地獄から帰って来た者
「おおおおおおぉぉぉっ!!」
腹から声を出して気合一閃。天狗の豪剣とも言うべきか。到底ただの人間では受け止め切れない一撃を弾き返す。
お互い体勢が崩れる中で振り抜かれた右腕以外の腕や足、時には体当たりや頭突きまで駆使してぶつかり合う。
決して、綺麗な戦い方ではない。私が今までやって来たような戦い方では決してなかった。好きか嫌いかで言えば嫌いな戦い方だろう。
戦い方の美学とでも言うべきか。スマートではない戦い方だ。意地汚い戦い方、荒っぽい、まるで動物の縄張り争いのようにも例えられるか。
さらに言えば人間らしくないとも言える。人間らしさとは理性的だったり合理的だったり、剣での戦いであるなら、ひと振り一太刀で勝負を決めるような瞬間のせめぎ合いのような。
私はそういう戦い方を無意識のうちに好んでいたと思う。スマートに、敢えて言うならカッコつけた戦い方だ。
それが当たり前になりつつあったし、それが一番だと思っていた節は今思えばある。
「だはははは!! 最高だなぁ、千草!! お前との戦いは、面白い!!!!」
だが、この天狗との戦いでそれはダメだ。悪手ですらある。格上を相手にする中でそんな舐めた戦い方をしているようでは勝てるわけがない。
それは圧倒的な実力差があって初めて成立する戦い方だ。相手を威圧し、圧倒することで戦意を無くし、心を叩き折るための戦い方。
今の私はそれをやられる側であって、やる側じゃない。そうなれば、私の出来ることはたった一つ。
「そうだ!! 凝り固まった己の流儀など捨て去れ!! 我らの剣はガキのチャンバラとは違う!! 敵を屠り、倒し、殺すためのもの!! 我らの言う戦いとは、剥き出しの本能で戦うもの!! 違うか?!」
荒れ狂う、正確無比な太刀筋。こちらを殺すためだけに振るわれた刃を打ち払い、受け流し、避け、その隙間を縫うようにこちらの切っ先を押し込んでいく。
退くな。だが恐れろ。殺意の乗った刃の押し付け合いの先にしか勝利はない。自分が今まで培ってきた技術に身を任せて、冷静に、貪欲に突き進め。
それこそ、獣のように牙と爪を突き合わせた戦いに私は身を投じていた。
「曲れ――。『捩花』」
『翠嵐・颶風ノ拵』は刀身の部分が常に風属性の魔力を纏うことでその姿を隠している。が、その実態はそもそもに刀身が無いのが真実だ。
刀身そのものが風属性の魔力と同化しており、その周辺にある魔力そのものが刀身でもある。
つまるところ、その都度刀身の長さを変えることが出来る。
残念ながら、形状を変えられるほど便利な能力ではなく、形状はあくまで日本刀のそれから変えることは叶わないが、リーチが打ち合う度に変わるのは相手にとって脅威的であり、その刀身が視認出来ないともなれば迂闊に近づくことも避けるのが定石と言うものだろう。
それに付随した高嶺流の魔法剣術が組み合わさることでその脅威度は更に跳ね上がる。生き物と言うのは一つのメインの感覚に基本的には頼りがちだ。
人間は目。犬が鼻。猫は耳。蛇は舌先の感覚器官などだ。その他の感覚はそれを補助していくサポート役。
人間と同じような生き物は当然視覚がメインの感覚器官。これを狂わされれば、対応は難しいのだ。
『捩花』というこの剣術も刀身が捻じ曲がり、相手に肉薄していくという技だ。見えないうえにリーチが都度代わり、切っ先の向きすら変わっているというのに、この天狗はそれをまるで見えているかのように防いで見せる。
いや、実際知覚しているのだろう。それが無意識化レベルにまで落とし込まれているだけだ。ホント、馬鹿げている。
「腐せ――。『酢漿草』」
こちらもそれだけでは収まらない。敵の装備を腐らせる防御を突破する技を放つモノの、それすらも服に切っ先を巻き込ませて不発に終わらせるとかいう意味不明な方法でいなされる。
バカかコイツ。ミスひとつで腕が落とされるというのに何の躊躇いもなくそれをやって見せた。腐食した衣服がボロボロになるが、それを意に介さずに返しの刃が来る。
「今のはヒヤッとしたぞ!!」
「だったら退けば良いだろ!!」
「んなことしたら今頃首から上が飛んどるわ!!」
今のは受けてくれればそのまま真っ二つ。避けてくれれば伸ばした刀身と『椿』で首を狙っていた。
それをふざけた回避方法で避けられたのだから本当にふざけている。
老練というのは厄介だよな、本当に嫌になる。




