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「ようこそ! ここが我が堀上高等学校スカイング部の部室です!」
今にも崩れてしまいそうなほどボロボロな木造平屋の部室棟だった。よく見ると柱が割れ、一部空洞化している。空き室が目立ち、蜘蛛の巣がかかっている。場合によっては廃墟に見えなくもない。
引き戸を開けると、薄暗く、三畳ほどの狭い空間に用具があり、その真ん中でゲームをしている人がいた。華奢な体型に中性的な顔立ち、見たことある。同じクラスの、斜め前で休み時間中ずっとゲームをしている人だ。
「彼は同じ一年の【城ケ崎奏多】です。ずっとゲームをしています。黙っていればそれなり可愛い顔立ちをしていますが、喋るとムカつきます」
自分の名前を呼ばれたというのにも関わらず、奏多はゲームに夢中でなにも反応しない。
「あの、よろしく」
奏多は手を止めた。隼人の声に反応したようだ。
「おお! おお! 新人か? 新人だよな!」
「はい「いや」」
頷くサムと、否定する隼人。
奏多はとてもうれしそうに、
「いやあ、こき使える後輩が欲しかったんだよ! 名前なに?」
「彼は、【鴨居隼人】、私達の救世主です」
「いやいやいや、なに勝手にいってるの」
「おお! そうか救世主かあ! なあ、ジュース買ってきてくんない? 自販機ここから遠くてさあ」
「自分のジュースくらい、自分で買ってきてください。ね? 喋るとちょっとうざいでしょ?」
「たしかに……」
奏多は「ちぇ」と不満そうな表情を浮かべたが、素直に靴を履くと、外へ出て行った。
「でも、奏多くんは意外と素直な子です。大目に見てやってください」
サムは部室に上がると、カーテンを引っ張った。そのカーテンは窓用のものではなく、部室を仕切るためのもので、半畳ほどの狭いスペースと、残りの広いスペース、二つの空間を区切っている。カーテンは光を通さない分厚いもので、マジックで『アレッタ三畳に参上』と謎の似顔絵と共に書かれている。
「女子がいるときは部室を半分に分けてつかっています。女子が広い方で、男子が狭いほうです」
「なるほど。でも、男子の方狭すぎないの?」
「いいえ、これくらいか、奴には丁度いいのです」
「奏多のこと?」
「はい」
「スカイングは速い方なの?」
「わかりません」
「なんで?」
「彼がフライヤーに乗っているのを、見たことがないからです。彼は、昼休みに静かにゲームをする空間が欲しくて入部したんです」
「なんだそりゃ」
「とにかく、着替えてください。あなたのフライヤーを用意しますので」
「わかったよ」
隼人は靴を脱いで部室に上がり、半畳ほどの狭い空間に入り、服を脱ごうとした。
「いや、まてまて。一体俺がいつフライヤーに乗るなんて言った? 危ない。あまりにも自然だったから、
騙されそうになったよ」
「いいじゃないですか! 一回くらい乗ってくださいよ」
「いやだ」
サムはカーテンを突き破り、隼人の腰に泣きついた。
「お願いします! お願いします! お願いしますうううううう!」
「いやだ、いやだ、いやだああああああ」
「おねがいしますうううううううう」
「やだあああああああああああああ」
そこへ、アレッタが部室にやってきた。
「ヤッホー! 調子はどう?」
隼人の腰に抱きつき、叫ぶサム。叫びながら必死にそれを引き離そうとする隼人。アレッタは思わず、
「なにやってるの?」とツッコんだ。
「聞いて下さいアレッタ! 隼人くんったら意地悪なんです!」
「なに! 新人くんはなんて意地悪なんだ! 最低ね! 男って皆そうなんだから。で、なにしたの?」
「なにもしてないよ。とりあえず離れてよ」
「まあまあ、はなしてあげてよ」とアレッタに宥められ、サムはようやく離れた。
事情をあれこれ説明すると、アレッタは「一回くらい乗ってあげてもいいんじゃない?」とサムを擁護した。隼人はアレッタに仲裁を求めたのは失敗だったと悟る。彼女はスカイング部側の人間だ。どう頑張っても、向こうが良いように解釈して強引にことを進められるだけだ。いっそ、ここから逃げて帰ってしまおうか。とドアの外をちらりと見るも、もしかしたら、二人は家まで追ってくるのではないかという最悪の事態が頭に浮かんでしまい、逃亡の案はすぐに立ち消えた。今日上手く逃げられたとしても、明日以降、永遠とつきまとわれるに違いない。もし死んだら地獄までつきまとってくるのではないだろうか。
「俺は、自分のフライヤーしか乗れないんだ」
ため息交じりに隼人は言う。すると、サムは目を輝かせてた。
「じゃあ、あなたがフライヤーを持ってきてくれたら、できますね!」
「いや、俺はフライヤー持ってない。どこかにいってしまったんだ」
「どこかって?」
「さあ。少なくとも、俺の知らないところだ」
「じゃあさ、こういうのはどう?」
と言い出したアレッタ。
「もし、サムが新人くんのフライヤーを見つけられたら、新人くんは練習に参加してみる。見つけられなかったら参加しない!」
「お、それはいい案ですね!」
「ぐぬぬぬ……」自分で言ってしまった手前否定できない雰囲気だ。
「まあ、わかったよ。俺のフライヤーを用意できたら、練習に参加するよ。だからさ、もう休み時間中、俺にまとわりつかないでくれ」
「「りょうかい!」」
合意はしたものの、隼人はフライヤーに乗る気など一ミリもなかった。隼人は嘘はついていないが意地悪はした。『フライヤーがどこにあるかわからない』これは本当のことだった。転校する際、隼人は自分のフライヤーを学校のゴミ箱に捨てたのだった。最後にフライヤーを見たのはゴミ捨て場。きっと今は燃やされて灰となっているだろう。
これで地獄の追いかけっこも、恐怖のかくれんぼもしなくて済む。明日から静かな一日が始まる。静かで心地よくて、でも少し寂しい気もするが、これで本格的にスカイングという競技から距離を置くことができる。
安心して休むことができる。
次の日、二人は約束通り、教室には来なかった。奏多とは一度目が合ったが、すぐにゲームに視線を戻した。昼は部室へと行ってしまった。休息はすぐに生活に溶け込み、日常となった。
始めは心地いいものであったが、慣れてしまうと、その心地よさは空気に変わってしまった。朝起きて、学校に行って、授業を受ける。残りの時間は自分が何をしていたのか、覚えていない。前の学校にいたときは、部活をしたり、柚月の練習に付き合ったりと、色々やっていたことを鮮明に覚えているが、今ではさっぱり透明になってしまった。休憩はお湯のようだ。暖かくて気持ちいが、色がない。でも、そでは隼人が望んでいたことだった。
合意から数日後。その休憩は短くして、終わりを迎えることになる。そして色が濃く、風の強い日常がやってくるのだった。
放課後、隼人はいつも通り、家に帰ろうとしているときだった。教室を出ると、サムが仁王立ちで待っていた。隼人はわざと知らぬふりをして通り過ぎようとしたが、肩をがっしりと掴まれ、「あなたに用があるんですよ」と止められてしまった。
「何の用?」
「約束を果たすときがきたんです。ついてきてください」
隼人は部室の前で待たされた。
「そろそろ来るはずです」
「なにが?」
「来てからのお楽しみです」
隼人の脳裏には、いくつかの予想が浮かんできていた。その中で最も有力なのは、隼人専用の新しいフライヤーを用意してくると言ったところだろう。当然、隼人は断る気でいた。何が来ても驚くことは絶対にないだろう。適当に返事をして、帰ろう。
この日は、空に雲一つなく風も凪いでおり、暖かかった。微かに花の甘い匂いがする。地上は暖かくて心地よいが、一度空へ行けば、そこでは冷たく厳しい風が吹き荒れており、スカイヤーたちを苦しめる。目には見えないのに、音も聞こえないのに、天国のようなあの美しい青空では、厳しい世界が広がっているのだ。
「ヤッホー新人くん」
アレッタが手を振ってやってきた。
「や、ヤッホー?」と曖昧な返事をする隼人。
「なにしてるの?」
「例のブツが来るのを待っているんです」
「なるほど、例のブツですか。よくわからないですが、私も待つとしましょう」と敬礼をするアレッタ。
「あ、きたきた! こっちです!」
とサムは手を振った。一人の女子生徒だった。棒のようなものを包んだカバーを持っている。おそらくフライヤーだろう。隼人は「やっぱりな」とすぐにでも立ち去れるようにした。
しかし、その女子生徒が近づくにつれ、隼人の顔色が徐々に悪くなった。なぜなら、隼人はその女子生徒のことを知っていたらからだ。突然、冷や汗が吹き出てきた。できる限り、彼女と目を合わせないように、地面を歩いている蟻の行列を眺めた。
「やあ、ありがとう、葵さん。それが例のぶつですか?」
「そう」
この感情のこもっていない、冷たい声。やはりそうだ。
「紹介しますね。うちの部員の立花葵さんです。で、こっちが転校生の……「黒田弁之助です!」」
隼人は思わず割り込んでしまった。
「何言ってるんですか? こちら鴨居隼人くんです」
「知ってる」
葵の無感情がこもった返答は隼人の胸に刺さった。隼人は彼女と同じ中学に通っていたのだ。そして、隼人が名前を偽ろうとした理由、それは彼女と気まずい関係にあるからだ。気まずい関係にある理由、それは、葵は中学のときからの柚月の大親友だからだ。今でも仲が良く、定期的に会って遊んでいるようだ。柚月と仲が良かったので、何回か葵と遊んだことがある。しかし、常に柚月が間に入ってくれていたから、一緒にいれたのであって、二人で会うことはおろか、話したこともなかった。
葵は一体どこからどこまで知っているのだろうか。一番恥ずかしいこと———監督に捨てられ、柚月に彼氏ができ、萎えて転校したこと———もバレてしまっているのだろうか。
「ひ、久しぶり……」
葵は無表情のまま、持っていた包みを渡してきた。
これは無視なのか。それともこれが葵の挨拶なのか。感情を表に出さないため、なにを考えているのかがよくわからない。昔、少しだけわかったような気がしたが、やはりよくわからない。
「ありがとうございます、葵さん。さ、隼人、早く開けて確認してみてください」
「確認って……」
「あなたのフライヤーか否ですよ」
「いやいや、俺のフライヤーなわけが……うそだろ」
カバーを外した隼人は驚いた。黒いボディに紫色の雷模様。黒い魔力転換石(CMP石)。正真正銘、これは、捨てたはずのフライヤーだったのだ。それもボディが磨かれているため、新品のようにきれいだ。他にもところどころ手入れをされた様子がある。
どうして捨てたはずのフライヤーが?
「わーお、なんか中学二年生が好きそうな色のフライヤーだね」
と遠回りに、純粋な瞳で悪口を言うアレッタ。
一方、驚愕する隼人の隣で一緒に驚いていたのはサムだった。
「なんですか? このモデルは? ……形状、そして何よりもこの毒々しい黒のCMP石……普通のフライヤーではありませんね?」
「確かに、普通ここの水晶って透明っぽいよね。黒だとなにが違うの?」
アレッタは、フライヤーの後端についている黒い水晶体に近づくと、人差し指で突っつこうとしたが、サムが「やめた方がいいですよ」と釘をさした。
「CMP石は、魔力を運動エネルギーに変える、最も大切なところ、いわばエンジンです。CMP石の質はやはり値段と比例し、運動性能や最高速度に大きく影響します。そして、CMP石はより透明なほど、品質が良いとされています。CMP石がやや濁っている石は安価なフライヤーだということです。しかし、隼人のフライヤーは濁っているどころか、真っ黒なのです」
「へえ、どうして透明の方がいいの?」
「あくまで私の意見ですが、透明の方が、魔力を均一かつ正確に調整して、エネルギーに変換してくれるので、コントロール性が高いんです。あと、なぜか魔法AIのアシスト性能も高いです……」
「じゃあ、これはポンコツってことだね!」
「なんだって?」
隼人はぎろりとアレッタを睨み、それを察知したアレッタはサムの後ろに隠れた。
「どうなんでしょうね。似たものは知っていますが……これは見たことがありません。では、約束通り乗ってくれるんですよね?」
「え?」
電気が一瞬流れたかのように硬直する隼人。まさか、サムたちが本当に捨てたはずのフライヤーを見つけてくるとは思わなかったので、フライヤーに乗る準備が何もできていない。
「お! 新人くんがちゃんと約束を守る人間か、嘘をつく卑怯でアホでドジでマヌケな人間か、はっきりわかる瞬間だ! さあ、どうする新人くん!」
アレッタはサムの後ろから、ちょこんと顔だけだして煽っている。
流石に自分で名言してしまった以上、乗らないわけにはいかない。
「わかったよ。ちょっと乗るだけ……だぞ?」
「新人くんは女々しいねえ。男なんだから、ガツンと飛んじゃいなさいよ!」