一
時刻は朝の八時半を過ぎた頃。私の名前は日向井慧。名前を聞くと男と間違われる。小さい頃よく先生たちにアキラ君と間違えて呼ばれていた。そんなことはどうでもいい。今、私はとても眠い。原因はわかっている。夕べ遅くまで久しぶりに読みたくなったホームズの『緋色の研究』を読んでいたから。朝、妹に叩き起こされ、怒られた。いつも妹のおかげで、遅刻しないで学校に来ているけど……。
眠いけど、やっぱりホームズが読みたいから読む。私がかばんから本を出したとき、教室の扉が開いた。誰かと思ったら私が今いるこの情報科三年E組の担任・浅比先生。
ホームルームまで時間があるのになにかあったのかな。探偵の血が騒ぐぜと言ってみたくなる。
浅比先生はまだ三十代手前の若い教師だけど、私のいる情報科で数少ない男性教師の一人で、サッカー部の顧問。学生時代はサッカー一筋だったらしい。
今日の浅比先生は少し違う。もしかして、さっき駐車場で見たパトカーと関係があるのかな?
浅比先生は教室を見渡し、少し早いがはじめるぞと言って、クラス委員の号令で挨拶をした。
「今日の連絡がある。大事な話だからちゃんと聞いていろよ」
連絡事項かと思った私は本を読み始めた。ここは教室の真ん中あたりの一番後ろの席だからあまり気づかないだろうと思った。
でも、先生は私に気づいた。先生は私が本から手を離したのと同時に話しを続けた。
「今日からしばらく、理科室は使用禁止。理由はなんであれ禁止。パトカーを見て知っている人もいると思うが、警察の方が来て、原因を調べてもらっている。詳しい話は後日、全校集会を行うので、そのときに話す。後、授業は当分、午前だけで、昼は最低二時間部活。運動部に所属している人たちは今回が最後の大会だ。気を抜くな。ほかも大会がなくても、お前らは三年だ、進学やら就職やらの準備がある。遊ぶのは自由だが、やることだけはやっておけよ」
私は気だるそうに浅比先生の話しを聞いていた。気づけば、ホームルームは終わっていた。
「慧、どうしたんだ?」
私に声をかけてきたのは左隣に座る幼馴染みの阿佐宮拓哉。拓哉は浅比先生が顧問のサッカー部エース。私は拓哉の耳元でこっそり、浅比先生が何か隠している、もしかしたらパトカーが関係あるかもしれないと言った。
「相変わらず、そういう話にはよく食いつくな」
拓哉は笑った。
「そりゃ気になるよ。でも情報量が少ないとなんの確証も得られない」
「滝原もそうだけど、ほかの部員にあんまり迷惑かけんなよ? 昨日も滝原に泣きつかれた」
あいつ、余計なことを拓哉に言うなんて……。滝原というのは私が所属しているミステリー研究部、略してミス研にいる普通科二年の後輩で、私のパシリと言う名の副部長。滝原は後で会ったときに簡単にいじることにして、私は確信を得るために理科室へ向かうことにした。
「おい、慧。もうすぐ授業始まるぞ」
「わかってる。先生には適当に言っておいて」
後ろから聞こえる拓哉の文句を無視して、理科室へ急いだ。すでにチャイムが鳴った後で、女子トイレから理科室の方を見た。理科室の入り口に、見張りの警官が立っているのが見えた。
理科室は二階だから外から見ようにも本館の教室からじゃないと見えない。ちょうど、ミス研の部室は本館の二階で、理科室がよく見える場所。
どこから見ようかと考えていたら後ろから頭を小突かれ、あほかと聞こえた。私にこんなことをするのは一人しかいない。私は後ろを向いた。呆れ顔の拓哉がそこにいた。
「教室に戻るぞ」
私は拓哉に腕を掴まれた。教室に戻った私は現代文の教師に注意され、自分の席に戻った。
その後の授業はまったく耳に入らなかった。
時間は経って昼休み。私と拓哉は弁当箱を持って屋上へ行った。
「お姉ちゃーん」
屋上に出ると二つ下の妹の志乃と滝原がいた。私は滝原の後ろへ行き、こめかみあたりを思いっきり押した。
「お姉ちゃん、滝原先輩がかわいそうだからやめてよ」
それに早くしないと時間がなくなるよと志乃に言われ、私はやめた。私に解放された滝原は私の方を向いて、いつも以上に酷いです!! と言った。
「悪い、滝原。俺が朝、こいつに言った」
「拓哉先輩、それはもっと酷いです! さっき、慧先輩にやられたところ凄く痛かったです!」
滝原はまだ涙目で拓哉に文句を言っていた。
「それより早く食べよ。滝原、今日の部活内容決まったよ」
「なんですか?」
「なぜ警察が来ているのか」
三人は同時に私の方を見てえっと言った。
「慧先輩……。さすがにそれはまずいです。先生にばれたらなにを言われるかわかりませんよ。それに警察が来たからといってそんな大事な話しじゃないかもしれませんし……」
「それくらいわかってる。私だって警察が来た理由なんて知らないよ。来た理由が合っていようが違っていようが、推理するのがミス研の活動の一つ」
「お前、朝、理由を知ろうと理科室に行ったろ……」
「嘘! やめてよ。お母さんが知ったら怒るよ。そうでなくても怒られているけど」
「しかたないでしょ。気になるんだから。また後で行くけどね」
三人は呆れ顔。私はなにかおかしなことを言ったのかと思った。私たちは食後、少しだけ話し、教室へ戻った。掃除後のホームルームの時間、浅比先生は朝と違うことを言った。
「明日からしばらく、授業はない。その代わり、各授業からの課題はある。来週、全校集会を行うから忘れずに来るように。後、部活は毎日やっているが、場所などの詳細は各部活の顧問に聞くように。以上」
クラス委員の号令でみんなさっさと部活へ行った。
*
私が部室に着くと鍵はすでに開いていた。中には三人の部員がそれぞれ愛読書のミステリーを持参して読書中。滝原がいない。
「渉でしたら、今日、日直で、遅れてきますよ」
渉とは滝原のこと。滝原と同じクラスで、友達の三ツ井祐君が教えてくれた。私は朝のことを思い出し、理科室を見た。どうやらブルーシートで、見えないようにしている。おかげで、中の様子が全く見えない。私がイライラしているとほかの部員と共に滝原が来た。
「慧先輩。まだ気にしているんですか」
「だってブルーシートで見えないようにしてあると余計に気になるもん!」
「絶対にだめです! というか二時間は部活やることになっているんですから今日の活動内容を早く言ってください」
私は滝原に言われて投げやりな気持ちで、今日の活動は滝原が言ってと言った。もちろん滝原は私に文句を言った。私は滝原を無視して理科室をずっと見ていた。ブルーシートは相変わらずかかっている。少しでもいいから中の様子が見たい。私の考えはずっとそれだけだった。
「そういえば、部長。私、朝、気になることがあります」
そう言ってきたのは普段あまり人前で発言をしないビジネス科二年の比奈田香那さん。
「朝、先生が田中君の席ばかり見ていたような気がするんです」
「それでも十分だよ。もしこれが本当に事件じゃなければいいけど……」
私はまた理科室の方を見た。今の比奈田さんの話しを聞いて、少し気になった。
「田中君って、この前の壮行会で、ホッケー部の出場メンバーの中にいましたよね?」
「あーそういえばいたね」
二週間ほど前に部活の壮行会があった。その中にホッケー部の出場メンバーとして、田中君はいた。大会が近い運動部は練習が厳しい分、それに耐えなければならない。今頃、拓哉も同じだろうなと私は思っていた。拓哉に頼めるなら頼みたいことがあるのに……。滝原たちが議論している中、廊下から聞き覚えのある声が聞こえた。
「慧。おじさんを連れてきた」
部室に入ってきたのは部活を途中で抜けてきたと思う拓哉と拓哉の叔父・大津警部。
「やぁ、慧君。さっき拓哉から聞いたんだが、理科室のことが気になっているようだね?」