黒髪ふんわり幼馴染系少女さな と優位性 4
人生で初めて女の子を泣かせてしまった。しかも自分を慕ってくれている、かわいい女の子をである。ドアのむこうからはぐしゅ、ぐしゅりというすすり泣く音が聞こえている。おれが泣かせたんだ。
「ごまかすような言い方をして悪かった、実はそのあいつと共同でいろいろ作っててだな。なんか言うのが恥ずかしくてうまく言葉にできなかったんだ」
返事が返ってこない。
「あいつとは、創作活動仲間みたいなもんで別に沙奈が思ってるような関係じゃなくて……」
返ってくるのはすすり泣いている音と鼻をかむ音。
だいたいこれじゃ、ますます浮気の言い訳をしているみたいである。考えろ、どうすれば元通りになる?どうすれば沙奈は出てきて話を聞いてくれる?状況を整理するんだ。
沙奈は俺たちが二人で話している時『名前、呼び捨てなんだね……』と言っていた。沙奈は突然別の女の影がちらついていて不安がっている。沙奈は幼馴染で昔からずっと好きだったけど思いを伝えられなかった。沙奈はたぶん自分でもどうしていいかわからなくて戸惑っている。
『幼馴染のポテンシャルを信じなさい』
脳内にいつも隣で聞いているあの凛とした声がこだまする。
そうだ、沙奈は幼馴染だ。今の沙奈を元気づけてなおかつさらに魅力的にする方法──それは──
「なあ……」
意を決して俺は沙奈に声をかける。経験が多い奴だったらこんな時どう言葉をかけてやるだろう。友達がたくさんいるやつだったらどうフォローするだろう。俺はどちらでもないからわからない──だから
「二人きりの時でいいからさ、また昔みたいにあだ名で呼んでくれないか?」
幼馴染の可能性とはまわりからどのように見えていようが当人間で昔から変わらない何かだ、つまりなつかしさや二人だけにしか共有できない項目を持たせないとそれは幼馴染である意味がない。あいつが言っていた幼馴染ポテンシャルとはつまり、過去の日の思い出、関係の継続性、二人だけの共有などの要素から成り立っているのだ。
かちゃりという音と同時にドアが開き、目の前を見れば涙を浮かべた沙奈が驚いた表情をしている。
「いいの?」
「ああ」
「だって中学生になって、みんなの前で呼んだら恥ずかしそうにしてて。だから、私……」
ひくひくとのどを鳴らしながら沙奈はそう答える。決壊はしていないが目にたまった涙はあふれる寸前だ。ずっと昔みたいな距離感がとれなくて悩んでいたんだろう。そこまで設定を作り込んだ記憶はないが別にかまわない。今はただ目の前で泣いているこの少女が、ただただ笑ってくれればそれでいい。泣いてる顔もかわいいけどな。
「ごめんな、これからもよろしく頼むよ」
・・ ・・・・
「うん ゆうくん」
え??
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「なに魂抜けたみたいな顔してんの、そんなことよりちゃっちゃと書くわよ」
外出から帰ってきたこいつはさわやかな笑顔をこちらに向けながらそう言ってくる。
「どういうことだよ!なんで先に言わなかったっ!!」
俺は涙を浮かべながら悲痛な叫びを訴える。
「当たり前でしょ、あんたが書いた作品の中から引っ張り出してるんだからその作品の主人公の名前呼んじゃうに決まってるじゃない。みんなあんたの事を作品中の主人公だと思って接してきてるんだから」
そう、思えば最初からおかしかったのだ。沙奈から橘君と呼ばれた最初、そもそも違和感を感じなければならなかった。このアホは、俺の部屋に転がってる教科書からおれの名前を見つけてナオトと呼んでいた。別におれが自己紹介したわけじゃない。加えて俺は母さんが離婚して名字が変わったなんて話はこいつに一切していない。つまりこいつが俺の旧姓を橘だと知ってるわけがなかったのだ。作品の主人公の名字を決めるときに自分の旧姓の名字にしたことがまさかこんな形で帰ってくるとは。
「だいたい橘君って呼ばれたときに何も聞いてこなかったじゃない。まさかナオトの旧姓が橘であんたが勘違い起こしてるなんて私も想定してないわよ」
家に帰ってきたこいつに半狂乱で問いただしてみたところ、至極まっとうな返事が返ってきた。俺はどこかしらでこいつが超常現象的存在だから何を知っていても当たり前だろうと思っていたのだ。おかげでこちらは別に寝取られてもいないのにいつの間にか彼女を寝取られたかのような深い傷を負った。
『うん ゆうくん』
うわあああああああああああああああああああ
頭の中でリフレインするあの癒しボイスが今は悪魔のささやきにしか聞こえない。彼女は泣きながらも、とても魅力的な表情で笑ってくれたのだ。あんな笑顔を向けならが別の男の名前を口にしたのだ、もはやトラウマである。
「まぁいいじゃないの、元彼の名前で間違えて呼ばれちゃった主人公の気持ちがわかったんだし。作品に生かせばいいわ」
「ラブコメでそんなことできるかあああああ」
俺のかすれた叫び声がただただむなしく部屋の中に響き渡っていった。