⑥幸せとはあなたと
翌日のお茶の時間、予期せぬお客様と一緒になることになった。
外のテラス席には、テーブルいっぱいに、エミリーが用意してくれた、チョコレートの入ったスコーンが並べられて、横にはたっぷりのクリームが添えられていた。飲み物はミントをブレンドした茶葉の紅茶が用意され、本当なら興奮して歌い出しちゃいそうな嬉しいティータイムなのに。
リリアンヌの前には、ちょこんと、エイダンが座っていた。小さいながらも、洗練された王子様。カップを持つ手が上品で様になっている。
「って!なぜ、あなたがここにいるのよ!」
当たり前のように、着々と準備され、普通にお茶を飲み出したので、ツッコムのを忘れていた。
「何だよ!説明しただろ、昨日僕に水をかけた女を調べさせたら、お兄様の婚約者で、ゲストハウスに泊まっていて、リリアンヌという名前だと分かった。だから、ここにいるんだ」
「名前が分かったところから先を省略しないでよ。何?昨日のことで、何か言いに来たのかしら?」
エイダンは昨日と同じ、上等な紳士の服を着こなして、優雅に足を組んでいた。暑いのに黒の革手袋を付けているので、何か外せない事情でもあるのだろうか。
エイダンは少し思い詰めたような表情で、ぽつりぽつりと話し始めた。
「…分からないんだ。僕の周りの人間は、黙っていて喋らないし、顔を見れば目をそらし、話しかければ恐がって謝る、だからいつも僕はイライラしていたんだよ」
「…それは昨日今日の問題じゃないでしょ。何かあったからで、そういう人間関係になってしまったのではないの?昔はみんな普通に接してくれたのでしょう?」
「………うん」
そう言ったきり、エイダンは黙って下を向いてしまった。何か相談っぽい雰囲気になってしまったので、お茶の種類を子供が好きそうな、フルーツが入ったものに変えてもらった。
「あの日、火事があって…全部変わってしまった。お父様も…使用人達も…僕自身も」
「火事…?」
「…かくれんぼしていたんだ。仲の良かった使用人の子供達と。机の上には誰かが消し忘れた、油のたっぷり入った蝋燭があって…誰かが机にぶつかって落ちて…毛足の長い敷物の上に落ちた。火は一瞬で海みたいに広がって…他の子供達は…逃げてしまった。僕も逃げようとしたけど、手を焼いてしまって…痛くて恐くて…動けなくて」
思い出しながら、エイダンの青い目には涙が浮かんでいた。まだ、取り残されたままのような顔をしていて、それを見たら、思わずエイダンの手を握っていた。
「幸い火は大きくならず止められて、僕も助け出された。お父様は怒り狂って、一緒に遊んでいた子達は遠くへやられて、会えなくなってしまったし、大人の使用人は処分されてしまった。それ以来…誰も僕に近づいて来ない。お父様とも距離が出来て、上手く話せないし、使用人達はいつも…哀れむような目で…」
「悲しい事故ね…」
「誰も僕とちゃんとお話ししてくれない!だから、だから、全部人形だと思うことにしたんだ。人形だったら、何をしてもいいだろ。叩いて蹴って踏んづけて、そしたら、みんな悲鳴をあげるんだ。それを聞いたら僕は…」
エイダンの瞳に暗い色が宿り、歪んだ顔で笑った。
「受け入れてもらった気がしたの?」
どこか遠くを見ていたエイダンと、やっと目があった。
「自分と向き合ってくれたと思えたのね。でもそれじゃ悲しいじゃない」
「え…?」
「恐怖で自分の存在を認めさせても、幸せを共有できないなら、悲しいわ」
「しあわせ?…きょうゆう?」
「だから、こうやって、甘くて美味しいお菓子を食べて、幸せーって思うでしょ。一緒に食べてる人はどうかなって見ると、その人も美味しいと言って笑っていたら、その人も幸せなんだって分かる。そしたら、一人で嬉しいよりも、ずーっと!嬉しい!一緒にいる人と同じ幸せを一緒に感じられたら、その方が良いと思わない?」
「………思う。僕も幸せの共有したい」
エイダンがポロポロと涙をこぼした。その顔がどこかフェルナンドに似ていて、胸がキュとなった。
「簡単よ!ほら」
エミリーが作ってくれた、スコーンにクリームを付けて、エイダンの口に持っていった。エイダンは半分だけパクっと食べた。
「…ん…甘くて、美味しい」
残りの半分を、自分の口に放り込んだ。
「んーー!!やっぱりエミリーが作るスコーンは最高!絶品だわ~幸せ~!」
エイダンは、目をパチクリしながら驚いて、顔が赤くなっていった。
「どうかしら、悪くないでしょ」
「…うん。悪くない」
そう言って、ピンクのふわっとしたほっぺを膨らませてから、ちょっと涙目で微笑んだ。
「ちょっと!可愛すぎるー!閉じ込めておきたいくらい!」
思わずぎゅっと抱きしめて、頭を撫でた。
「リリアンヌさま、それは…!」
エミリーがさすがにやりすぎと止めに入った。
「あぁ、ごめんなさい。可愛くてついつい…」
慌てて手をほどいて、離そうとすると、今度はエイダンが飛びついて来た。
「だめだ!離さないで。こうしていると、幸せを感じられたんだ」
(そんなこと言われたら無理やりはがせないじゃないかー)
「エミリー…」
「あ!私、お茶が冷めてしまったので、代わりをお持ちしますね!どうぞ、ごゆっくり~」
エミリーに目線で助けを求めたら、逃げられてしまった。
(あーあー、どうすりゃいいんだこれ…)
エイダンはリリアンヌの胸に顔をうずめたまま動かず、離れないとばかりにしがみついてきた。
のどかな庭のテラスには、リリアンヌのため息が響きわたった。
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「これは……どういうことですか?」
「それが…どうも、なつかれてしまったらしく…」
お茶の時間を過ぎても、エイダンは離れてくれず、時折モゾモゾと蜂蜜色の髪の毛が揺れて体を動かしているのだが、それでも、頑としてしがみついたままだ。
午後の勉強の時間になっても、姿が見えなかったので、慌てた教師が探しに来たが、あっちへ行けと帰らされ、今度は教師の訴えを聞いたロイスがやって来た。
「ゴホンッ。エイダン様、お部屋に戻りましょう」
「やだ」
「エイダン様、リリアンヌ様も困っていますよ。今日の国学の授業はどうされるのですか?」
「休む」
「エイダン様、今なら怒りませんよ。さぁ、ロイスと行きましょう」
「やだ。ロイスうるさい。帰れ」
本人は見ていないから分からないだろうが、こちらからは、ロイスの顔が恐ろしい鬼のように変わっていくので、見ているだけで恐すぎる。
ロイスは鬼の形相のまま、こちらに目線を変えてきたので、恐怖で震えがくる。
どうにかしろと目で訴えてくるので、息が止まりそうになった。
「おーい、エイダン様。そろそろ戻らないとみんな困ってしまうわよ。お勉強の時間がないときは、遊びにいらしてくれていいから、ね?」
「だったら、…僕、リリアンヌと一緒に寝たい…」
「それはダメです!!絶対だめ!!子供の教育上許されません!!」
これにはなぜか、後ろで控えていた、ティファが叫び声を上げた。
「…ティファ。あ…ほら、王子は他の者のベッドでなど寝てはいけないのよ、ね、エイダン様、ん?エイダン?」
話しかけても反応がなかったので、よく見ると、寝息をたてて、すっかり眠ってしまったらしい。
「ほら、貸してください」
寝入ってしまったエイダンを、ロイスに渡した。ロイスはそのまま横抱きにして抱えた。
「エイダン様は眠りの浅い方ですが、最近、ますます眠れないことが多く、お疲れだったのでしょう。今日はこのまま授業は休みにさせます」
そう言ったあと、ロイスはまたチラリとこちらを見た。
「まったく、ますます予測不能ですね。あなたは…。フェルナンド様は明日には戻られると思いますので、この事も報告させていただきますので、そのつもりで」
「はい…分かりました」
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ロイスとエイダンは、やっと出ていったが、すっかり辺りは夕日のオレンジ色に染まってしまった。
エミリーとティファが、テラスの食器を、てきぱきと片付けてくれて、三人で部屋に戻った。
「リリアンヌ様、明日フェルナンド様帰ってこられるみたいですねー!良かったですね!」
エミリーは、自分のことのように喜んで、いつも大人しいティファは、静かに微笑んでいた。
「そしたら、明日の夕食には、レイボン実のお酒でも出しましょうか」
「だめです!絶対にだめです!…これ以上おかしくなったら、私止められませんー!」
いつも冷静なティファが今日は二回も取り乱している。いや、けっこう、表情豊かなのかもしれない。おかしいと言われるのは心外だか。
「あー、そうなのよエミリー、私、お酒はあまり得意ではなくて…」
「え?全然強くないですよ。昔は子供にも飲ませていたくらいで、効能は子供騙しみたいなもので…」
「効能?」
「エミリー!そういえば私、あなたに大事なお話があったのです!どうしても、今言っておかないと忘れてしまう話です!」
「え???はい」
「ささ!どうぞ、こちらへ!リリアンヌ様また後で参りますので!では!失礼します!」
エミリーは退出の挨拶も出来ず、ティファに首根っこを掴まれる勢いで連れていかれてしまった。
「二人とも元気ね。ティファってやっぱり、大人しいタイプではなさそうだわ…」
残されたリリアンヌはひとりごと。
夜はまだ始まったばかり
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お読みいただきありがとうございます。
エイダンの過去と、リリアンヌの幸せの共有でした。効能についてはご想像にお任せします。
次回はローリエが登場です。