Shadow
暗くじめじめとした廊下を進む。立地の都合上、湿気が溜まりやすいのがこの施設の欠点だがそう文句も言えない。
各地に幾つか散らばっている研究施設や拠点もそうだが、地上にそう簡単に大型の建物は作れない上に、後ろ暗い事をやっている以上はコソコソと隠れるしかないだろう。
緩くかまぼこ状に傾斜のついた廊下の隅に水が流れる音を聞きながら、俺は自身に割り当てられている部屋へとたどり着く。
部屋の中は比較的快適になるように除湿機が回っている。それでも定期的に水を捨てる手間は自分でやる必要がある。立派な壁掛けのエアコンなど室外機が取り付けられないのだから設置のしようもない。
幸い、室温に関しては非常に安定して涼しい。湿気が凄いことと日光を取り入れる窓が無い事を除けば、非常に過ごしやすいと俺は思う。
「任務お疲れ様。相変わらず見事な手際だ」
「……ノックくらいはしろ」
「おや?プライバシーを気にするようになったのかい?人間らしくて良いことじゃないか」
支給されている共通のローブ。『黄昏の衣』と呼ばれている認識阻害用の魔法が込められたローブを脱ごうとしたところで、何のアクションもせずに部屋に入ってきたショルシエに苦言を漏らす。
相変わらずの女だ。妖精である以上、常識が無いと言えばそれまでだがコイツはそれに輪をかけて常識が無い。
俺とて他人の部屋に入る時くらいはノックをする。そういう気配りをするつもりが無いのは知っているが、やられる方はたまったものではない。
「妖精とてプライバシーくらいは気にするだろう。で、何の用だ。次の任務か?」
「なに、可愛い我が子を出迎えてやろうと思ってね」
「冗談は止せ。それに俺は貴様らに作られたが、育てられた覚えはない」
釣れないねぇ、と肩を竦めるショルシエを睨みながら近くにあったデスクチェアを引っ張ってきてドカリと荒っぽく座る。
正直、俺はあまりコイツを好かない。好奇心だけで美学を感じられないからだ。
とは言え、こんなアンダーグラウンドな組織にいる連中など大半は美学もへったくれもないチンピラ上がりか、盲目に信奉する信者か、金回りの良い職場として
扱っているか、だ。
どいつもこいつも自分の目的や他者の目的さえ達せられれば良いという連中が揃っているため、やり方が基本的に汚い。
特に柄が悪いのとショルシエのように自己愛が強いのは苦手か嫌いと言える部類に当たる。
とは言え、俺も仕事だそうは言ってられん。
「なんのようだ」
「少しはお喋りを楽しもうとは思わないのかい?」
「思わん」
キッパリと言い返すともう一度ショルシエは肩を落とす。
だが格好だけだ、その表情は俺の態度を嘲笑うかのように笑みを浮かべて歪んでいる。
ショルシエの発言のその殆どが中身の薄いテキトウなもので、相手の反応を楽しむためだけのモノ。
最低限の対応で十分だ。こちらの感情を動かせばヤツの思う壺だからな。
「仕方ない。さっさと本題に移ろう」
「あぁ、そうしてくれ」
ようやく用件を話すつもりになったショルシエから視線を外しながらデスクの上にあるコーヒーメーカーを動かし、コーヒーを淹れ始める。
唯一とも言える俺の趣味だ。香り高いコーヒーは、美味いうえに頭が冴える。
仕事のことを考えるなら持ってこいだろう。
「よくそんな苦いだけの水が飲めるね。おっと、怒るなよ。さっさと話すさ。新しい任務だ。あの街に潜入して魔法少女達の情報を出来るだけ集めて欲しい」
「スパイか?」
「そこまでじゃない。情報を手に入れる窓口だった宗教団体と支部長が潰されたからね。1番の脅威であろうあの街の魔法少女の事は可能な限り定期的に収集したい。一般人に紛れて数日滞在。日常的に生活して手に入れられる物だけでまずは十分だ」
成る程、確かに情報が途絶えているのであれば簡単な物ですら貴重だ。
やはり立地の都合上、この組織の施設は一般的なインターネットを使えない。
外部の情報収集は人力を使って行っていたのだが、その窓口を日本では摘発されてしまった。
少しの情報も、喉から手が出る程欲しいのだろう。
しかし、一般人に紛れての潜入任務か。個人的にはあまり得意ではないのだが……。
「ついでだから人間らしいことも学ぶと良い。お前が人間らしくなっていくのは、お前を作り出した実験が上手くいっているということの証左だ」
「そこで親などと言わぬところがらしいな」
「君もさっき言っただろ。私は君を作っただけだ、親じゃない」
じゃあ頼んだよと言ってショルシエは部屋から立ち去る。
ドアを閉めろと文句を言ってからバタリと閉め、抽出が始まったコーヒーの香りを楽しむ。
しかしやはり気が進まん。一般人という事は『黄昏の衣』は使わんという事だ。
俺の外見は正直目立つ。あまりこういうのには向いて無いと思うのだがな。
「まぁ、文句を言っても仕方のないことか」
そう腹を括り、俺はローブを脱いでデスクチェアに腰掛ける。
コーヒーメーカーのガラス部分に映る、『赤い髪と青みがかったグレーの瞳』を見て、俺はこの任務に何事も無いことを祈るばかりだった。




