満ち欠けた日常
どうしよう、私の頭にずっと浮かんでいるのはそのことばっかりだった。
人は思ってるよりも大丈夫だ。車から降りた時、一斉に視線を向けられたときはドキドキしたけど、美弥子さんが手を握ってくれたら落ち着いた。
大丈夫。人の視線については前よりずっと大丈夫。それについては信頼できる人が近くにちゃんといれば、問題が無いのがこれで実感できた。
それよりも問題なことが、私が全く予想していなかった方面から襲い掛かって来ていた。
「朱莉ちゃんも、碧ちゃんも紫ちゃんもいる……。そうだよね、朱莉ちゃんも剣道部だって言ってたもんね。なんで忘れてたんだろ、私」
観客席から下を覗き込むと、小声ではあるけれど何か話し込んでいる千草と朱莉ちゃんの姿が見られた。
そう、この剣道の合同練習会に、以前一緒にランニングしていた経験のある朱莉ちゃん碧ちゃん紫ちゃんの三人の姿があったのだ。
一応、あの頃は男の姿で出会っていたし、今は身長も髪の長さも全然違う。
けど、あの三人は数少ないここ最近の間で実際に会って喋って、交友を深めた仲。ましてやおふざけでさせられた女装姿まで見せている。
私自身の容姿が目立つのはそれなりに生きて来てちゃんと理解している。
名前は知らなくても印象に残りやすい。それと同じ赤髪にクセ毛、青みがかったグレーの瞳まで特徴が一緒なら少なくとも血縁者と疑われてもしょうがないと思う。
もし、そのことに朱莉ちゃんたちが気付いたら、そして千草に知らされたら、真白という姿がよく似た男女がいることが知られてしまう。
そうなったら、どうなるのか想像したくない。怖い、ひたすらにもしそうなってしまったらと考えると怖くて仕方がない。
「……真白様、どうかしましたか?お身体の具合が悪いのですか?」
「ううん、大丈夫。なんでもない」
「本当ですね?我慢はなさらないでくださいね?」
「うん、大丈夫。ちょっと考え事しちゃっただけだから」
すぐに私の雰囲気が変わったことを敏感に察知した美弥子さんが、私に視線を合わせながらさりげなく脈を測ったり、顔色の確認なんかをしてくれている。
この優しさが、とっても嬉しくて、とっても怖い。この前の家出の騒ぎだって、結局猶予期間を延長してもらっただけだ。
私が今、ここにいるのは薄氷の上にいるような際どいバランスで成り立っているのだと、改めて認識させられる。
離れたくない、あの時取り戻した温かな気持ちが、気持ちだけではどうにもならなくなるかも知れないのが、怖い。
でも、どうすれば良いのかも分からない。誤魔化せるのかも知れないし、何とかなってしまうのかも知れない。
全く予想をしてなかったことで、こんなにも不安にさせられるなんて思ってもいなかった。
どうしよう、どうすれば良いんだろう。
思わずそのまま美弥子さんに抱き着くと、美弥子さんは黙って抱きしめてくれてそっと、そのまま観客席のベンチに腰掛けた。
「きゅい?」
「人が多くて少し疲れてしまったようです。パッシオ様も真白様のそばにいてあげてください」
「きゅい」
墨亜ちゃんは十三さんと千草たちの試合を見るのに夢中だ。その後ろで、子供みたいに抱っこされて、美弥子さんの胸に顔をうずめている私の何と情けないことか。
パッシオからも大丈夫?なんて聞いているような鳴き声を上げられてしまって、本当に申し訳ない。
「少しお休みしましょう」
「きゅーい」
「……うん」
背中を撫でるその手の温もりに、私を優しく受け止めるその体のおおらかさに、どうしようもない不安を抱える自分を預け、そしてまどろみに誘われるまま、私はゆっくりと意識を手離した。
千草に見られたら、からかわれること間違いなしなんだろうけど、今の私にはそれを考える余裕はない。
「千草おねーちゃーん!!」
「あんまり大きな声を上げてはいけませんよ」
墨亜ちゃんの声援や周囲のざわめきは、夢の世界にいる私にはもう聞こえなかった。
ちょっとプロローグ周りに現状との齟齬があるなと感じたので、ほんのり修正しました。
大きく変化したわけではないので、あまり気にしなくても問題は無いです