第二話:このスキルちょっと強すぎやしませんかね?
――異世界時間4/1 PM17:12:37――
等間隔に並んだ柱が、歩いている速度を実感させる。跪いた姿で並べられた騎士の甲冑が落とす影は、次から次へと移り変わっていく。窓から差し込む光が温かい日溜まりを作って、通り過ぎるたびに柔らかい春の日差しが頬を撫でては過ぎていく。
何度過ぎたか、優伸も数えるのが面倒になった頃前方で大きな音を立てて勢いよく縄文が開かれた。
彩り豊かな、春の草花。その匂いをふんだんに含んだ風が、開かれた扉から待っていたとばかりに吹き込んで、優しい春の西日が城内に差し込んだ。
クリスティアナは縄文の前で足を揃えると、境界を飛び越えるが如く両足で飛び跳ねて巨大な王城の扉を飛び越える。
「ここまでくれば、普通にしゃべってくれるでしょ?」
クリスティアナは、そう言いながら振り返った。彼女の言葉の癖は、城内で聞いた時よりなお強く、どこかはしゃいでいる様に聞こえる。
逆光がクリスティアナの顔に影を落とすも、彼女はなお美しく。屈託のない笑顔は、まるで春の太陽をもう一つそこに作ったかのようだった。
「いえ、まだ敷地内ですよ。クリスティアナ殿下。」
優伸は、そんなクリスティアナのコロコロ変わる表情が愛おしくてついからかってしまった。仄かに微笑みながら、今度は優伸がクリスティアナにささやかな悪戯をしたのだ。
「もう! もう!」
小さなその体でクリスティアナは精一杯の怒りを表現する。だが、尚も可愛らしく愛おしく見えてしまうのは、幼い容姿を持つが故の特権とも言えるだろう。
その後も、拗ねた様子で優伸の袖を掴んで、機嫌が悪いと主張せんばかりに足早に王城の中庭を歩いていく。春を告げる、薄桃色の花びらがハラハラと歩くような速度で舞い降りてくる。空中で風に揺られて右へ、左へ。
そのひとひらが、クリスティアナの髪に舞い降りては滑り落ちる。
優伸はふと、故郷の桜を思い出した。
やがて、王城の敷地の内と外を分ける鉄格子の扉にたどり着く。脇に控える、騎士たちがそれを開いて二人を外へと誘う。
「いってらっしゃいませ!」
騎士たちの慇懃な態度を気にかける様子もなくクリスティアナは、手を振って答えて外へと歩み出る。
「今度こそ、普通に話してもらうんだからね!?」
クリスティアナは再び振り返って、優伸に拗ねた様子で僅かに声を大きくして言い放つ。優伸はまたも、焦らしてやりたい気持ち駆られた。だが、言い訳が思いつかなかった。
「約束だからね、からかってごめんよ。」
優伸は、少し照れくさそうに言いながらもにっかりと笑顔を浮かべる。
「じゃあ、まずは何から始めよっか。そうだ、ナエギは勇者としてどんな力を授かったの?」
クリスティアナは屈託のない笑みで優伸に問いかけた。見ていて飽きないほどにクリスティアナの表情はころころと変わる。最初に、少し不安げな表情を浮かべたかと思えば次には満面の笑顔に変わっている。それは、実に子供らしく、可愛らしいものである。
クリスティアナの背後に広がる街の夕景は、どこもかしこも美しくて。欲張りな家主が道の上にまで二階部分をせり出させたような家々の隙間から差し込む光は優伸の憧憬そのものだった。
「苗木っていうのはファミリーネームなんだ。だからよければ優伸と呼んでくれ。それから、勇者としての力ってどうやったらわかるかな?」
優伸は、あくまで日本人だ。特別な力を持たなければ、その使い方も知らない。だから、今の今まで異世界転生といえば強烈な加護がつきものだという物語のお約束を忘れていた。
それより、何よりも目の前の爛漫な少女に夢中になっていたのだ。
「そうね、自分の内側に意識を集中して? そしたら、きっとわかってくる。今の自分が、どんなものなのか。自分の心の奥深く、魂に一番近い場所にそれは刻まれてるの。」
淡々としたものではない、クリスティアナの説明はどこか胸を躍らせているようで、まるで風鳴りの調べとの合唱のように響く。
「やってみるよ。」
短くそう、答えると、優伸は自分の心の奥底に意識を集中して目を閉じる。次第に、閉じた瞳の中に光が起こりそれが、優伸の魂の形を象ってく。
二つの、漠然とした形だった。それが、どんな姿にでもなれることを優伸の魂は知っていた。どんな力なのか、優伸は知っていたのだ。だから、問いかけにはすぐに答えが帰ってきた。
「<空創顕界>と<幻創表界>って言うみたいだ。<空創顕界>は想像した通りの魔法を使えるみたいだね。あと、<幻創表界>は自分を自分の憧れた姿に変えることができる。だけど、この<幻創表界>は怖いなぁ……上手く想像できてなかったときドロドロに溶けちゃいそうだよ。」
確信があった、<幻創表界>にも<空創顕界>にもそれぞれ明確な想像が必要である。それが不明瞭であった場合、それらはしっかりと形を成すことができず、きっと次第に崩れていくのだという確信が。それでいても、想像や空想を世界の実際の事象として引き起こすことができるその二つの能力が強烈であることはすぐに理解できた。
「すごいすごい! ねぇ、マサノブ、なにか使ってみてよ!」
クリスティアナは、はしゃいで優伸のすぐそばまで詰め寄ってまるで花が咲いたかのような笑顔で言っている。
「じゃあ、とりあえずこれかな? プリズン・ミスト」
優伸が<空創顕界>で作り上げた水蒸気は、僅かに高度を上げ、熱を失い微小な水の粒へと還元される。西から差し込む光が、極小の水の粒を通り虹を描く七つの色へと分化され、それぞれが乱反射する。それが、水球から水球へ、何度も屈折し描き出したのは虹の光の花。それは、茜の夕空を彩り、活気あふれる街に小さな奇跡の彩りを加えたのだった。
「すごい! すごい! こんな綺麗なの見たことない!」
クリスティアナはそれを見て、その目を憧憬に輝かせながら、届くはずのない空の花へと手を伸ばす。そして何度も、何度も飛び跳ねて、自分だけの宝物にしたいと強欲に手を伸ばすのだ。子供とは、得てして強欲である。欲した物を手に入れようと努力を厭わない、例え徒労であろうとも。
そのままをクリスティアナにプレゼントするのは不可能である。ならば、と優伸は<空創顕界>を使い、地面から石英だけを抜き去る。石英は優伸の手の中で徐々に透明なガラスへと変化を遂げていく。不純物が混ざらないように、それでいて光がしっかり七色に分かれて虹色になるように。空想を、世界に顕現させていく。
「ティアナ。」
優しげな、優伸の声につられクリスティアナは振り返った。そこには、小さな虹の花を手に持った優伸が居た。
「綺麗……。」
クリスティアナはうっとりとした表情でそれを眺めた。翡翠のような瞳に、虹色の花が映り込み、それを眺めるクリスティアナは触れ難い美しさをまとっていた。
「よかったらあげるよ。王女様だから、こんなの見慣れてるかな?」
少し照れくさそうに優伸は顔を逸らした。それは、それを見るクリスティアナが余りにも美しすぎて、あるいはそんな瞳に魅せられてしまわないように。
「そんなことない! こんなに綺麗なの見たことないもん! ……返さないんだからね!?」
クリスティアナは、優伸の手からその虹の花を取り上げると、それを大切そうに胸元に両手で隠して、優伸に僅かに睨みを効かせる。
「では、すこし貸してくれますか、王女様? 髪飾りにしてご覧に入れましょう。」
優伸はこの手の、少し芝居がかったセリフは世の少女たちの憧れであると思っていた。もちろん、それは多少ふざけているときこそ相応しいことわかって、わざとおどけていった。
「じゃ、じゃあ……。返してくれないと、嫌だからね!」
そう言って、クリスティアナは優伸に虹の花を差し出した。その時の不安げな表情は、愛らしかったが、少しでもからかおうものなら泣き出してしまいかねないとすら思わせた。
「もちろん、ほら。」
そう言って、少女の差し出された手の中でそれを髪飾りへと変えていく。ゴムなどという素材を、中世時代相当の世界に期待できないことは優伸にもわかっていて、だから物質を一から創造した。
「はぁ……。ありがとう!」
手の中で完成された虹の花の髪飾りを見て、クリスティアナは大いに喜んだ。そこには、王女ではなく見た目通りの幼い少女がいたのだ。
「どういたしまし……て……。」
優伸は普通に言おうとしたのに、意識が徐々に薄れていき、気がついたら視界には街に切り取られた細長い茜の空があった。どうしたのだろう、と疑問に思いながらも、押し寄せる虚脱感に抗えず、優伸は意識を失ったのであった。
「あ、魔力欠乏症になっちゃたかな……? ごめんね、いっぱい使わせちゃって……。」
倒れた優伸を覗き込んで、クリスティアナは心配そうに囁く。原因はわかっているから、その心配はさほど大きくなかった。だからこそ、その後の処置が適切だったのである。
「誰か! マサノブを運んであげて!」
クリスティアナが毅然とした、王女然とした声で言い放つ。ちょうどいいことに、近くには巡回中の騎士が居り、それによって優伸は王城に運ばれていくのだった。