第一話【15年後】
白と茶の二色で造られた家の周りには、薄緑色の芝が広がっていた。
常に湯気の立っている露天風呂や木造りのカフェテラスなどがあり、周囲には虹色の膜が張り巡らされている。
ここは地球上から隔離された異空間であり、琥珀川瑠璃の両親が暮らしているマンションの部屋と同じドアから入れる仕組みになっている。
「ふぅ、疲れたな」
そうつぶやきながら瑠璃が異空間のドアを閉めると、
「あ、瑠璃さん。おかえりなさい」
露天風呂のほうから女性の声が聞こえてきた。
向くと、そこには全裸でお湯に浸かっている鳳蝶改め、琥珀川月の姿。
折りたたんだタオルを頭に乗せており、ふにゃ~とした顔でくつろいでいる。
「月が入っていることだし、俺も浸かるとするか」
「どうぞ〜」
瑠璃はカフェテラスの机の上に脱いだ衣服とリュックを置き、ゆっくりと露天風呂に入っていく。
「あぁ、気持ちいいなぁ~」
「ですよねぇ~」
「ふぅ…………。月もバイトから戻ってきたばかりか?」
「はい。今日は珍しく出荷作業をやっていたので、いつもより時間の経過が早く感じました」
「それは羨ましいな……。俺のところは正面の壁に時計がついているせいで、体感時間がめちゃくちゃ長く感じるぞ」
「ということは、今日も一日中レジですか?」
「途中でジュースの補充はやったけど、基本的にはレジだったな」
「そうですか。大変ですね……」
「……あー、ダンジョンに潜っていた頃に戻りたい」
「瑠璃さん、いつもそれ言ってますけど……。やっぱりまだ、戦いたい欲とかがあったりします?」
「ダンジョンをクリアした時は月と一緒にのんびり暮らしたいと思っていたけど、実際何十年もこういう生活をしていたら無性に戦いたくなる時はあるな。仮にもう一度この世界にダンジョンが現れたら迷わず行くし。逆に月はダンジョンが恋しくないのか?」
「まあ、懐かしいとは思いますけど……。私は瑠璃さんがいればそれでいいですよ?」
「おぉ。嬉しいことを言ってくれるじゃん」
「こう言っておけば、何かいい物を買ってもらえそうです」
「って、おい! 打算ありかよ」
「ふふっ、冗談です」
瑠璃はじっと月を見つめながらつぶやく。
「改めて思うけどさ。お前……大人っぽくなったよな」
「それは瑠璃さんもだと思います。なんというかダンジョンがなくなってから、急に肌の老化が普通の速度に戻ったような気がします」
「あーそれはわかる。多分だけど、魔物の血や肉を食べなくなったせいだと思うぞ」
「やっぱりそうですよね」
「まあでも……月は47歳にしては若いほうだろ。20代って言われても普通に信じるし」
「そういう瑠璃さんも52歳くらいに見えますよ?」
「今現在52歳だが、何か?」
「ぷっ。あ、そうなんですか」
月が小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「よし、もう何も買ってやらねぇ」
「いや、冗談ですって!」
「せっかくいい物を買おうと思っていたのに……。仕方ないから、浮いたお金を使ってコンビニで高級プリンでも買ってくるとしよう。今日は幸せな夜になりそうだ」
「贅沢が安上がりですね!? ……そうじゃなくて、本当に冗談なんですよ。だって瑠璃さんって別に若作りをしているわけでもないのに、20代後半くらいに見えますもん」
「実際、昔は冗談抜きでお互い子どもっぽかったよな?」
「はい」
「だから今がちょうどいいくらいだろ。歳を取っているのに、若い大人に見えるみたいな」
「私としてはいつまでも美少女でいたかったですが……」
「いや、絶対今のほうがいいと思うぞ。かわいいだけじゃなくて、そこに美しさが追加されている感じだし」
「本当ですか?」
「俺は嘘は言わない」
「まあ確かに」
「……」
「あ、私そろそろのぼせてきたので上がりますね」
「おう」
月はゆっくりとその場に立ち上がる。
その様子をじっと見ていた瑠璃は思わず頷いて、
「お世辞抜きで全てがかわいい」
「あ、ありがとうございます」
「そんな姿を見せられたら今日の夜頑張りたくなるから、あまり俺の視界に入らないようにしてくれ」
「……べ、別に頑張ってもいいですけど」
彼女の顔が赤く染まっている理由は、決してのぼせているからというだけではないだろう。
「やめとこう。今の歳から二人目を育てようとは思えない」
「ドラッグストアで、あれ……買います?」
「いつも言っているけど不必要だ」
瑠璃は真顔で即答した。
あれとは、避妊具のことである。
「やっぱりですか」
「あんな偽りの愛の象徴みたいなまがい物の存在は断じて認めない。あのくそみたいなアイテムがあるから、世のなかから不倫や浮気が減らないんだろ。そもそもパートナーを裏切ってああいう行為に走るやつって、どういう神経してんだ? 全く理解ができない。一生寄り添う気がないなら最初から結婚なんてするなよ。とりあえず不倫系のドラマやアニメは全部放送禁止にしろ。ハーレム……お前もだめだ。消え失せろ!」
「瑠璃さん。目が怖いです」
「俺なんて月に浮気された時の想像をしただけで、ご飯が一切喉を通らなくなるぞ」
「あ、それはめちゃくちゃわかります! 私も瑠璃さんが風俗店とか、他の女の家に通っている想像をしたら、毎回悲しくて涙が出てきますもん」
「え、マジで?」
「絶対そんなことはないとわかってはいるんですけど。でもたまに寝ながら泣いちゃいます」
「……なんかごめん」
「なんで謝るんですか」
「いや、一応月の妄想に登場している俺の立場になって謝罪したくなった」
「別にそんなことしなくていいですよ。私は瑠璃さんを信じていますから」
「俺も月を信じている。……信じてはいるけど、少しだけ不安なのも事実だ」
「というと?」
「今のバイト先にイケメンとかっていたりするのか?」
「えっと、世間一般的に言うとイケメンの部類に入るであろう若い男性はいます」
「……」
「でも安心してください! なんかこの前ご飯に誘われましたけど、速攻で断っておきましたから」
「……そいつの住所を教えてくれ。明日殺しにいくから」
「さすがに殺人はまずいので、やめてください」
「あー、マジでムカついてきた」
「逆に瑠璃さんのほうこそ、コンビニにかわいい子とかいないんです?」
「かわいい子? う~ん……。あ、三日前に金髪の女子高生が入ってきたな」
「むぅ……」
もうすでに月は頬を膨らませ始めた。
「なんか今日いきなり腕を組んできて鬱陶しかったから、『やめろ』って低い声で言ったら、悲しそうな表情で仕事に戻っていったな」
「えっ、そのメス……まだコンビニにいますか?」
「俺と一緒の時間に上がったからもういない……って、うわっ」
月の殺気を目の当たりにし、彼は思わず顔を引きつらせる。
明らかに何人か殺しているやつの顔だった。
「その豚は次、いつバイトにくるんです?」
「お、おい。お前のほうこそ、殺人はまずいからやめてくれよ?」
「安心してください。ちょっと殺すだけなので」
「安心できねぇよ! 結局殺人じゃねぇか!」
「まあ冗談もこの辺にして、私は瑠璃さんと何十年も一緒にいるので、絶対裏切らないと信じています」
「さっきのが冗談? それにしては真に迫っていたような……」
「何か?」
「いやなんでもない。とにかく、信じているのは俺も同じだ」
「はい。 ……あ、じゃあそろそろ夕食の支度を始めます。あの子も帰ってくると思うので」
「俺も何か手伝おうか?」
「いえ、今日は大丈夫です。いつも気を遣ってもらってありがとうございます」
「そのくらい夫として当然だ」
彼女が裸のまま家のなかへと戻っていったあと、瑠璃はのぼせた体を冷やすために周りの岩の上へと座った。
ここは異空間のため風は一切吹いていないが、お湯と空気の温度差によって感じるひんやりとした感覚がたまらない。
少しずつ体にこもった熱が冷めていく。
と、そこで異空間のドアが開いた。




