千メートルまで上昇してもらいます。四週目と五週目の半分まで、その高度を維持、そして最後の半周———約一キロで高度十メートルまで、急降下してもらいます。降下時にはホログラムストーン群……岩の形を模した障害物を設置します。万が一それに触れるとゴール時に五百メートル後退でカウントします。もし、二十個接触してしまうと、その時点で棄権扱いです」
「拡張現実魔法、セット完了」
「さすが! 葵ちゃんは準備が早いね! で、お二人なにか質問は」
「普通に外周を飛ぶ、三週目に上昇して、五週目に降下。降下中は障害物をよける。という感じだよね?」
「はい、隼人くんの正解です。でも残念、正解しても点数にはなりませんよ」
「ただの確認だよ」
「では、スタートは部室前です。二人は部室前まで戻ってください!」
「ならこんなところで説明しないで、部室前でしろよ」と吉良は怒り気味でいう。
「いやあ、ごめんなさいね~」
隼人は「やれやれ」と心の中でため息をすると、わざわざ校舎の屋上まで持ってきたフライヤーを再び担ぎ、屋上を後にした。
屋上では、サム、アレッタ、奏多、葵の四人が残っている。サムが説明している間もずっとゲームをしていた奏多だったが、隼人と吉良が屋上を後にし、扉がしまるのを横目で確認すると、ゲームを閉じた。
「賭けをしよう。みんな購買の食券は持っているよね?」
するとアレッタが「お、いいねいいね! 私、吉良ちゃんに二枚賭ける!」
奏多はスマホでメモを取った。
「私も吉良さん……一枚」と葵。
「う~ん、迷いますね。でもここは吉良さんにしましょうかな」とサム。
「なんだよ! 誰もあの新人に期待してないのかよ! あいつはなんか違うって、何かやってくれるんじゃないかって感じるんだ。俺は同じ男として、あいつと、俺の勘を信じるぜ」
「でも、吉良さんは県内でもトップレベルの選手ですけどね」
「なんだ。じゃあ俺も吉良にする」
「カッコわる!」
アレッタはカバンの上に置いてあったゲーム機を開いた。奏多は「おい」とそれを奪い返した。葵は疲れたのか、地面にハンカチを敷くと、その上に体育座りをして、アレッタと奏多のやりとりを眺めている。
「私は、隼人くんに賭けます。彼は救世主ですから」
「救世主?」珍しく葵がサムに質問した。
「はい、彼は何か私たちを変えてる……かどうかはわかりませんが、メンバーの最後の一人として、奇跡的に現れたので、私にとっては救世主です」
「でも、吉良は県でもトップレベルの選手だぜ?」
奏多は意地悪そうに言った。
「はい、でも私は隼人にしてみます。奏多くん、中継用のドローンを飛ばすの手伝ってもらってもいいですか?」
「ええ……めんどくさ」
奏多は嫌々、ドローンの入れ物についているスイッチをオンにすると、指で空中に何かを描き始めた。人差し指でタブレットをスライドしている動作にも似ている。傍から見ると、奏多が空中に見えない文字を書いているように見えるが、これが立派な魔法なのである。奏多には半透明の画面がしっかりと見えているのだ。コンタクトレンズがウェアラブル端末となっており、コンピューターと、魔法の杖の役割を果たしているのだ。スマートコンタクトの普及率は若い世代になるにつれて高くなっているが、特にスカイングではコースを映し出すのに必須のアイテムである。またスマートフォンと連動することができ、二つを同時に持っている人が大半である。
箱が自ずと開くと、ドローンが三基、モーター音と共に浮かんだ。二基はそれぞれ、隼人と吉良を自動追尾、もう一基は全体を写すように設定し、スクリーンは屋上、出入り口の壁に投影された。