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在りし日の悪夢


暗がりの中を進む。コツコツと、裸足なのに辺りには靴底が床板を叩く音を反響させている。

私はこれを知っている。何度も見た、夢を見る時の光景だ。


ここから、映画のスクリーンを眺めるように、何度となく繰り返してみた悪夢を。実際に起きた出来事を、嫌という程思い出させられるのだ。


大体は3パターンくらいだ。


一つは母が亡くなった時。もう一つはその後の一人で過ごしていた学生時代。最後に、看護師時代、紛争に巻き込まれたあの出来事。


二つ目は別に構わない。多少のいじめがあったくらいで別に当時もそこまで気にしていなかった。

厄介なのは最初と最後のやつだ。この二つは私の胸に大きな悔恨を残している出来事。


【お母さん!!お母さん!!】


あぁ、今回は厄介な奴の一つらしい。泣きじゃくる幼いころの『俺』の声が聞こえる。

まぁ、有りがちな悲劇と言えば、そうかも知れない。世界を見渡せば実によくある話だ。


ただ、それでもこの出来事は私の人生に大きな転機をもたらしたものだと思う。













「おかーさん!!」


そこそこ広い家。まだ世界に魔力も魔獣もいない16年前の頃。当時10歳だった私は、外遊びも内遊びも大好きな好奇心旺盛な子供だった。


母を呼び、手にはいくつものたんぽぽの花を持ち、駆け足で家の中へと戻っていく。


「なぁに、真白?」


「たんぽぽ咲いてた!!お母さんにあげる!!」


「あら、ありがとう」


ベッドに横になっている母の目にうつるところにたんぽぽの花を置く。

母の赤く美しい髪の横に置かれたたんぽぽの黄色がアクセントになり、母自慢の赤毛が更に映えるようで、私はにんまりと笑う。


「綺麗ね。本当に綺麗。ここの草花はとても生き生きとしてて、小さくてもしっかりと上を向いている物ばかりだわ」


「私もお花は大好き!!きれいだし、においも好き!!」


「そうね、香りの良いお花もたくさんあるものね」


母は植物が、特に草花の類が非常に好きな人で、体調が悪くなる前。私がもっと幼いころには図鑑を片手に私と一緒に公園にある花の種類を調べまくっていた人だ。


学者気質というか、調べると凝り性のようで私より夢中になって図鑑と実物を見比べていた覚えがある。そんな変わった人だった。


「たんぽぽは大きく分けて二種類、この国にはいるのよ」


「しってる!!せいようたんぽぽとにほんたんぽぽでしょ!!」


「そうね。花の後ろ側が広がってるのがセイヨウタンポポ。広がらずにぴったり花にくっついてるのがニホンタンポポよ。じゃあ、花言葉は知っているかしら?」


「んー、分かんない」


母のお陰で、当時から草花には私もそれなりに詳しくて、母の問題にも答えていく。ただし、流石に花言葉は難しくて、首を横に振って答えをねだった。


母は得意げに笑うと


「タンポポの花言葉は明朗な歌声、真心の愛、それと……」


「それと?」


「……ううん。何でもないわ」


幾つかある花言葉の内、二つを答えそこで答えを打ち切り、誤魔化すように私に笑いかけた。

今なら、その問題に答えられる。


タンポポの花言葉は『明朗な歌声』『真心の愛』。そして『別離』。


母はきっと気付いていたのだろう。自分の命が長くないことを。共にいられる時間は短いと。

そして


「あまりプリムラを困らせるな、真白」


「そんなことは無いわよ。ねー?」


「ねー」


当時から日本でも有数の名医と謳われていた私の父。小野(オノ) 真司(シンジ)に見殺しにされることを、母はこの頃から悟っていたのだろう。


事実として、この二か月後。母は死んだ。






「ねぇ!!お母さんは!!!!お母さんはどこ!!!!」


「……何度も言っただろう。プリムラは死んだ、と」


学校から帰ってきたら真っ先に向かうベッドの上に母の姿は既に無かった。


私はすぐに、のうのうとリビングにいた父に問い詰めた。母はどこだと。あの男は何でもないように、こちらを一つとして見ないまま淡々と答える。


まるで興味が無いように冷静に、冷淡に。

その言動に、まだ幼い私も怒りを露わにする。


「死んだって、死んだってなんだよ!!それだけで済まされることじゃないじゃん!!お母さんが病気だったことなんて私でも分かる!!分かってた!!だから、もう一回聞く。お母さんは、どこ」


「死んだ。弔いも済ませた。会うことは無い」


「ふざけるな!!」


この日、私は初めて他人に掴み掛かった。10歳の小さな体躯で、ソファーに座り天井を眺めているクソ親父の腹に跨り、問い詰める。

死んだと言われて納得できるか。弔いは済ませたと言われて納得できるか。


もう、大好きな母に会えないと大好きな父に言われて、納得できるのか。


「お父さんは医者なんでしょ!!お母さんは病気だった!!なんで治さなかったの!!なんで病院にも連れて行かなかったの!!おかしいじゃん!!」


「……治せないからだ。治せないものをどう治せと言うんだ?」


「治せない病気でも、治そうとするのがお医者様じゃないの?!お父さんが、お母さんのこと治そうとしてるの、私一度も見たことないよ!!」


「治せないんだよ。どう、足掻いても」


この日、私は初めて人を本気で殴って、人を本気で嫌いになった。


母を見殺しにした父を、日に日に弱っていく母をただ見ているだけだった父を、本気で憎んだのは、この日からだった





「私は、貴方を絶対に許さない」


写る、スクリーン。あの時の現実の再現。何度と見た悪夢を見て、何度目かの憎しみを募らせる。

何が名医だ。家族の一人も救おうとしなかった奴が名医なわけも無ければ、医者で良い訳もない。


だから私は医者を目指さず。より患者と触れ合う看護師の道を選んだ。もっとたくさんの人を救えるように、もっとたくさんの人に救いの手を伸ばせるようにと、それが人と人とを繋ぎ、生きる力になるんだと信じて。

私自身の事は顧みず、ただひたむきにその道を突き進んだ。


今でもあのクソ親父の事は許していない。許すものか。

そう再び心に誓おうとしたところで。


『ダメよ。違うの、そうじゃないの』


また、声が聞こえて、誰かが私を後ろから抱きしめたような気がした。


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