奇妙な噂
短く切り揃えられた清潔感のある髪型と、少し彫りの深めな顔立ち。
若々しい光さんとは裏腹に、いぶし銀のように端々にある皺が端正な顔立ちに色を加える。
体格はガッシリと180㎝はあるだろう。男性としても大柄な方だ。
そんな男性が、グレーのスラックスと半袖シャツを着熟して、部屋の一人用のソファーに身体を沈めて、パッシオを指先で撫でていた。
「あなた、仮にも女の子を寝かせている部屋よ。少しデリカシーが無いんじゃない?」
「む、それは、そうだな。すまない。墨亜と千草が保護した魔法少女が目を覚ましたと聞いたからな。気になって仕方がなかったんだ」
勝手に婦女子の部屋に上がり込んでいたという事で、目くじらを立てて怒っているが、玄太郎さんも申し訳なさそうに反省の色を示して謝罪する。
見ると美弥子さんも非難を訴える視線を向けているので、一応体面的には唯一の男性である玄太郎さんは肩身が狭いことだろう。
「次からは気を付ける。どれ、夕食にしよう。真白さんも一日寝込んでいたんだ、お腹が空いただろう?」
「は、はい……」
ただ、それ以上に俺の緊張は今までにないくらいに身体を固くさせていた。
特に緊張する理由はない。ない筈なのに、心臓がうるさいほど鳴り響くし、喉は乾き、汗が噴き出してくる。
目の前の、この男の人から、視線を動かすことが出来ない。
「しかし、驚いた。千草たちと肩を並べるほどの野良の魔法少女が、こんなに可憐だとはね。君がここに運ばれた経緯も聞いている。体調が戻るまでしっかり休むといい」
そうやって玄太郎さんがソファーから立ち上がると、膝の上で撫でられていたパッシオがぴょんっと飛び降りて、私の方へやって来る。
そうして、一歩、二歩、三歩と近づいて来て。きっと、安心させようとして優しく撫でようと手を伸ばしてくれたのだろう
その大きな手が近づいて来るのが、私の目には妙にスローモーションのように映って見えて。
『さぁ、ご同行願おうか純白の魔法少女。なに、その瑞々しい身体を貪ろうと言う訳ではないから安心したまえ』
あの時、私を捕まえようと手を伸ばして来たあの男の姿と幻聴が、頭の中に鮮烈に浮かび上がった。
「いやっ?!」
自分でも驚くほど、金切り声が喉の奥から飛び出て伸びて来たその手を振り払う。
驚くような声が周りから聞こえるが、私はもうそれどころじゃなかった。
「いや!!やだ!!来ないでっ!!来ないでっ!!?!?!?!」
「真白ちゃん?!」
「お義父様!!真白から離れて!!今すぐ!!!!!」
「あ、あぁ……」
突然の恐慌に全員から困惑の声が上がる中、俺は暴れながら身を車椅子の中に縮こまらせて、必死に『いまだ伸びて来るように感じる手』を振り払い続ける。
呼吸が荒くなる、視界が涙で滲む。身体の震えが止まらない。
ガタガタと揺れる身体を押さえつけるように車椅子の座席に縮こまるが、一向に迫って来る手が振り払えない。
いやだいやだいやだいやだ!!!!!
「真白ちゃんしっかり!!大丈夫よ、怖くないわ、大丈夫!!」
「美弥子、医者を呼び戻せ!!今すぐにだ!!」
「はい!!」
「キューッ!!キューッ!!」
怒号と慌ただしく駆け回る足音が聞こえては来るが、やはりどうしても身体は震えたまま、涙も止まらない。肩にパッシオが乗って人一倍大きな鳴き声を上げている。
その内、呼吸が苦しくなってきて、意識がもうろうとして来た。
「過呼吸……!!千草、調理場から紙袋持って来なさい!!早く!!」
「何でもいいんですね?!」
「パンを入れた袋があるはずよ!!」
「分かった!!」
また大急ぎで部屋のドアを開けて行った音が聞こえると、苦しい呼吸がもっと苦しくなり始めて来た。
息を止めている訳でも無いのに、苦しい。迫りくる手を一向に振り払えない私はめちゃくちゃに手を動かしながら、必死になってその手を振りほどこうとする。
そんな中で、私の身体をすっぽり包むように何かがぎゅうっとしがみ付いて来た。
「大丈夫、大丈夫だから。ゆっくり、息を吐いて。お願いよ、真白ちゃん……」
「キューッ!!」
懇願するような、心配するような、泣き声にも近いような、そんな声が耳元から聞こえて、私の意識はゆっくりと闇に落ちて行った。