⑲小話:おまじないのキス
「え?姉様がエリーナ様の護衛を!?」
昼時が過ぎた食堂のカフェで、遅いランチをとっていた僕の元へ、姉のリリアンヌがふらりと訪れたのである。
「護衛なんてそんな大層なものじゃないわよ。移動するときは交代で付いてあげるだけ。そもそも人気のない所にはいかないわ」
今はローリエと、詩の朗読会の打ち合わせに行っていて、私は暇だから顔見に来ちゃったと、姉は微笑んだ。
姉の甘さたっぷりで無垢な笑顔に、頬が思わず赤くなる。
この人は昔からそうだ。子供の頃から大人びた香りを放つ不思議な女の子だった。
成長したらその派手な顔立ちや女性らしすぎる体つきは、かなり目立つ。
一見近寄りがたく、冷たくあしらわれるようにさえ思われるが、ちゃんと話してみれば、その魅力に引き込まれる。
特に気取らない、無垢な少女のように見えるさまは、そのギャップに男女違わず誰もが惹かれてしまう。
本音をいうと、僕はなぜ姉の弟になってしまったのかと思った時もあった。
しかし、弟だからこそ、自分にしか見せてくれない顔があり、それを独占出来てきたのだ。
今は姉の幸せを一番望んでいる。
もちろん、フェルナンド殿下に文句はない。
僕には恐ろしいが、姉の事はきっと大切にしてくれるだろう。現に姉を見るときの殿下は、大切で壊れやすい宝物を見るときのような目をしている。
以前パーティーでお見かけした時は、人形のように笑う方だった。血が通っているのかと、思ったくらいに。
彼も姉に会って変わった一人かもしれない。
そして、姉もまた変わってきている。
男と付き合うなんてキモいと言って、興味のあるものと言えば、男子が好むようなものばかり。護身術だと言って東方の武闘家を呼び、日々鍛練に明け暮れている時は、さすがにお父様と頭を抱えた。しかしそれが役に立った時もあるので一概に否定は出来ないが。
結局、周りから囲まれてしまい、いつまでも逃げているわけにいかなくなった。
結果として良い方向に、向かっていると思う。
僕が認めるのはどうもしゃくなのだが、姉は殿下に好意を持っている。
まだ、そこまで自覚していないから、殿下は大変そうだけど。
まぁ、殿下はこの際どうでもいい。
僕は不慣れな姉が傷ついてしまわないか、それが心配なのである。
「私はユージーンが心配なのよ」
「え!?」
心の声を見透かされたのかと思い、心臓がドキリと鳴った。
「学園に入ったばかりで、給仕のお仕事を始めて、ちゃんと食べれてるの?ちゃんと睡眠はとれてる?授業には付いていけてる?」
姉は母親のような事を言って、僕の頬を触って、肉の付き具合を確かめているようだ。
他人には警戒心が高いが、一度懐に入れるととことん甘やかす人なのだ。
「心配しなくても、食欲は旺盛、睡眠も取れるし、授業も問題ないよ。頬が痩けるような事はないから安心して」
姉は薔薇の花が咲いたみたいに、艶やかに甘く笑った。
「あー、でも今日は算術のテストがあったから、その結果が気になってよく眠れないかも。基準点を落ちると追試なんだよね」
「あら、算術は得意じゃない。大丈夫よ。しっかり頭を休めたほうがいいわ。……そうだ」
よく眠れるおまじないをしましょうと言って、姉が近づいてきた。
伯爵家に来てすぐ、僕は慣れない環境で、よく夜泣きをした。お母様を取られてしまったと思い怖くて眠れなかった。
そんな時、泣き声を聞いて様子を見に来た姉が、ベッドに入って寝付くまで一緒にいてくれた。
そして、絵本で見たという、よく眠れるおまじないをしてくれた。
「眠りの世界の妖精さん、あなたの世界へ連れていって、優しい優しい夢が見れますように」
そう言って姉は、僕のまぶたにキスをした。
懐かしい気持ちで、心がほっこり満たされる。
「もう、姉様ってば、僕はいくつだと思っているの?」
「15だと聞いているが」
「そう、15に・・・」
突然男の声で返答があり、ぱっと目を開けると、目の前に恐怖の大魔王が座っていた。
「でん!ああ!!ががが…………」
「フェルナンド、まぁこれからランチですか」
「そうなんだ、前の授業が長引いてね。おかげで興味深いものが見れた」
姉に向かっては、天使ような笑顔で話している。初夏だというのに、食堂の温度が一気に下がってきた。
「それより、二人は本当に仲の良い姉と弟だね。そんな可愛いおまじないをするなんて」
「昔、ユージーンが夜泣いたときなどに、よくやっていたのです。弟は今も可愛いですけど、小さい頃はそれは可愛くて。一緒のベッドで寝ると、寝付いてもなかなか離してくれなくて困ったものでしたわ、ふふっ」
姉はたっぷり燃料を投下してくれた。
「へぇーーー、それはとっても仲良しだね」
「でっ殿下、あの!子供の頃の話ですよ!」
「それはもちろん分かっているよ、ユージーン。今もそうだったら、私は何をしてしまうだろうか、自分を抑えきれないよ」
「ひぃぃぃ!!!」
とっても冷静にお話しされているが、そろそろ殿下の後ろから、得体のしれないオーラが出始めた。
意味が分かっていない姉は、目をパチパチと動かして、とりあえず笑っておこうという顔をしている。
食堂に残っていた生徒が、ただならぬ気配に、皆、席を立って逃げ出していった。
どうせ、僕だけ残されて灰になるのだと覚悟した瞬間奇跡が起こった。
「あっ…フェルナンド、もしかして、やきもちを焼いているのですか」
姉の壊れていた年代物の感覚機能が、いきなり高性能に進化したのだろうか。
殿下の後ろに立ち上がっていた、絶対零度の炎の竜巻が一瞬で消滅した。
「フェルナンドも、まだまだ幼いのですね。眠りの世界の妖精さん、フェルナンドにも良い夢を・・・」
そう言って姉は、フェルナンドの目の上にキスを落とした。
あぁ、この人はとんでもない人だ。
殿下は、石像のように固まって微動だにしない。どうやら座ったまま、意識を失ったようだ。そりゃ怒ったり喜んだりして血の巡りがおかしくなるだろう。
「フェルナンド!え?どうしたの?反応がないわ!」
「大丈夫だよ、姉様。気絶されたみたいだから。放っておいたら、そのうち気がつくよ」
「なにか、悪いものでも口にしたのかしら…、それともすごく疲れていたから?」
姉は混乱しながら、答えのでない答えを探していた。
しかし、姉のおかげで命拾いしたことは確かだ。
「僕はもう行くよ。殿下によろしく言っておいてね」
姉が、えー!ちょっと!と言っていたが、この機を逃さずいつ逃げるのだと、さっさと置いてきた。
殿下には悪いけど、もう少し可愛い弟のポジションでいるのも悪くないなと思いながら、走って帰るのであった。
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「あいつ、逃げたな。よくも放っておけと言ってくれたな」
ユージーンが食堂を走り去って行った後、フェルナンドはパチリと目を開き、怪訝な顔で喋りだした。
「フェルナンド、大丈夫ですか?どこか悪いところでも…」
「ああ、リリアンヌ。私はこの通り、全く問題なく元気だよ。ちょっと、ね、余韻にひたっていたんだ」
「元気であれば、良いのですが…、やはり、お疲れなのではないですか。生徒会のお仕事と、国のお仕事もこちらに持ち込んでされていると聞きました」
リリアンヌは心配になり、フェルナンドの顔を覗きこんだ。目の充血、目の下の隈、頬が痩けていないか、ペタペタ触ってチェックしてみたが、気になる箇所は見当たらなかった。
「ん…見た感じは大丈夫そうですね」
「リリアンヌ…やっぱりだめだ、頭がクラクラする」
「ええ!大丈夫ですか?少し横になった方がよろしいのでは…」
もし、部屋まで運ぶなら、誰かに手伝ってもらう必要があるので、リリアンヌは声を上げようとした。
「待って!おまじないだ」
「え!?」
「あれをやってもらえば、良くなるかもしれない。いや、絶対良くなる!!」
「・・・・・・フェルナンド」
子供のような要求に、リリアンヌが折れかけたとき、ガタガタと乱入者が入ってきた。
「お!フェル兄も今から飯か!一緒に食べようぜー!」
「失礼します。フェルナンドさま。アルフレッド!勝手に私のエビフライをとるな!Aセットはチキンだろう!」
「悪いなー!ルカ!そっちの方がうまそうに見えるんだよ。あっ、フレイム兄も、こっち!こっちー!あー!デザート付だ。そっちもうまそう!」
「…デザートはやらん。あっ、リリアンヌ、久しぶりー」
あっという間に、テーブルは男でうめつくされ、静かだった食堂はうるさいくらい賑やかになった。
「あの、私、食事は終わっているので、もう戻ります。皆様、ゆっくりランチをお楽しみくださいね。では~」
じゃーなとか、お邪魔だったかな悪かったねーとか、皆に言われながら、リリアンヌは食堂を出ていった。
「おい…なんか…、ここ寒くないか?」
「何か、背中がゾクゾクと…悪寒が…」
「あっ…燃えてる」
三人が全員一斉にフォークを落として、固まった。
「さぁ楽しいランチを始めようか」
その後、何故かその食堂は急に改装工事で使用禁止になり、急いで臨時の食堂が用意された。竜巻を見たとか、おかしな事を言う者もいたが、いつの間にかそんな話も消えた。
ユージーンはホール係から、もっと激務な調理場に異動になり、王子が木材を運んで工事を手伝っているという噂が流れたが、真相は誰にも分からなかった。
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愛され主人公が大好きです。
仲良しの弟と姉も良いですね、羨ましいです。