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I Love Princess  作者: 人間狂愛
ツンデレクイエム◆嘘吐き少年と毒吐き少女
7/8

第六話◇悪意の天使

 苦労くんと別れてから、僕が素直に教室に戻ったかと言うと、実はそうではない。そうではないどころか逆に、教室とは反対方向に向かって、歩を進めた。


 向かった先は保健室。怪我や疾病等の応急処置を行ったり、健康診断や健康観察を通して、在学生の心身の健康を掌る教員、養護教諭が在中しているであろう場所だ。


 目的は診断。確かに怪我には慣れているので自分の状態はだいたい把握出来ているが、それでも僕は素人にすぎないので、一応はプロフェッショナルに確認してもらおうと、そういう魂胆だ。幸いにして匂坂中学校の養護教諭、保健の先生は養護教諭の教員免許だけではなく、医師免許や保健師の資格すらも有しているので、その腕は信頼する事が出来る。


 腕だけは(・・・・)、信頼出来る。


 主に人格面に問題があり、信用したら裏切られるし、用心しても無駄な最低の教師失格者ではあるが、腕は確かだ。


 それについ先日までお世話になっていた病院には、通院が必要だと言われたが断った手前、少々行きにくい。命が危ないのならまだしも、軽傷と言える程度の怪我で再び訪れるのは気が進まない。


 そんな訳で、僕は保健室を選んだ。


 サボり目的の不良学生すら近寄らず、好き好んで行く場所ではないどころか嫌々でも渋々でも行きたくはない場所ではあったが、それでも背に腹は変えられないと、苦肉の案に身を投げた。


 清水の舞台から飛び降りたつもりで、思い切って保健室を選んだ。まあ、実際に清水の舞台から飛び降りるか保健室に行くかでは、清水の舞台から飛び降りる方が個人的には確実にマシなのだが。


 だが、それでも選んだのは僕だ。何があっても文句は言わない事にしよう。


 普通ならたかが保健室に行くだけの話なのに、僕の気分は竜が住む洞窟に足を踏み入れようとする勇者のようだった。




   ◇◇◇




 暫く歩くと一階の奥、運動場や体育館に近い場所に位置する保健室に着いた。


 此処も一ヶ月前と変わっていない。付近にある掲示板には、煙草による害や虫歯についての注意を促すポスターが貼られていて、ドアを開けてもいないのに消毒液の独特の匂いが鼻を擽ってくる。


 だからではないが、きっと養護教諭も変わってはいないだろう。本来なら即刻クビにした方が生徒の健やかな生活の為にもなるのだが、きっと彼女はいるのだろう。


 そう考えると自然に溜息が漏れた。更にドアを開けて中に入る事が躊躇われ、目の前まで来て立ち止まってしまった。


 よくよく考えてみると、僕が入院していた病院は、改造人間にされてしまうかもしれない可能性がある事や、無免許医が在籍しているという事や、実は病院ではないという事実にさえ目を瞑れば、良い病院だった。保健室と比べるのはそもそも間違いだが、それでも、最良ではないけれどあちらの方がずっと良いし、恥を忍んででもまたあの病院に行く方が誰にとっても良い選択ではないかと、そんな考えが頭の中でちらついた。


 だから、往生際が悪い奴だ、と罵りを受けるかもしれないし、臆病者と小馬鹿にされるかもしれないが、僕は真剣に悩んだ。


「むう……、むむむ」


 悩んで、悩んで、悩んで、悩んで。自分が選んだ事なのに、もう目前まで来ているのに、それでも悩み抜いた。


 今日一日で一番頭を働かせた。もしかしたら今年一年で一番――いや、生まれてきてから一番頭を働かせたかもしれない。それくらい真剣に迷い、悩んだ。


 将来禿げたらその時は、あの時の事が原因だろうと確信してしまいそうなくらいには、悩んで悩んで、そして悩んだ。


 保健室に行きたくない理由がある中学生は数居れど、特に匂坂中学の生徒には沢山居るだろうけど、ここまで圧倒的なまでに悩んだ事がある中学生は僕だけだろう。


 父子家庭で育ち、突然股から血が出てきて誰にも相談出来ず、迷い迷った末に保健の先生に相談した事がある女学生が居れば時間では負けていそうだが、それでも密度では確実に勝っていると思う。


 そこまで悩み抜いてやっと、僕は保健室に足を踏み入れる選択をした。


 本当に苦肉の選択だ。苦しく、そして憎いと書いて、苦憎い選択だった。


 そこまで僕は嫌だった。


 でもリアルメイドさん、群裂朱璃さんが怪我の心配をしていた事もあって、報告しなければならない義務感のような感情を感じて、改造人間手術を避ける生活はもう暫くは味わいたくなくて、本気で嫌だったけど僕は決意した。


 意を決してからの行動は早かった。決するまでは遅かったけれど、それでも決してからは早く、直ぐにドアにノックを三回叩き込む。一瞬だけ嫌がらせ目的で二回のトイレノックで入ってやろうか、と迷ったが、流石に今から診てもらうのにそれはどうかと考え直し、そんな礼儀知らずな真似はせず、無難に三回ノックする事にした。


「あぁっ……はっ、どうぞっ……!」


 苦しそうな返事が返ってきた。苦しそうで切なそうで、花の散り際のような儚さも感じる、そんな声だった。


 僕はこの声を知っている。


 この学校の養護教諭で、烏丸紫苑という名の女性。年齢は二十七歳で未婚。


 博愛主義を越えた狂愛主義、とまで言われるくらい人間を愛していて、それが人間であるなら犯罪者ですらも愛してみせる、と豪語している僕ですら出来れば――いや、出来なくても関わりたくないと思わせる、匂坂中学校の生徒が保健室を利用しない理由の唯一無二にして頂点に君臨する《悪意の天使》の声だった。


 今まで聞いた事がないタイプでの声だったけど、間違いなく彼女だった。


 だから彼女に許可された事もあり、彼女である事もわかったので、少し様子が違ったが――いや、違ったからこそか、様子が違ったからこそ、助けを求めていた訳ではないから可能性は低いが、苦しさの中に事件性を感じ、躊躇う事を忘れ、僕は直ぐに保健室に入る事にした。


「失礼します」

「あぁっん……あっ、ああぁっ……、……ん、きもちっ…………は、ぁぁっ!」

「失礼しました」


 一度ドアを開いて片足を中に入れたが、保健室に広がっていた異世界を見て、僕は直ぐにドアを戻した。


「おいおいおい」


 頭を抱え、膝を抱えるように屈む。


 先程見た異世界を忘れたくて、でもドアの奥から聞こえる声がそれを忘れさせてくれなくて、頭が痛くなる。


 えっ、考え事に集中し過ぎて今まで外にも響くこの声に気付けなかったのか僕は、と自分を何度も責める。


 衝撃的な映像が頭から離れない。


 異世界を見てしまったせいで、胃の中から何かが込み上げてきそうだ。


 見たくはないものを見てしまった。


 とは言っても、別に僕は本当に異なる世界を見た訳ではない。扉を開けたら触手だらけのSAN値が下がる混沌な世界が広がっていて、それで吐きそうになったとか、そういう系統のものではない。


 それは誰が何処でを無視すれば、現実的で常識の範囲内の光景だった。


 僕は実はジェイムズ・シェパード医師が犯人だったと予想出来る程度には、その可能性も頭の中で考えていた。


 だから吃驚した。


 そして単純に、気持ち悪かった。


 はあ、と溜息を吐いてから、両頬を叩いて気持ちを切り替える。


 一度確認しよう。今は朝。一時間目の最中。此処は学校。僕が開けたのは保健室のドア。異空間に繋がっていた訳ではなく――ある意味では異空間だったが――僕の知る空間、現実世界そのものだった。中に居たのは養護教諭の烏丸紫苑。あれが養護教諭とは思いたくないし、信じたくもないが、養護教諭本人だった。


 つまり教師だ。教師のはずだ。


 それなのに――


「朝っぱらから学校で手淫はねえよ」

「イってないからセーフよ」


 変態が出て来た。頭に猫耳を装着し、白衣の下は体操服とブルマを装備し、右手に“うぃんうぃん”と震える説明したくはない何かを持った変態が保健室から出て来て、言い訳にならない言い訳、フォローになっていない自己弁護をした。


 僕は立ち上がる。立ち上がって、自分に出来る限界の速度を出して、変態の近くから十歩程度距離を取った。本当はもっと離れたかったが、後ろは壁だった。


「あら、久しぶりね愛姫」


 変態が僕に笑い掛ける。


 変態の姿を見て、僕は保健室の中で繰り広げられていた変態を思い出した。


 保健室で教師が手淫。言葉にすると更に、その大胆不敵で不適切な行為が信じられなくて、嘘だと思いたくなった。だが事実として、保健室の中であったそれを僕は見た。見てしまった。最悪だ。虚言少年、ただの嘘吐きでしかない僕は現実の中に嘘を作り出す事は出来ても、現実を嘘に作り替える事は出来なくて、現実を受け止める事しか出来なくて、自分が超能力者であれば良かったのに、と現実逃避で頭の中がいっぱいだった。


 嘘吐きには現実を変えられない。嘘は他人に現実を誤認させる事は出来ても、世界そのものは変えられない対人用の武器でしかなく、僕自身には効果がない。


 だから僕は現実を見るしかない。


 自分に嘘を吐いて騙し切るには、今回の現実は少しばかり強烈過ぎた。


 僕を騙してくれそうな人もこの場には居ない。居るのは正直者、何処までも自分の欲望に正直な、変態がただ一人。


 本当に、頗る最悪だ。


 途方もなく、変態だった。


 途徹もなく、変態だった。


 僕は変態の変態を見てしまった。


 会話前から変態は予想していなかった。予想していたくもなかったが。


「あれ? もしかしてお姉さんの事忘れちゃった?」


 忘れられるはずがない。


 好みのタイプは自分より身長が低い人間全般で、年齢性別生死関係なく性的な食べられる変態を極めた変態。好きな言葉は『人類皆穴兄弟』。将来の夢は酒池肉林。生涯の目標は男女両方を備えた大ハーレム。


 そんなド変態は忘れたくても忘れられるはずがない。


 死体に手を出そうとして病院をクビになった、とか巫山戯た経歴を持つ変態を忘れられたら、それは幸せな事なのだろうが、匂坂町で変質者事件があれば毎回犯人候補に上がる変質者筆頭で、毎回犯人そのものである変態を忘れるには、脳を削るしか方法がなさそうだ。


 僕は黙ったまま、変態を見る。


「立ち話もなんだし中に入ったら? 勃ったままだと男は辛いんでしょ?」


 知ってるわよ、うふふふふ。と不気味な笑い声で、変態が僕を誘う。見た目は美人ではあるが、しかも目的は保健室で彼女に診てもらう事なのだが、僕はその誘いを受けるかどうか戸惑った。


 食われる気がする(性的な意味で)。


 先程まで自分を高めていたのだからその懸念は当然で、しかも僕の身長は百三十三センチ。残念ながら、百七十センチ近くある彼女の守備範囲に、球場全体を埋め尽くしそうなストライクゾーンにしっかり入ってしまっている。


 だから僕は、物理的には距離を取れない分、心理的に更に距離を取った。


「何おもいっきり引いてるの? いいからさっさと中に入りなさい。挿れなくていいし別に取って食ったりしないから」


 烏丸はいつの間にか距離を詰めて僕の手を取り、保健室の中に連れ込む。


 余計な言葉を加えなければ会話すらままならぬのかと突っ込むべきかと思ったりもしたが、僕は無言を貫く。


「はい、どうぞ」


 それから椅子に座らされた。


 いつでも叫び声が上げられるように警戒は怠らない。手を出さないと言われてもそれを信用してはいなかったからだ。


「それじゃあ、まあ、愛姫が私に会いに来た理由なんてどうせ診察だろうし、お姉さんが隅々まで診てあ・げ・る」


 やっぱり叫び声とかよりさっさと逃げていた方が良かったかもしれない。




   ◇◇◇




「ねえ、愛姫。普通は美人な保健室の先生ってモテるはずよね? 私告白された事すらないんだけど……」

「そうですね、まずは思春期真っ盛りの男子中学生すらも近付かないその変態性を見直すといいと思います」

「変態は生き様よっ!」

「きっと死に様も変態なんでしょうね」


 えへへ。と何故か烏丸は照れた。


 診察が終わり、軽く応急処置を施してもらった後、何故か僕は変態・烏丸と仲良く――ではないが、雑談をしていた。まあ何故かと言うか『犯されるかお姉さんと仲良くお話するか選びなさい』と言われて、お話する方を選んだだけだが。


 そういえば、すっかり忘れていたのだが、クリスティも陽菜ちゃんも保健室には来ていないらしい(と言うか、今年は僕しか来ていないらしい)。転校初日でトラウマを作る事は避けられたようだ。


 確かに一時――あの時はクリスティに激怒してしまったが、今は全く怒っていないので、変態に襲われてしまうなんて事がなくて本当に良かった。流石に殴られた後に犯されたとか可哀相過ぎる。


「あー! 他の女の子の事考えてるでしょ? 女の子と居る時に他の女の子の事を考えているのはダメよ? お姉さんの乙女心が深く傷付いちゃうわ妬いちゃうわ」

「お前死ねよ、今すぐに」


 割と本気で思った。


「二十七歳は女の“子”じゃないし、乙女でもない――て言うか、女の子かお姉さんかどちらか絞れよ変態」

「馬鹿ね愛姫は。愛姫は馬鹿ね。女はいつまでも女の子で乙女だし、相手より年上ならお姉さんの称号も加わるのよ。乙女なお姉さんって可愛らしいでしょ? だから私は可愛いのよ。そうでしょ?」

「変態は可愛くありません」


 同意を求められたが、首を振った。


 確かに彼女は見た目は整っているので、美人系だけど可愛いと褒められなくもない。だけどやっぱり可愛くはない。医者としても養護教諭としても優秀で、頭も良くて、見た目も優れていて、スタイルも良くて、だけど、中身が残念な変態過ぎて、可愛いからは逸脱してしまう。


「……愛姫は相変わらず意地悪ね」


 烏丸は寂しそうに呟いた。


 その姿は憂いを帯びていて、哀愁を感じさせ、きっと――“猫耳ブルマ”ではなかったら、絵になりそうな姿だ、と褒め言葉を贈っていただろう。


 烏丸は自分の魅力を殺す達人だった。


「あ、そうそう、そういえばだけど」


 突然、先程までの雰囲気と打って変わって、急に楽しそうになった烏丸。言葉を投げ掛けながら席を立ち、何やら近くにあった机の引き出しを漁り出した。


「うん、これこれ」


 お目当ての物が見付かったらしい。


 烏丸は僕の対面にある椅子に再び座り、それから一枚の封筒を差し出す。


 僕は首を傾げた。


「……何ですか、これ」

「まあ取り敢えず見てみて」


 烏丸はそう言って、僕に封筒を押し付ける。僕は仕方なしにそれを受け取った。それから封筒の中身を取り出す。


 そして困惑した。


「何ですか、これ」


 見る前と同じ事を言ってしまった。


 封筒の中には綺麗に三つに折り畳まれた紙が入っていた。


 確認を取ってから開いてみるとパソコンなどの機械で打たれたような機械的な字で、意味不明に数字が羅列されていて、何を伝えたいのかがよくわからない。


 僕は訝しげな視線を烏丸に向けた。


「可愛いで思い出したんだけどね、昨日大学生くらいの可愛い女の子に会って、いきなりそれを渡されたのよ」

「この封筒を?」


 僕は封筒をひらひらと振る。


 烏丸は大きく頷いた。


「うんそう。それでね、ラブレターかと期待して見たら中身は意味不明な内容でそのまま放置してたんだけど、無駄知識だけは無駄にあるって九郎原先生に言われてる愛姫ならわかるかもって」

「そうなんですか」

「そうなんですよ。ほら、確か一年生の時に死姦についても刑法がどうたらこうたらと難しい事言ってわよね?」

「一年生の時なら『刑法第一九○条に規定する死体損壊罪は、死体を物理的に損傷・毀壊する場合を云うのであつて、これを姦するが如き行為を包含しないと解すべきものである』ですか?」


 簡単に言うと、死体が傷付いたりした訳ではないので、死んだ人間を犯す行為は死体損壊罪に当て嵌まらないという事だ。


 死体を犯しても罪ではない。アメリカでは死姦、または屍姦を禁止する法案が承認されていて、法的に罰せられるらしいが、日本では強姦罪にも死体損壊罪にもならないので、死姦そのものは一応罪ではない。勿論社会的には許されざる行為なので、免職や資格や免許の剥奪の可能性はあるが、犯罪者にはならない。


 そんな話を一年生の時、烏丸紫苑が死体を犯そうとしてクビになったという噂を聞いて、級友と話したような覚えがある。


 多分、それが本人にまで伝わっていたのだろう。


「そうそう、それそれ!」


 烏丸は嬉しそうな表情で頷いた。


 嬉しそうな表情で話す類の内容ではないと思うが、実際に死体を犯そうとした経験がある彼女には言っても無駄か。


「美味しそうな子を探して校舎を徘徊してたらそんな話が聞こえて、思えばそれが愛姫に興味を持ったきっかけだったかしら」


 一年前の僕に殺意が芽生えた。


「まあそれはともかくとして」


 烏丸が僕の手に持つ封筒を一瞥する。


「別に特殊な趣味があるでもないのに特殊な知識を持ってる愛姫なら、それがどういう意味なのかわかるかもって、そう思ったのよ。もしも恥ずかしがり屋な子がラブレターを暗号化させてたとかだったらせっかくのチャンスを不意にしてしまう訳だし、すっごく勿体ないじゃない!」

「恥ずかしいから暗号って一体どんな大学生ですか。ていうかそもそも僕は別に物知りって訳でもないですし、無駄知識とか特殊な知識とやらは偶然知っていただけで」

「だから解読よろしくね」

「話を聞けよ変態」


 聞く耳持たずというのはこの事か。烏丸は「らっぶれったあっ。らっぶれったあっ」と妙なリズムの言葉を歌うように口ずさみながら、くるくると白衣を翻しつつ回り出した。右手にはいつの間にか、手放していたはずの振動する機械を持っていて、スイッチをオンにしたりオフにしたり繰り返し、ご機嫌な様子だ。


「これで痴女だけど処女 (笑)とか馬鹿にされなくなるわ。やったねしおんちゃん! 家族が増え……家族は増えないわね。人工多能性幹細胞でもないと女同士では無理よね。えーっと、それじゃあ……、処女膜から声が出なくなるよっ!」


 もし紙に書かれているのが暗号で、その上で解読が出来て、万が一にもこれがラブレターだったとしても、大学生の為に烏丸には嘘の内容を教える事にする。


 烏丸の様子を見て、それを決めた。


 実は大学生も変態で、烏丸と趣味趣向がピッタリで、同性愛なんて非生産的な関係を作りたいのかもしれないが、僕はそんな低確率な可能性には掛けられなかった。


 万が一にもラブレターである可能性は考えても、億が一にも相性抜群である可能性には掛けられず、僕のせいで大学生が散らされるのは忍びなくて、僕は全力を持って、虚言を使う事を決めた。


 それにしても――


「でもまあ、暗号かぁ……」


 僕は数字が羅列された紙を見る。


000

55

000

11

66゛

999

00

444

111


 縦長の紙に二十七の数字。数字を全て加算すると八十六で、乗算すると零。裏面を見ても白紙で、封筒を見てみても差出人の名前もない。ヒントなしではわかり過ぎてわからない。選択肢が多過ぎて、どれが正解なのか特定出来ない。


 あくまでそれだけなら(・・・・・・・・・・)だが。


 恐らく濁点であろう文字。最初に見た時は汚れか何かと勘違いしたが、これが濁点であるなら解読は容易だ。若者なら特にわかるだろうし、もしかしたら実際にこの暗号を使った経験があるかもしれない。


 僕なりに出した答えはそんな単純な――頭の体操にもならない物だった。ヒントがないから完全に断定は出来ないが、意味が通じる言葉に変換出来たので、多分これだろうという自信は少しある。


 そして僕が出した答えが正解なら、差出人の大学生にも心当たりがある。


「ねえ烏丸。この封筒を渡してきた大学生って、もしかして茶髪だった?」


 くるくる回って踊っていた烏丸に問い掛けると、烏丸は一瞬でぴたりと止まった。


「そうだったけど?」


 烏丸は不思議そうな顔をする。


 僕は質問を続けた。


「パーマ掛かってた?」

「掛かってたわよ。長めではないけど、ゆるふわ愛されガール的な感じに」

「目も茶色だった?」

「暗かったから確実ではないけど確か茶色だったと思うわ」

「垂れ目で?」

「垂れ目で」

「童顔?」

「ええ、童顔だったわ。化粧もしていないのに可愛くて、性的な意味で美味しそうな美少女だったわ。特にあの――」

「他に特徴は?」

「最後まで聞きなさいよ、まったく。……んーと、特徴? 特徴、ねぇ。モコモコしてる白い帽子を被ってたとか? 笑顔が可愛かったとか?」

「……動物に例えると?」

「たぬきかしら?」


 一ノ宮――嘉穂。


 大学生であり情報屋を自称する女性。


 今朝出会った変質者。


 羅列された数字から導き出した答えと、烏丸から聞いた特徴から考えて、この封筒の差出人は彼女である可能性が高まった。


 いや、きっと彼女なのだろう。


 ぶつかる相手は私じゃない。


 曲がり角に注意。


 未来を見てからの発言のようだった彼女の言葉は、間違ってはいなかった。


 そして今日、烏丸に見せられた封筒。


 僕が見せられた、封筒の中身。


 深く考え過ぎなのかもしれないが、都合の良い、ご都合主義な妄想かもしれないが、もしかして彼女は烏丸が僕にこの封筒を見せる事を予見して、僕が烏丸紫苑の居る保健室を訪れる事すら予知して、その上で僕に宛てた伝言を、予言するかのように、それでいて助言するかのように、僕に伝える為に、昨日の内から烏丸に封筒を渡していたのかもしれない。


 都合が良すぎる妄想かもしれないが、僕にはその可能性しか考えられなかった。


 寒気がする。


 悪寒がする。


 背中を何か、冷たいものが通り過ぎていったような、そんな悪寒がする。


「一ノ宮嘉穂」


 彼女は何者なのだろうか。


 彼女の目的は――


「もしかして知り合いだったの?」


 僕の呟きが聞こえたらしく、烏丸は期待の篭った眼差しを僕に向けた。


「もしかしてラブレターだった? ねえねえねえ! もしかして愛姫の知り合いで、愛姫から聞いた話で私に惚れて、それで私にラブレターを渡したとか?」


 肩を掴まれ、揺らされた。


 目の前で猫耳がぴこぴこと上下する。


 烏丸に揺らされた途端――いや、烏丸の声を聞き、烏丸の姿を視界に入れた途端、シリアスは消えた。悪寒も消えた。


 本当に、何もかも残念な奴だ。


「取り敢えず離してください」

「ああ、ごめんごめん、ちょっと興奮し過ぎちゃったわ。珍しく性的な意味じゃない興奮しちゃったわね、うふふ」


 僕は大きく溜息を吐いた。それから数字が並んでいた手紙を三つに折り畳み、封筒の中に仕舞い、烏丸にそれを返す。


 烏丸はそれを受け取り、両手で大切そうに掴みながら、胸元に移動させた。


「で、ラブレターだった?」

「いえ、違いました」


 烏丸は封筒を破り捨てた。


「ただの悪戯だったようです」


 烏丸は封筒を踏み付けた。


「烏丸先生の悪口が書かれていました」


 烏丸は封筒を蹴り飛ばした。


 それから床に膝を着く。


 身体が、ぷるぷると、震えている。


 烏丸は拳を握り、床を叩いた。


「お、おと、乙女の純情を、踏み、踏みにじったわねっ……ひ、酷いわ、あ、あの子……き、期待、期待させるだけさせて、おいて、こんな、こんなのって……あ、あんまりよっ……ふ、ふえーん!」


 烏丸は、烏丸紫苑は――泣いた。


 号泣した。


 全く似合わない、萌えキャラのような可愛らしい泣き方で、子供のように大声で、泣きじゃくり、泣き喚いた。


 何と言うか、うん。


 変態の目にも涙(意味:心のいやらしい人にも、悲しむ心はある)か。


 流石にちょっと、可哀相な気がした。


 勝手に勘違いを、しかも無理矢理な勘違いをした烏丸が悪いのであって、封筒を手渡した人には責任はないし、寧ろ烏丸だけが悪い気もするのだが、それでも普段とは違う姿を見て、僕は同情した。


「じゃあね、烏丸せんせ。そろそろ二時間目だから僕は教室に帰るから」


 だけど学生には授業も大切なので、チャイムの音が聞こえてしまったので、泣いている烏丸を放置して、僕は教室に戻った。

 ご意見やご感想などお待ちしております。特にアドバイスは大歓迎です。


 関係ないのですが、まだ五月だからと油断していました。暑さと共に体調が悪くなるのですが、流石にこの季節から血を見るとは思っていませんでした。

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