④幼き暴君
久しぶりに夢に蘭が出てきた。
真っ暗な闇の中に、蘭の声が響いた。
¨透哉、大切な人見つけたみたいね¨
「蘭、笑っちゃうだろ。俺が男に好きだなんて言うなんて」
¨あら?透哉は、もう立派なレディよ。素敵な殿方に恋したって何も問題ないでしょ¨
「リリアンヌか。いつか俺は消えて…リリアンヌになってしまうのかな」
¨透哉は消えないわ、でもリリアンヌも消えない。二人で一つなのよ¨
「でも、蘭、俺…何やってんだろうって…自信がなくなってきたよ」
¨透哉、あなたはあの家に生まれたから、小さな貝になって閉じこもって生きるしかなかった。本当のあなたは、もっと速く泳げる魚であり、速く飛べる鳥であり、大地を駆ける風のような人だった。大丈夫、恐れず前を向いて歩いていくのよ¨
「…蘭」
¨…本当は私が側にいたかった。大好きよ、兄さん¨
「……アンヌさま…髪をとかしますね」
「んんっ…、アニー…?」
朝の光が眩しい。薄く目を開けると、鏡越しに綺麗な女性と目があった。
「あっ、ティファ。おはよう…」
すると、ティファは薄く微笑み、やっと起きられましたかと言った。
すでに鏡台の前の大きな椅子にもたれて座っており、ネグリジェの上に、寒そうだったのかガウンまで着せてもらっていた。やけにキツめに結ばれているが、ここまでやってもらって文句は言えない。
さすが王宮メイドだ。アニーには悪いけど、手際よく、支度をすませていった。
「私、ここまでちゃんと歩いた?迷惑をかけてしまったかしら、ごめんなさい」
「いっ…いえ、想像していたものとは…ちょっと違って…驚きましたが、私もプロですから、何も問題はありません。こちらへも、ご自身の足で歩かれて来られました」
ティファは昨夜と同じく美しかったが、ビシッと着ていた服は、少しよれているし、髪も少しみだれがあるように思える。
「ティファ大丈夫?疲れているように見えるけど…」
熱でもあるのかと、ティファのおでこを触ろうとすると、パっと後ろに下がって避けられてしまった。
(あ…迷惑だったかな)
「もっ申し訳ございません。朝食をご用意しますね」
ティファは真っ赤になって、パタパタと片付けをして、出ていってしまった。
「失敗。ダメだな、距離感がつかめないや」
ロロルコット家では、使用人とお茶をしたり、ゲームをしたり、家族のように仲良く過ごしていたので、ついその勢いで失礼なことをしてしまったようだ。
ちょっと気持ちの沈んだ朝食を食べ終わると、やることもないので、ロイスには必要ないと言われたが、招待客リストをながめることにした。
そのまま、部屋にこもっていると陽が高くなり午後になり、お茶の時間になって、訪問者がやってきた。昨日も来てくれた、エミリーだ。
いいお天気ですから、外でお茶にしましょうと誘ってくれて、庭のテラスに用意をしてくれた。
白いテーブルとイスがあり、小さな薔薇に囲まれていて美しかった。時折小鳥が飛んできて、気まぐれに歌を歌っていく。
「ここは素敵なところね。薔薇の良い香りがするわ」
「このゲストハウスは、香りの良い薔薇が咲いてますが、少量なんです。王宮のローズガーデンには、数えきれないくらい、たくさんの品種の薔薇が咲き誇っていて、それは見事ですよ」
「いつか見てみたいわ。きっと息もとまるくらい、綺麗なんでしょうね」
エミリーはお茶のおかわりを勧めてくれた。
「ありがとうエミリー、ここに来て、自分がどうしようもなくダメだと思って落ち込んでいたの。夢の中でも励まされたわ。私は本当、人に支えられてばかりだわ」
「良いことじゃないですか。人に支えられるということは、人徳です。誰でもそうはいかないですよ。悪いことじゃないですよ。どうしても、気になるなら、笑顔でありがとうって言ってくれれば十分、みんな嬉しいと思いますよ」
エミリーは、丸くて可愛い鼻をちょんと擦り、少し照れながら話してくれた。
「エミリー、あなたは太陽みたいな人ね。きっと周りの人にたくさん好かれているわ。私もその一人になって良いかしら」
エミリーは、ますます真っ赤になって、そんなもったいない、いえ、もちろんですと言ってくれた。
「あっ、このスコーン絶品ね。クリームと合わせると口の中でトロけるわ」
「ありがとうございます!それ私の自信作なんです。エイダン様もお気に入りなんです。というか、それしか食べてくれませんが」
エイダンという名前が出てきて、ちょっとビクっとなった。要注意人物のロイスがあまりにも強烈だったので、それ以上の強者だったらどうしようかと思ったが、よく考えればまだ8歳のスコーンが好きな男の子だ。お坊っちゃま的な我が儘にみんな手を焼いているだけだろう。
フェルナンドとエイダンは腹違いの兄弟だ。
お姉さまとフェルナンドを産んだ前王妃は、フェルナンドが幼い頃に亡くなっており、現王妃は10年前に嫁がれた方だ。
国王も遅く出来た子供に、夢中で愛情をかけて甘やかしているのかもしれない。
「明日は私、夕食の当番なので、午前中は空いているのです。リリアンヌ様、少しお散歩に行きませんか?」
「え?その、ロイスから、あまり出歩かないようにと言われていて…大丈夫かしら」
「うへー。ロイス様そんな事言われたのですか。本当堅物だなぁ。心配ないですよ。中央までは行きませんから。ゲストハウス周辺をぐるりとまわってみましょう。ずっと、お部屋の中じゃ気が滅入ってしまいますよ」
「ありがとう。明日の楽しみが出来たわ」
エミリーとの楽しいお茶会はあっという間で、少し寒くなっていた心が、ぽっかり温まった。
夜は昨日と同様、ティファが来てくれた。
なんと、自作の薄いガウンを持ってきてくれた。前部分にたくさん紐が付いていて、それを全部結んでいくという、ものすごい面倒な作りのもので、大変だから、もっと簡素なものでいいと伝えたが、どうしても着て欲しいと言われたので、大人しく着せられた。
ちょっと動きづらいが、寝心地は悪くなかったので、すぐに瞼が重くなった。
□□□□□
翌日、午前中にエミリーが来てくれて、外へ連れ出してくれた。
ゲストハウスは王宮の端に位置していて、独立した建物になっていた。
中央と呼ばれる王宮の中心部は、政務を行う建物や、王族達の住居がある。王子達の部屋も中央にある。王や王妃は奥宮と呼ばれる中央からより奥へ進んだ場所が住まいとなっていた。
エミリーが、ゲストハウスから中央を見ながら、説明してくれた。
「私は中央の厨房でまだ見習いなんですけど、お菓子だけは担当させてもらっているんです」
「昨日持たせてくれたクッキーもとても美味しかったわ。エミリーの作るお料理も早く食べてみたい」
「ええ!ぜひ、今度練習したもので良かったら感想を聞かせてください!」
「もちろん!私、食べること大好きだから、楽しみに待っているわ」
エミリーと散歩をしながら、楽しくお話ししていると、何やら人の声が聞こえた。
何か切羽詰まったような声だったので、思わずそちらの方に目を向けた。
低い生け垣の向こう、中央の建物の庭園にあたる場所だ。
「申し訳ございません!申し訳ございません!どうか!どうかお許しください!」
(何事?)
見ると男の人が地面に這いつくばって、泣きながら許しを乞うていた。
「僕の靴に水をかけるなんて、お前、庭師失格だね。謝ってすむ問題かな、これって…?」
「ひぃーー!どうかお許しを!」
どうやら、庭師が怒られているらしい。そのお怒りの人物を覗き見た。
蜂蜜色のふわふわの髪と真っ青な瞳、まだ子供で幼く、ふっくらとした愛らしい頬、一見女の子に見えるような可愛らしさだが、着ているものは、上等な男子の装い。尊大な態度から、彼が貴族であることは間違いない。
しかし、びっくりするのは真っ黒な革手袋と、その手に持った鞭だ。乗馬で使用するものだと思うが、先の方がエグいトゲトゲみたいになっていて、殺傷能力高めているし、それを手の上でバシバシ叩いてもてあそんでいる。
「ねぇ…あの…、ちょっとヤバイ子…もしかして」
エミリーに小声で話しかけてみた。
「エイダン様です。びっくりされますよね、よく、ああやって、使用人を叱責する方なのです」
(まー…そうだよな…、エイダン様かなと思ったよ)
エイダンは、庭師の頭を踏みつけた。庭師は動かずじっと耐えている。
「仕方がないです。私たちは雇われの身なので。王族の方がいかに横暴であっても耐えるしかないのです。特に、この王宮では、エイダン様に意見が言えるのは、フェルナンド様かロイス様くらいで…お二人ともいつもいるわけではないので…」
(いくらなんでも、おかしいでしょ!8歳であの乱暴さ、先が恐ろしすぎる…まさか、鞭で――)
「ほら!僕の靴が濡れているだろ!どうしてくれるのかな!そうだなお前には鞭をくれてあげるよ、愚かなお前にはそれが相応しい!」
「ひぃぃぃ!やめてくれー!」
バシーン!と鞭を当てる音が響いた。
庭師の背中は服が裂けて、血がにじんでいる。
「まだ、足りないよ。背中が真っ赤に染まるまで、叩いてあげる」
エミリーは口を押さえて、目を閉じて震えていた。
エイダンがもう一度鞭を当てるために、大きく手を上げた時、体が自然と動いた。
近くにあった水桶を掴み、エイダン目掛けて中身をぶちまけた。
庭師の男は、慌てて背中を押さえながら、走って逃げていった。
自分の中にこんなに怒りがあると思わなかった。透哉は学校でもよく苛められた。モップで殴られて、ボコボコにされて、掃除用具入れに閉じ込められた時もある。
その時でさえ、怒りは込み上げてこなかった。
なのに、今は、頭が沸騰しそうなくらい、熱を持った怒りに支配されている。
「いい加減にしなさいよ、このクソガキ!その人は王宮に勤める庭師よ。アンタの玩具じゃない!靴が濡れたですって、ちょうどいいじゃない、全身ずぶ濡れになれば気にならないわよ」
一瞬呆気にとられて、固まっていたエイダンだが、すぐに、こちらを邪悪な獣のような目をして睨んできた。あちらも怒りに震えているようだ。
「…誰だ!貴様は!よくも…!この僕にこんな仕打ちをしてくれたな!使用人の不手際を指導するのは主人の責任だろう!僕は何も悪くない!」
「鞭で打つことが指導なの!?痛みは恐怖と憎しみしか生まないわ。だいたい、靴濡らされたくらいで、怒り狂うなんて、人を使う者として失格よ」
「偉そうな事を言って!何様だ!この僕に意見をするなんて、上等だ!今ここで死刑にしてやる!」
エイダンは鞭を構えてこちらに向かってきた。年上だが令嬢ひとりくらい、簡単に倒せると思って来たのだろう。
「きゃーーーーーー!!」
エミリーの叫び声が空に響いた。
□□□□□□□
エミリーいい子です。。。
次回、血の滴る惨劇をあなたは目撃する!
…とはならないので、ご安心を。