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寡黙な人狼様と、生贄令嬢

 目が覚めると、まず木製の天井が目に入った。

 一瞬、ここがどこなのかと思案しかけて――自分は神様の元へ嫁入りしに来たのだと思い出す。


 視線を巡らせれば、ほど近くに文机に似たものとそこに腕を置いて休んでいるのだろう人? の姿がある。それが人かどうか判断がつかなかったのは、真っ白な布地のマントらしきもののフードを、その人物が頭から被っているからだった。


「……えっと」


 身を起こして、丁寧に掛け布団から這い出る。自分が寝かされていたのはまさかの床だ。仮にも嫁入りしに来た者を寝かせておくのに、こんな仕打ちはないんじゃないかと思ったが、建物の様子を見て既視感を覚え……自身の知識を辿る。


 ああ、そういえば今の私は素足だ。ヒールは脱がされている。よく見れば休んでいるらしき人物も靴は履いていない。

 床を確認すると、ほのかに柔らかく清潔そうな気配を感じる。確か、草で編んだタタミとかいう床材だったろうか? 


 建物全体が木製であることからしてもそうだし、昔……まだ妹が生まれる前。お母様が私を愛してくださっていた頃、教えてくださった国の建物によく似ている。確か、東のほうのトヨアシハラという国だったろうか? 


 人狼様はてっきりこの国出身のかただと思っていたけれど、もしかしたら出身自体は別のところだったりするのだろうか。


 とにかく、早急にトヨアシハラの生活について知識を思いだしておかないといけないかも。私はこれから、ここで暮らすことになるのだ。旦那様となる人狼様の趣向に合わせて生活するべきだろう。


 その辺りのこともまとめて、しっかりと訊いておかなければならない。


「……案外、私も乗り気ね」


 ずっとずっと、憂鬱に思っていた。私は生贄みたいなもので、お相手は悪い噂のある神様。帰る場所もないからと。


 けれど、はじめて会った大きな狼様の様子を見ていたら、少なくとも針のむしろのような実家で暮らし続けるよりも、ここのほうが心安らかに生きることができるかもしれないと思った。


「ええと、人狼様……?」


 文机に腕を立て、眠っている人物の正面に回ってみる。

 白い布地に、鮮やかな赤の裏地。礼服の上をそんなマントで着飾った男性のお(ぐし)は、やはり美しい銀色。あの大狼と同じ色だった。


 布で隠してしまうだなんてもったいない。

 思わずそう思って、手が伸びる。


 いけないと思いながらも、するりとフードを下ろしてみると……美しい銀髪をかき分けるようにして、その間から三角の可愛らしいお耳がピンと立っていた。よく見てみれば、背中にかけてまですっぽりと覆ったマントの下から、わずかに銀色の尻尾のようなものもはみ出している。


「このかたが……人狼様」


 なんて美しい人だろう。心の奥底から思うほどの美貌。女としての自信を失ってしまいそうなほどの肌艶。そして、長生きをしている神様だというのに、少しだけあどけないお顔立ち。


「きれいなひと……」


 思わず声が出る。


 すると、ふるりと銀のまつげが震えて、あの紅玉のような瞳が姿を表した。

 しばしぼんやりとしていた人狼様は、私と本日二度目となるにらめっこを数秒してから、ハッと目を見開く。


 それから、慌てたようにしておろされたフードを被り直してきゅっと下に引く。まるで髪か、顔を隠そうとするように。


 狼のお姿のときはなにも被らずとも気にしていらっしゃらなかったというのに、人の姿をした彼は目覚めて以降、一向に私と目を合わせようとしない。


 沈黙が降りて、なにか話さなければと思うたびに頭の中がグルグルと混乱していくみたいだ。な、なにかお話ししなければ。なにか……。


「あ、あの人狼様。ここまで運んでくださったのですよね? ありがとうございました」

「……構わない」


 会話終了。

 いや、これではダメだろう。そもそも私はまだ名乗ってすらいないのだ。それに、このトヨアシハラ風のお屋敷で暮らすために必要そうな知識とか、ひと通り訊いておかなければならない。


 嫁入りとしてやってきたのだから、彼にもビーストアウル便で私の釣書が届いていたはずだ。名前なんてとっくに知っているだろうけれど、まずは自己紹介から始めるのが礼儀というものでしょう。もう手遅れかもしれないけれど。


「はじめまして。本日嫁いできました、カナリア・シェイフォルトと申します。どうかよろしくお願い申し上げます」


 頭を下げて、平伏する。

 やはり彼から返ってくるのは沈黙ばかりだったが、しばらくそうしていると小さな声で彼は一言だけこぼす。


「クチナシ」


 一瞬、ほんの一瞬だけなんのことか分からなかった。しかし、すぐにそれが彼の『名前』だと察して心に刻む。国では『守り神様』やら『人狼様』やらの呼び名で伝えられるばかりで、彼の『名前』は知らなかった。


 私は、旦那様になるおかたの名前すら知らなかったのである。


「なにかあれば、執務室まで。用件はこれに」

「はい、承知しました」


 素っ気ない態度で己の名前を言い捨てるだけ。よろしくの一言もなし。表面上は噂に違わぬ冷たさと言ったところだが、どうにも大狼状態でのやり取りが脳裏をよぎる。決して悪い人ではないと思うのだけれど。


 彼が渡してきた可愛らしい便箋を受け取りながら、私は最後にひとつだけと思って口を開く。


「人狼様、お屋敷の地図はございますか? それと、お食事の時間はいかがいたしましょう?」

「……顔を」

「はい」


 あげろ、ということで合っているだろうか? 

 顔を上げると、彼はなんとなくバツの悪そうな顔で眉間に皺を寄せている。地図は……ないということだろうか。


「一周だけ、する」


 それだけ言って彼は立ち上がり、バサリとマントをひるがえす。

 やはり地図はないのかもしれない。


 その後、ほとんど単語しか喋らない彼の言葉を脳内翻訳しながら、一日の流れを便箋に書きつけるのに三時間もの時間を要することになるとは……このときの私は思ってもみなかった。


 ……冷たいとか、寡黙以前に、この人。口下手なだけなんじゃ。

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