奇妙な噂
コンコンコンコンと、ドアを4回ノックする音が私、雛森 鈴が住むアパートの一室に響く。
既に時刻は20時を回っている。普段なら誰かと思うところだけれど、今日に限っては既にアポイントメントが来ていたので、訪れた人が誰なのか、大体の予想がついていた。
「諸星です。先日の件で伺いました」
「わざわざご足労いただき感謝します。どうぞ」
やって来たのは諸星 光。諸星グループの東日本支社を総括する夫の妻で、私が監督する千草ちゃんと墨亜ちゃん、二人の魔法少女の母親。そして、5日前に襲われたと言う、アリウムフルールを魔法庁にも極秘に保護した張本人だ。
アリウムが魔法庁にも秘匿されて保護されている理由については、彼女を実際に救出した千草ちゃんの意向が強い。
元々、強い理由があって野良を続けていると思われるアリウムを、恩に着せて魔法庁に無理矢理取り入れようとするのは、私個人の感性からしてもナンセンスと考える部分がある。
あくまで私が彼女を率先して保護しようと動いていたのは、現状彼女を取り巻いていると思われる環境が、非常に劣悪である可能性が高いと言う、『未成年者を保護する』意味合いが強いのであって、彼女の魔法少女としての活動を無理矢理国の考えに沿わせよう、という思惑は無い。
魔法少女の監督者として、政府の役人として、魔法庁に所属する人間としては、この考えは落第級の物だろうけれど、彼女達にだって意思がある。
それを無視した行為はしたくない。その結果、今回のアリウムの保護も諸星家全面協力の下、魔法庁職員としてではなく、あくまで私個人の私的理由で賛同し、私も協力することにしたのだ。
そして、野良行為は常に危険が伴う。今回、魔力切れを起こしていたアリウムが、魔法庁が行方を追っていた男に拉致されそうになっていたのは、野良ゆえに起きてしまった事件だろう。
やはり、無理矢理にでも魔法庁に引き込むべきかとも考えてしまう。ただ、彼女の意志も尊重したい。保護と尊重、二つの間で揺れ動く私の考えを見据えた様に、諸星家が率先して彼女の保護に乗り出してくれたのは、僥倖とも言えた。
「アリウムの容態はどうですか?」
「今は安定している。3日前みたいなフラッシュバックは起こしていないから安心して」
特に心配だったのが、アリウムが急性ストレス障害を発症したと連絡が来た時だった。肉体的外傷こそは無かったものの、精神的外傷までは防ぎようもない。
恐らく中高生であろう彼女が暴漢に襲われたともなれば、そうなってしまうのは私自身に置き換えて考えてみれば無理のないことだと思う。
絶対に覆しようがない状況で、他者に乱暴されると言う行為は、他人が思う以上に、被害者の精神を滅多打ちにするのだ。
「とは言っても、この3日間は男性を一度も視界に入れさせてないわ。会話も無し、その状態での安定だから、治ったとは言えないわね。最低でも、一か月以上のカウンセリングが必要だとは、貴女も同僚のお医者さんから聞いているんじゃない?」
「はい、奈那からは連絡が来ています。PTSD(心的外傷後ストレス障害)になってしまう事も視野に入れながら治療していくべきだと」
アリウムの診察には魔法庁所属の医療スタッフで、私の同僚の新田 奈那に協力を仰いでいる。勿論、彼女も魔法庁にはこの件を話していない。
魔法庁に知られれば、弱っているアリウムを今の内に手籠めにしてしまえと言う御達しが、恐らく来るに違いない。
魔法庁上層部は魔法少女を消耗品か何かと勘違いしている傾向が強い。おかげで上層部と現場の職員は、何処の地区も非常に仲が悪かったりする。
「その上で、あの子の身の上を可能な限り調べた人間として、貴女に言うわ」
それと、今回の保護には彼女の身の上を出来るだけ内密に捜査すると言う狙いもあった。
先程も言ったが、野良には危険が強く伴う。いざとなった時、迅速に彼女を保護出来るよう、私個人が彼女の情報を出来るだけ把握しておく必要は、強く有った。
アリウムを保護するのには最適だったのだ、諸星家と言う巨大な組織の庇護下に置かれるという事も、元検察官で『読心術師』とまで謳われた、諸星光という女性が身近にいるという事も。
「今はあの子からは手を引きなさい。貴女の立場から、彼女に出来ることはあまりにも少ないわ」
だからこそ、彼女の言葉には耳を疑った。