第七話◇私怨活動
「よーし、授業終了! 飯だーっ!」
保健室から戻ってから、早々と三時間以上経過し、午前中に予定されていた全ての授業が終了したことを意味するチャイムが鳴った直後、大夢が叫んだ。
何事もなく、昼休みになってしまった。
この場合の何事の事とは、厄介事、もしくは面倒事の事である。僕はその厄介事か面倒事――いや厄介で面倒な事が起こると、イヴ・クリスティが怒ると、そう思っていたのだが、その懸念は外れた。
まあでも、完全に的外れな懸念だった訳でもないだろう。少なくとも、起こりはしなかったが、怒りはしているはずだ。
確かにクリスティは、僕に対しても、他の級友達に対しても、不干渉を貫いた。
不干渉。
他人に相手から自分への不干渉を強いり、自分にも自分から相手への不干渉を強いる。誰にも関わらせず、関わろうともしない、無関係であろうとしている。
僕にはそんな風に見えた。
だけど彼女は、不干渉ではいられても、不感症である訳ではない。
だから当然、痛かったはずだ。
だから当然、怒っているはずだ。
もしかしたら激怒しているかもしれない。激しく怒り、臓物が煮え繰り返り、その熱で臍で茶を沸かす状態にまで至り、それでも我慢しているのかもしれない。
授業中、時折クリスティの席から感じた鋭い視線は、そうじゃないと説明が出来ない。それに、ほぼ初対面の人間に殴られても怒らず、右頬を殴られたら左頬を差し出すような、そんな生粋のマゾは少ない。少ないというかいない。嫌いか、もしくは無関心な人間相手に暴力を振るわれて、それで喜ぶ存在がいるとしても、僕はそれを人間とは認めない。
認めないから何だという話だが。
「おーい、愛姫。それじゃあ、俺達は部室に行って飯食ってくるから」
後ろから声がしたので、考え事を中断して振り返ると、大夢が恐らくお弁当が入っているのであろう包みを持って、立っていた。隣には大夢の倍以上の大きさの、重箱でも入っているかのような包みを持った知佳の姿もある。
「部室って剣道部のだっけ?」
「おう。剣道少年&少女だぜ」
僕が一ヶ月前の学校生活を思い出しながら訊くと、大夢は元気よく頷いた。
剣道部。客観視すると格好良いけれど、実際にやってみると疲れるし、道具等が汗臭く、更にはダサいと貶される事もある部活に、彼等兄妹は所属している。
因みに僕もダサいと思っている。
「そういえば剣道部って部員は全員集合して部室で食事する決まりだっけ」
思い出して、僕は呟いた。
「毎日一緒に食事をすることによって、従来の倍以上の仲間意識を得ることができ、更に更に! 今ならセットで汗臭い部室で、屈強な男達に囲まれる権利が付いて、なんと無料でご提供されます!」
「何そのアンハッピーセット」
「男バーガーセットじゃね?」
「…………挟まれたくねぇ」
全身がテカテカの、筋骨隆々な大男二人に挟まれて、しかもセットだからポテト(金髪の細い男数人?)とドリンク(栄養ドリンク?)が付いてくるのか。
想像してみると、予想以上に吐き気が込み上げてきた。地獄すら生温い。
僕はこれ以上苦痛を感じるのを回避する為に、話題を変える事にした。
「しかしまあ、よく剣道部なんかに入ってるね。あそこってかなり厳しいんじゃなかったっけ? 男女一緒に練習って文句に釣られた男子生徒達とか、三日も経たずに辞めたって聞いたけど」
体育会系よりも厳しい武道系なんてマゾしかやらない、と思っている僕は、体験入部どころか見学さえしていないのだが、うちの剣道部は結構厳しいらしい。
だからこそ部員も少ないのだが。
何故か大夢も知佳も、辞める気配すら見せず、弱音すら吐かず、毎日楽しそうに、体育館横の武道場まで通っている。
それはちょっとした疑問だった。
正直、部活に打ち込むよりは、街中でふらふらとしていそうなのが似合う大夢や、文芸部にでもいそうな華奢な少女である知佳には、まったく似合わない。
何か特別な魅力でもあるのだろうか。
「全然楽しそうなイメージがないんだけど。むしろ真逆な感じのイメージ?」
「確かに男女合同って言っても、うちのラブリーな妹以外、みんなゴリラみたいな女男っていう最悪な環境だけど、結構楽しいんだぜ?」
ラブリーな妹という部分が気になり、ちょっと突っ込んでみたい話題ではあったが、それよりも剣道部の楽しさの方が気になって、話の腰を折らず、
「どういうところが?」
と、僕は訊いてみた。
すると、大夢は少し悩むような仕種を見せ、それから続ける。
「部活のみんなで必殺技考えたり」
「君は子供か」
「テロリストが侵入してきた時に活躍出来るように対策を立てたり」
「中二か。いや、中二だけども……」
「飛天御剣流が学べたり」
「顧問何者だよ」
「毎日参加してスタンプを押すと文房具が貰えたり」
「夏休みのラジオ体操か」
「女子なら竹刀をデコったり」
「ゴリラ女が? ゴリラ女がデコった竹刀で練習するの?」
「美味しいパンケーキが焼けるようになったり」
「剣道全く関係ないし」
「最終的には成績も上がるし、恋人も出来るし、志望校にも合格できるんだぜ」
「絶対に騙されてるよ、それ」
「剣道だけに『真剣ゼミ』的な感じ」
「真の剣じゃなくて進み研くの方だから」
真剣だと確実に死人が出てしまう。
「合宿所は天然温泉付きだったり」
「やっと魅力的になってきたね」
「先輩は優しくて面白いし」
「ふうん。和気藹々な部活っていいね」
「顧問の先生とか卒業生がアイスとかジュースとか差し入れしてくれたり」
「なるほどなるほど」
なんだよ剣道部。ちょっと興味が出てきちゃったじゃないか。男バーガーセットは絶対にいらないけど。
「あとは実は先輩の」
「大夢」
と、その時、大夢が続きを話そうとした瞬間、ずっと隣で重箱入りの包み(多分)を持って大食いアピールをしていた知佳が、話に割って入ってきた。
知佳は教室にある時計を指差す。
「お腹空いた。早く」
「ん? ああ、悪い悪い。ちょっと長話し過ぎちまったみたいだな」
大夢と僕はその指示に従って、時計を見た。ほんの少し会話していただけだったのだが、昼休みになってから、既に数分が経過している。周りを見てみると、他の級友達は、僕を待ってくれていたらしい陽菜ちゃん以外、もう食事を始めていた……って、あ、陽菜ちゃん。待っててくれたのか。
「ごめん陽菜ちゃん」
「いえいえ。仲良しなのは良い事ですし、一ヶ月振りなんだから、会話が盛り上がってしまうのは当然ですよ。ちょっと寂しかったですけど、気にしてません」
すぐに謝罪すると、陽菜ちゃんは快く許してくれた。どうやら本当に待ってくれていたらしい。そういえば、一ヶ月前はいつも一緒に食べていたのだった。
少し悪いことをしてしまった。
「そんなに申し訳なさそうな顔をしないでください。気にしてませんから」
「そう言われても……」
やっぱり罪の意識が感じる。
「と言うより、愛姫くんが罪悪感を感じたりする人間じゃないのはわかってます。だから演技はやめてください」
「………………」
「あれ? どうかしましたか?」
「どうもしてないよちくしょう」
おかげさまで罪の意識は消えた。
だけど、だけども。
何故、僕は生粋の悪人みたいに扱われているのだろうか。僕が何をしたのだろうか――したね。そういえばやってたね。
自業自得だった。
「おーい愛姫。何を落ち込んでるのか知らねえけど、俺達そろそろ行くから」
「遅れてる。怒られる」
傷付けてしまったかもしれないと思っていた少女に傷付けられる不思議体験をして、落ち込んでいると、双子が声を掛けてきた。既にドアまで移動していて、無駄な行動ではあるけれど、その場で足踏みを繰り返している。どうやら結構焦らなければ、急がなければいけない時間帯のようだ。
それに気付いた僕は、また長話にならないように、短く返事をする。
「じゃあね、また後で」
「おう、陽菜もまた後でな」
「また後で」
「はい。また後でです」
別れの挨拶は交わすと、双子はドアを閉め、教室にまで足音が聞こえるような音を響かせ、部室まで走っていった。
これが今生の別れであり、『また後で』の『後で』はこの先訪れる事なく、この挨拶が四人で笑い合えた最後の瞬間だったとは、この時の僕が知るはずもなく、後に悔やむのはまだ先の話。
この数分後、僕達にとって、最低で最悪で、そして最狂の昼休みが始まる。
「あの、愛姫くん。何か不吉なモノローグを頭の中で考えてませんか?」
というのは嘘吐きの思い付きで。
先の話ではなく、詐欺の話だった。匂坂だけに。
◇◇◇
「いただきます」
と陽菜ちゃんが手を合わせて呟いたのを見て、別段食事となった動植物に感謝の気持ちがある訳でもない僕も、彼女に合わせて両手を合わせ同じ言葉を呟いた。
この行動には、普通から逸脱した、普通の人間とは価値観が違う『人間』や『人外』のような、人間の真似をする『人間ごっこ』みたいな意味合いはない。
人に合わせた行動をするのは、そう珍しいものではない。誰でもあるはずだ。当たり前とさえ言ってもいい。それくらい、日常的で、常識的な行動だ。
他人に合わせた行動。
その行動原理――理由や原因には、二つの感情が関わってくる。
一つは『好かれたい』想い。
一つは『正しくありたい』想い。
いくつかの原因が関係すると考えられているが、基本的には、この二つが関係していると考えられている。
僕達人間は、日常生活で、無意識的にであれ意識的にであれ、人に好かれたい為に、正しくある為に行動している。
一つ目には『幼い頃に大人の言う通りすると可愛がられた経験』が関わっていると考えられている。大人の真似をして、同じ事をすると、褒められ、可愛がられ、愛を感じる。だからこそ、他人と同じ事をして、愛されようとしている。
そして二つ目の理由。人間はどれだけ悪ぶろうと、根底では正しくあろうと、肯定されたいと思っている。自分を正当化しようとしている。だから似ている行動、或いは同じ行動をとって、正しくあろうとする。それなら、他人と同じなら正しい事だと安心することができる。普通から逸脱することを恐れるのと同じように、正しさから逸脱することを恐れる。だからこそ他人の真似をする。
愛されたい。
正しくありたい。
それこそが、同調行動をとる際の人間心理であり、行動原理だ。
とは言っても、僕は人間を愛しているが、愛されたいとは思っていない。人間が好きなだけで、人間関係が好きな訳ではない。だから一つ目は理由にはならない。
かと言って、正しくありたいと思ってるのかと訊かれたら、それも迷う。僕の日常生活には、正しくない行為も多分に含まれている。だから二つ目も理由にならない。
僕は基本的には含まれていないらしい。
自分の心理状況を振り返ってみると、『気まぐれ』が妥当だろうか。きっと明日は真似をしない。でもたまには真似をすることもあるかもしれない。時には無神論者だけど、クリスチャンの真似をすることもあるかもしれない。
だから『気まぐれ』。
今日はそんな気分だった――それだけ。
このように、同じ人間なんて鏡の中でしか会うことができないので、時には『一般的』に当て嵌まらない場合も有り得る。
他人とのズレは日常的にある。
だけど、だ。
十人十色。みんな違ってみんないい。
だから、僕も誰かも、違っていい。
他人と違うことは恥ではない。
だけど、だけど……。
この場合は恥じゃないだろうか。
他人と違うことを、恥じるべきではないだろうか。
陽菜ちゃんを見て、僕はそう思った。
「もう、お腹がペコペコですよぉ」
チクタクコンビが教室から去った後、僕達は机を合わせて、手を合わせて、言葉も合わせて、食事を始めた。
その時から――いや、本当の事を言えば昔から――気になっていたのだが、陽菜ちゃんのお弁当は、一般的な女子中学生とは違って、個性的だった。
勿論、個性的は尊重するべきだ。個性を省いた普通の人間なんてつまらないし、個性的なのは好まれるべきだ。
しかし、これはどうなのだろうか、と僕の視線は、自分の食事(一ノ宮嘉穂と別れて、車に轢かれるまでの間に買って、一部が衝撃で潰れた、コンビニの菓子パン)にではなく、陽菜ちゃんのお弁当に固定されてしまっていた。
もっと言うと、お弁当箱に。
確かに可愛らしかった。包みもお弁当も、その右手に持つお箸も、女の子向けで、可愛らしいデザインだった。
しかし日曜の朝に放送している感じのする女児向けアニメっぽいキャラクターが描かれたピンクのお弁当箱を、中学二年生にもなって、喜んで使っているのは、果たしてどうなのだろうか。
それは恥ずべきではないだろうか。
可愛いと言ってあげたいが、痛々しい。こういうのは、友達である僕の口から伝えるべきか。それとも黙って見守ってあげるべきか。個人的には、後者にして、将来的には恥ずかしがって、じたばたする陽菜ちゃんとか見たい。超見たい。
でも、見たい気持ちはあるけど……。
僕は陽菜ちゃんと痛々しいお弁当箱を交互に見る。すると、僕の視線に気付いた陽菜ちゃんが首を傾げた。
痛々しい陽菜ちゃんが首を傾げた。
「どうしたんですか?」
それから何か予想が付いたようで、あっ、と声を挙げて、決して痛々しくはない、可愛らしいだけの笑顔を見せる。
「もしかして愛姫くんも『絶対に許さないスマイルお邪魔法使い美少女戦士ペット 秘密のメロディちゃんレボリューション』がお好きだったのですか?」
何だその馬鹿みたいにいろいろな要素を詰め込んだみたいなアニメは。
「ふっふっふ。実はですね、今日のわたしのお弁当は、お兄ちゃんがキャラ弁というものに挑戦してくれたらしいので、中までわたしが好きなキャラクター達で、埋め尽くされているらしいのですよ」
驚きましたか? と陽菜ちゃん。
絶賛混乱中の僕を無視して、お弁当箱を開き、そのアニメのキャラクターだと思わしき、ピンク色の少女が再現された見事な――見事としか言えないような、別に僕の語彙の残念さをアピールしている訳でもなく、本当に素晴らしく、見事としか言いようがないお弁当を披露してくれた。
いや、でも……うん。
好きなキャラ、食べちゃうのか。
嬉しそうな陽菜ちゃんとは別に、僕は複雑な気持ちに苛まれた。
そして続く陽菜ちゃんの言葉を聞いて、更に複雑な気持ちが、僕を苛める。
「よろしかったら、愛姫くんも一口いかがですか? 流石にお弁当箱はあげられませんけど、中身だったら、またお兄ちゃんに作って貰えばいいだけですし」
残念ながら――本当に残念ながら、僕には人間を、人間に似せて作られた料理を食して喜ぶ趣味はない。疑似カニバリズム的な行為に抵抗を感じない訳ではない。いや、むしろ感じる。感じまくる。
だから言葉を濁す。言葉が濁る。
「その、何て言うか。ほら、女の子に、しかも可愛い女の子に……可愛い女の子である陽菜ちゃんに、お弁当を分けて貰うのって、なんだか恥ずかしい感じだし、気恥ずかしい行為だからさぁ、うん、……ね?」
「またまたー。愛姫くんにそんなの気にする神経なんてないですよ」
やはり濁った言葉では、透き通っていない言葉では、僕の想いは通じないか。
通じないどころか、そんな人間ではないと否定され、疑問形ではなく断定されてしまった事は気にしない事にする。
陽菜ちゃんの中での僕の性格や性質について、誤解を解く必要はあるが、それは別に、今しなければならない訳ではない。だから甘んじて受け入れる。
けれど、甘くはない現実の、現実ではない非実在少女の見た目を模したお弁当は、受け入れたくはない。
やはり、抵抗がある。
普段、グロテスクな工程で加工されて、調理された料理を食してはいるが、それでも。人に似た形の料理を、ぐちゃぐちゃにして、口に入れる行為には抵抗がある。多分、深く考えてしまったせいでそんな抵抗感が生まれてしまっただけであり、後日、僕は人の形をした食べ物を躊躇なく食べたり、もしかしたら人肉を喜んで貪る機会があるのかもしれないが(勿論、そんな機会は可能な限り来て欲しくはないけれど)、この時の僕には、抵抗感があった。
「もしかして遠慮してるんですか? そんなの気にしないでくださいよぉ。わたしは全然平気ですから」
遠慮しているのではなく、むしろ遠慮してほしいというか、配慮が必要というか、僕に対して慮ってほしいのだが。
話を聞いてもらえそうにない。
「味の心配もないです。お兄ちゃんの料理は美味しいですよ? 食文化のない愛姫くんの家庭の料理とは違いますから」
「いやいや、僕の家庭には食文化あるから。ないのはイギリスにだから」
「きっと美味しくて泣いちゃいます!」
「僕は今、話を聞いてもらえなくて泣いちゃいそうかなーって」
「だからどうぞです」
「うん、やっぱり聞いてないね」
最初は可愛らしくも痛々しいお弁当箱についての問題だったのだが、いつの間にか少女を食べる問題に、僕が追い込まれる話題に変わっていた。
どうしてこうなったのだろうか。
「あーん、です」
陽菜ちゃんがその非実在少女のお箸で、非実在少女に納められた、非実在少女を切り分け――崩し、掴んで、落としても大丈夫なように左手を下にして注意しながら、僕の口に運び、僕に口を開けるように指示する。
僕はいやいやと首を振った。
「食べてくれないと泣いちゃいますよ? ……お兄ちゃんが。八つ当たりで」
「無関係な人を巻き込まないでよ」
「無関係なんて言わないでください。わたしの大事で大切な家族ですよ?」
「その大事で大切な家族に何をするつもりだよ。しかも八つ当たりって……」
大体、陽菜ちゃん兄は、妹に、無関係なのに関係なく、無責任なのに責任を取らされることまで考えて、その可愛らしいお弁当を作った訳ではないと思う。
そこまで考えて作っていたら、むしろ預言者や超能力者だが――と、ここまで考えて、それ以上考えることはやめた。
それ以上は今日出会ってしまった人間を思い出すので、考えたくはなかった。
「ほら、あーんしてくださいよぉ。わたしのお兄ちゃんを酷い目に合わせる気ですか? やめてください」
「酷い目に合わせる気なのか」
流石にそれを聞いて、些細な抵抗感など抑えて、僕は口を開いた。顔も見た事ない陽菜ちゃん兄だけど、それでも僕のせいで、妹に酷い目に合わされるなんて展開は、すごく『やめてください』だ。
だから口を開き、キャラに合わせて調理されているので、具体的には料理名が浮かんでこない食材を口にした。
咀嚼する――何かの肉のようだ。時間が経っているから冷えているが、それでも冷えた後でも美味しく食べられるように考えられて作られているのか、冷凍食品や余り物のように、不味くはない。
それに咀嚼している内にわかったのだが、喜ばしいことに人肉ではなさそうだ(断定は出来ない。僕は人の肉を食べたことはない)。これは牛肉だろう。牛肉のハンバーグ。舌に自信がある訳でもなく、もしかしたら豚肉も交じってるのかもしれないが、僕はそう判断した。見た目がピンク色で(生でも生焼けでもない)、ブローチの形を模して作られていたが、そう判断した。
何だか不思議な感覚だ。見た目からは想像出来なかったが、奇想天外な見た目に反して、味は普通にミニハンバーグだった。いや、普通というのは、せっかく貰ったのに失礼か。美味しかったと言っておこう。見た目に反して、と前置きは絶対に必要不可欠だが、美味しかった。
「どうですか? 美味しかったでしょ?」
「うん、確かに美味しかったよ。奇天烈な見た目の割に、普通に美味しかった」
「えへへ。お兄ちゃん特製ですから」
陽菜ちゃんのお兄ちゃん。
会った事はないけれど、キャラ弁を作れる器用さで、料理が得意だったり、無駄に家事スキルが高そうだ。いや、家事だから無駄とは真逆のスキルだけど。
「でもしかし、見た目に反してですか」
そう言って、陽菜ちゃんは突然、普段とは違う、真面目な、真顔になった。女児向けアニメのお弁当で食事をしながらと、格好が付かない姿ではあったが、しかも頬っぺにご飯粒を付けながらという格好が付けない姿だったが、格好を付けた。
僕はコンビニの袋からパンを取り出し、ご飯粒はスルーして返事をする。
「うん、見た目からは想像出来なかったよ。どんな珍味かと思ったらまさかのミニハンバーグだったし吃驚した」
「見た目で判断するなんてナンセンスですよぉ。見た目なんて、中身を偽り、そして隠す為の殻や仮面であって、中身を表している訳でもないのに。中身の事なんて、まったくわかる訳でもないのに」
偽り、隠す。
本性の見えない外面の仮面。
少し話しただけで、可愛らしい見た目とは似つかない性格の悪さがわかった一ノ宮嘉穂。モデルのように美しくも、口を開けば変態発言だらけの烏丸紫苑。
確かに本質が見た目に現れるとは限らないか。とは言え、必ずしも外面で内面がわからない訳でもないが。
ちょうど今食べてるパンみたいなものか。面白そうだから買ってみたビックリパンとやら。見た目はメロンパンなのに味はドーナツなんて、まったく想像できなかった。いや、でもマジで、どうなってるんだろうこれ。本当にビックリしたんだけど。
「愛姫くん、聞いてますか?」
「ああ、ごめんごめん」
パンに興味津々で、陽菜ちゃんに集中できていなかった。
まだ気になるけど、これは家に帰ってからじっくり調べる事にしよう。
そう決めて、僕は食べ終えたパンの袋をコンビニの袋に戻した。
それから陽菜ちゃんに集中する。
「……続けます」
話の腰を折られて不満そうだった陽菜ちゃんだが、すぐに真剣そうな顔を作って(まだご飯粒を付けたまま)、語り出した。
「例えば詐欺師なんて、見た目も外面も、内面の醜さと真逆だったりしますし」
「…………」
何故か陽菜ちゃんは、何か言いたい事でもあるかのように、含みがある表情で僕を見た。含みというか凄みというか、何か恨みでもあるような、そんな表情で。
しかし僕は無視する。
だけど、陽菜ちゃんは、それを気にしている様子を見せず、話を続けた。
「中身があるという事は内外が。表と裏があるのなら、それは裏切る為にあるのですよ。裏を切る為に表がある――表があるからこそ裏を切れる。切り札のように隠せ、騙せ、奥の手として、奥に仕舞える。見た目ではわかったつもりになれるだけで、決してわかることはできません。人間が外部から知覚する情報の半分以上……実に83%もの情報を視覚が占めているのですから、それは当然なのかもしれませんが、ですが。それは真実だと、真理を見通しているとは限りません。いえ、むしろ視覚では、真理など視えません。もちろん内面なども視える訳がないので、それは実際に体験して、身体でわかるしかないのですよ」
「……体験、ねえ」
「はい、体験です。経験を積むしかないのです。それまではわかりません。百聞は一見に如かずと云いますが、百見よりも勝るのが一度身体で学ぶことです」
「まあ、わかるけどさぁ」
わかりそうな気持ちもある、というのが僕の気持ちだったのだが、ここで素直に納得していないと言うのもあれなので、大人しく納得している振りをして頷いた。
「栗も割るまでは食べられそうとわかりません。色鮮やかな茸も食べるまでは、その毒性には気付けません。化粧をしたら美人でも、落としても美人とは限りませんし、美形の心が美しくないのは世界中であるあるです。冴えない男が見た目とは裏腹にモテモテなのは、ラノベのお約束です。誰からも好かれる尊敬できる人が外道だったなんて、現実でもよくある事です。こんな事をするとは思われていなかった人がこんな事をするのが日常です。目に映ったものだけで判断してしまうなんて、そんなの駄目ですよぉ」
ハンバーグを一口貰って、感想を言っただけで、ここまで責められるとは。誰かにこっぴどく騙された経験でもあるのだろうか。可愛い外見と、人当たりが良い外面を持つ、何処かにいるかもしれない博愛主義者のクールな超天才美少年にでも騙されて、それで得た教訓なのだろうか。きっとそれは誤解で、しかもその少年の内面は、本当はとても美しかったのだろうけど。勘違いで騙されたような形になって、それで学んだ実体験なのだろうか。
「こほん。実は今までのは前置きで、これから本題に入るのですが」
ここで一度区切る。陽菜ちゃんはわざとらしく咳をして、注目させて、次の言葉を話すのに覚悟でもいるのか、間を空けた。
嫌な予感がした。外見と中身の話ではないが、僕は、僕達は、一人の少女について、外面と内面に違いがあるのかについて、話し合いをした。
大夢が言い出したか、それとも陽菜ちゃんが言い出したか、もしかしたら他の級友達から聞いたのか、外と内の二面性について、合間の休憩時間に話したのだった。
一人の少女。
――イヴ・クリスティについて。
「愛姫くん。クリスティさんと仲直りするつもりはありませんか?」
嫌な予感は良く当たる、と言うが、本当に的中率が高いらしい。これがフラグというものだろうか。予想通りの内容だった。
イヴ・クリスティ。
僕が殴った少女。
殴られたのに、何も言わない少女。
優しくない、毒を吐く、お嬢様。
「僕にまた暴言を振るわれろと?」
「今回は暴力は振るわずに、です」
「言葉の暴力も痛いんだよ?」
「愛姫くんは傷付きません」
普通に傷付きます。今傷付きました。
「……本当のところを言うとですね、愛姫くんには仲直りではなく、仲良しになってきてほしいのですよ。クリスティさんを放置しておくのは、仲良し小好しなこのクラスでは許されません」
「なんで僕が」
「クラスの創意です。愛姫くんがいない内にした仲良し会議で決定しました」
「ナチュラルに僕を省くな!」
仲良し小好しは何処にいった。
「謝罪という話すキッカケもありますし、どうやら転校してくる前から知り合いみたいですし、毒舌で揺るがないですし、愛姫くん以上に適役はいませんよぉ」
「揺らぐから。ガッタガタに揺らぐから。数時間前に殴ったの見てたでしょ?」
「何よりもこういう時こそ愛姫くんの無駄に洗練された無駄のない無駄な話術の出番ですよぉ。いつもみたいに言葉巧みに騙して、あの子と仲良くなってきてください」
「その前に陽菜ちゃんと仲良くなる必要があるみたいだね。騙すなんて人聞きの悪い真似をいつもしているみたいに――」
「でも事実ですよね?」
「…………」
事実ではあるかもしれない。それが真実ではないけど、僕は嘘吐きだから。
「まあ冗談じゃない冗談は置いといて」
「そこはただの冗談が良かった」
「だからですね」
無視か。また無視か。
「愛姫くんが話し掛けるのが一番なんですよ。謝罪をしなければならない、というのもありますけど、まず仲良くなる為には、仲間意識が必要なんです。人種の違いは差別を生み出して、虐めに繋がる――ってお兄ちゃんが言ってましたから。だから同じ髪色である愛姫くんが話し掛けるのが一番で、妥当だと思います」
「いやいや、それは単純過ぎるよ」
確かに同じコーカソイドではあるように見えるけど、肌や髪の色が同じなだけで人種差別がなくなるなら、世界はとっくの昔に平和だ。別に黒人だけが特別に差別されているわけでもないのに。
それに僕は侍紳士だ。
どちらの国の人間でもあり、どちらの国の人間でもない。卑怯な蝙蝠の話ではないが、どちらからも相手にされなくなるかもあるかもしれない人種だ。
例えクリスティが紳士の国の人であったとしても、混血だからと相手にされない可能性もある。人種関係なく相手にされない可能性の方が高いのだが。
その問題や可能性を懇切丁寧に説明してみると、陽菜ちゃんは、
「何の事かさっぱりです」
と首を振った。
あ、これ絶対に確信犯だ。実はわかってて言ってるのか陽菜ちゃんさん。
「そんな事どうでもいいです。それよりさっさと仲良しになってきてください」
仲良しに、と言われても。
クリスティを見ると、自分の机から一歩も動かず、一人でサンドイッチを食べていた――が、僕の視線に気付くと手を止めて、すぐに睨んでくる。
どう見ても、どう考えても、嫌われている。嫌われているはずがないのはわかっているけど。愛の反対は無関心であって、嫌いではないと聞いた事があるけど。
ゼロどころかマイナスからのスタートなのは明白だった。
ここから仲良く、か。
でも僕が誰かと仲良くなるのは、いつもマイナスからのスタートだったか。
常盤大夢と常盤知佳も。
そして目の前の鳥居陽菜も。
「……どうかしましたか?」
「別にぃ。何でもないよ」
ただ、僕を大嫌いだった“鳥居さん”の事を思い出していただけで。
「そうですか。まあ、どうでもいいです。それよりも今はクリスティさんの事です」
キリッと擬音が聞こえてきそうなキメ顔で、陽菜ちゃんは言った。相変わらずご飯粒は付けたままである。
「もう正直に言いましょう。わたしも仲良くなろうと話してみたのですけど、全然無理でした。生まれて初めて“めすぶた”なんて罵られました。ぶっちゃけるとぷんすかぷんぷんです。怒っちゃいました。怒っちゃってます。そうでもなければ、愛姫くんなんかに任せません」
「おい」
「せっかく治療してあげたのに『触るな雌豚。汚れる』ですよ? 勇気を出して『友達になりましょう』と誘ったら『養豚場で作ったらどうだ?』ですよ!? わたしが豚に見えるのですか!? 太ってるんですか!? 確かに最近体重が増えちゃいましたけど酷いですよぉー!」
「太ってないから落ち着いて。むしろ痩せてるから落ち着いて。クリスティはきっと陽菜ちゃんの驚異的な胸囲に嫉妬したんだよ。ほら、陽菜ちゃんって中学生の割には胸が大き――」
「へ、変態さんですかぁ!!」
「――いしっ!?」
おもいっきりビンタされて椅子から転げ落ちた。めちゃくちゃ痛い。多感な中学生にそういう話はまずかったらしい。
「愛姫くんはえっちです!」
胸なんて気にしなくていいじゃん、とは言えなかった。真っ赤な顔で睨んでくる陽菜ちゃんから察するに、火に油を注ぐだけだ。もう一発ビンタがくる。
「もうっ! 何考えてるんですか!」
女子中学生めんどくせぇ、とか考えてます。そんなこと言ったらもう一回叩かれそうだから言わないけど。
僕は何も言わずに立ち上がり、埃を掃う。クリスティの時と違って、全員まったく気にしていないのは気にしない。
「とにかくですね!」
椅子に座り直すと、陽菜ちゃんは声を荒げながら、話を再開した。
「今こそ我がクラスの誇れない――最低兵器の出番ですよ!」
「誇れよ。最終兵器にしてよ」
「黙らっしゃいです!」
「テンション高いね」
「いいですか!? 仲良しクラスとしてはクリスティさんを放っておく訳にはいけませんから、誰かが話し掛けなければいけないのは決定事項です! これは神様仏様ヤハウェ様ゴータマ・シッダルータ様イエス様仏陀様でも覆せません!」
「すごいね、うちのクラス」
「そしてわたしとしては長い時間を掛けて仲良くなるのなんてのーです! そこで仲良しクラスを作った原因である愛姫くんの出番です! 出番なんです!」
「原因なのに省られてまーす」
「残念な愛姫くんの残念な話術なら、クリスティさんのツンデレガードを剥がすことだって可能なはずですよね? 真面目にやってるのが馬鹿らしくなる残念なシリアスブレイクは、残念な愛姫くんの残念な得意技だったはずですよ!」
「誰が残念だ。それにそんな特技ないよ」
「その時に弄り回して、こう、わたしの鬱憤も晴らしてください! 友達の敵討ちですよ! 頑張ってください!」
「本当に君は友達なんだろうか」
「何をおっしゃってるんですか! 友達どころか大親友ですよ! ……今だけは」
「敵討ちしたら友達に戻るのか」
安い友情だね。
「こ、細かいことは気にすんなぁですよぉ! それよりもクリスティさんです」
話を逸らされた。
いや、別にいいけどね。
「もうまどろっこしい真似はやめにします。クラス委員として命令します。クリスティさんの牙を折ってください。弄りに弄って、騙しに騙して、なんか、こう、残念な感じにしてください!」
「クラス委員にそんな権限はないとかは置いといて。仲良くなれじゃないんだ?」
「ま、間違えました。仲良しになってきちゃってくださいです!」
「私怨なんだね」
「違いますよぉっ! ただの友達作りの為の支援活動ですっ! 確かに確かに愛姫くんと友達になるなんて、罰ゲーム以外の何でもないかもしれませんが」
「おい」
「とりあえずただ仲良くなろうと話し掛けてくるだけでもいいですよ。それだけで結構発散できますから」
「おい」
「……そんな訳で」
笑顔が黒いです陽菜ちゃんさん。
「いってらっしゃいですよ愛姫くん」
別に重要ではない席順。
廊下側
○○○○○イ
知○○○○○
前○○○大○○後
方○○○○○○方
○○○陽○○
○○○愛○○
窓際
愛→南愛姫
大→常盤大夢
知→常盤知佳
陽→鳥居陽菜
イ→イヴ・クリスティ