第五話◇罪と罰
これは僕だけではないだろうが、殴られた人間のその反応次第で、どのような性格の人間なのか、それがある程度はわかる。いや、殴られた時の反応だけに限定したものではなく、何かされた時の反応を見れば、だいたいの人は、その人のだいたいを少しくらいは把握出来ると思う。
その時の状況や心情、些細な事を計算に踏まえなくてはいけないが、それでも少しはその人間が理解出来るはずだ。
それは幼い子供には出来ない行為。経験則に従って、類似した情報の中から、それに自分ならどうなるか、こういう人ならどうなるかを知っていなければ出来ない行為で、しかも的外れな回答に行き届いてしまう場合もあるが、この時の僕はその反応で、イヴ・クリスティの人間性、簡単に言えば性格を、少しは理解出来たのだと思う。
イヴ・クリスティは茫然自失としていた。捲れ上がってスカートを気にする事なく、殴られた所為で鼻から流れ出る血で服や身体が汚れる事すらも気にする事なく、ただ茫然自失としていた。
他人に対して躊躇なく暴言を吐く攻撃的な性格なら、暴力には暴力で返したり、それがなくても、最低でも暴言を吐き出すと思っていたのだが、イヴ・クリスティは何も、本当に何もしなかった。
ただ僕を見ていた。
視線を逸らさず、信じられないものを見るかのように、僕を見つめていた。
そして、それは彼女が陽菜ちゃんの手によって教室から連れ出され、恐らく保健室に連れて行かれるまで、教室の扉から出て、姿が見えなくなるまで、彼女はただ僕の姿を見つめていたのだった。
これはつまり、と僕は仮説を立てた。
「クリスティは被虐主義者であり、自分を初めて殴ってくれる相手が現れて嬉しさのあまり言葉を失ったんじゃないかな? 攻撃的な性格は自分を守る為の壁ではなく、相手に攻撃させる為の挑発だったんじゃないかな? でも今までクリスティに暴力を振るえる人間は居なくて、だからこそ転校を繰り返して、漸く自分を殴ってくれるご主人様――僕に出会えた事で、彼女は今喜んでるのかも。うん、そういう事だから何も問題ないよね?」
「本気で言ってるなら病院に行け」
無論、肯定はされなかった。
◇◇◇
さてさて、イヴ・クリスティは現場から離れ、陽菜ちゃんに引かれて保健室に去っていった。事件現場から被害者の姿は消え、残されたのは目撃者と加害者、つまり級友と僕だけだった。
ここで逃げなかったら、当然、加害者は警察に捕まるであろう。日本の警察組織は小説や漫画のような無能集団ではないので、目撃者がいる時点で、遅かれ早かれ捕まる事は間違いないが、まあ加害者が捕まる事だけは違いないだろう。
そして僕は逃げなかった。
だからこそ捕まった。
授業開始寸前だった事もあり、既に教室の近くまで来ていた教師である九郎原道典――苦労くんに捕まり、警察組織で言うと取調室に該当するのであろうその場所、生徒指導室に連れていかれた。
僕は抵抗も言い訳もしなかった。
生徒の誰かに事情を聞いたらしい苦労くんに溜息を吐かれながら呼ばれ、大人しく、無抵抗で彼に着いていった。
そしてつい先程、道中は何もなく、会話すらなく歩き、階段を上り下り、廊下を進み曲がりして、そこに辿り着いた。
生徒指導室――それは僕が入学式初日から何度もお世話になっていて、もう慣れ親しんでしまった部屋である。苦労くんと入るのは二度目で、前回から数えると実に一ヶ月振りだが、既に新鮮味は失われている。ああ、また此処か、といった飽き飽きとした感情を抱いてしまう。
内装も変わっていない。
二つ並んだ長方形のテーブル。四つ納まっている教室にあるものと同じ椅子。屏風のような形の仕切り。部屋には不釣り合いな花柄のカーテン。高校関連のパンフレットなどが仕舞われている本棚。
どれも昔見たまま変わっていない。
だからこそ、慣れ親しんだ(よく考えてみたら親しみたくはないが)印象は変わらないし、何度も来ているから新しい発見なんてものも存在しない。
出来ればカーテンくらいは変わっていて欲しかった、なんて、前回と同じ感想を考えるだけで、それだけで終わる。
僕が部屋に入り、苦労くんの対面の席に座ってから考え事はそれだけで終わった。
けれど、苦労くんは恐らく僕とは全く違う、方向性どころか根本的な部分が違う考え事をしているのだろう、と思う。
暴力を振るった生徒を前にして教師が考える事。どうやってどれくらい説教し、二度と同じ事を起こさないように戒めるにはどうするか、などと考えているのだろうか。それとも面倒事を起こされて、通常の職務とは違う事に勤しまなければいけない状況に対して、不平不満を、そして怒りを内面で溢れさせているのだろうか。
生憎、僕は苦労くんではないし、心の中を読む、なんて超能力者のような特殊な能力も持ち合わせていない。
だから、それはわからない。
けれど、表情を見て少しわかる。
苦労くんはこの瞬間に間違いなく、何に対してどれくらいなのかはわからないが、確かに彼は呆れているようだった。
そして苦労くんは、そんな呆れているかのような表情のまま、溜息を一つ吐き、どうでもいい事のように、
「お前なら絶対に何かをやらかすと思っていたよ。殴るのは予想外だったけど」
と、言った。
静かな空間――他のクラスや学年も授業中で、体育の授業もないのか、グラウンドからも声が聞こえないその空間に、疲れたように吐き出された声は、僕に一字一句聞き逃させずに、大きく響いた。
また警察組織関連で例えるなら『小犯罪の常習犯である顔馴染みがいつもより大きな事をやらかして少し驚いた』ような感じだろうか。それとも普段から僕を嘘吐きのように扱う事も踏まえて『まさかよく知る詐欺師が暴力沙汰を働くとは思っていなかった』みたいな心境だろうか。
あの怪盗は殺人を犯さないから犯人は別にいると、よくある怪盗のライバルである刑事が持つ奇妙な信用みたいな感じもするが、案外これが一番的を得ているのではないだろうか。
僕はそう思った。
そして、次いで思った。
これは果たして教師の言う言葉であるのか。教師が言っても良い言葉であるのだろうか。教師に相応しい言葉なのか。
多分違う。と、教職について詳しく知っている訳ではないけれど、それは違うのではないかと、多分という予防線を張りながらも、僕は心の中で否定した。
そのおかしな信用の仕方と、それによって生まれ出た言葉は、決して教師が口にするべき言の葉ではない。
教師が生徒に言ってはいけない。
だけど、同時に思う。
苦労くんもそんな事はわかっているのだろう。だけど言わずにはいられなかっただけの事で、つい言ってしまっただけで、きっとそれはわかっているのだろう。
僕もそれをわかっている。
けれど、わかっていても――いや、わかっているからこそ黙って聞いておく事は出来なかった。例え無理があるとしても『あんな事をやるような人には見えませんでした』とかくらいは言って欲しかった。
まるで犯罪者扱いされているような気分になり(当然、暴力を振るう事は子供であろうと犯罪で、その犯罪行為に走った時点で僕は普通に犯罪者なのだが)、『いつかやると思っていました』と言われたような気がして、そのいつかをこの場で発揮したくなってしまった。
もちろんやらないけれど。
けれど、言う事は言っておく。
「先生。僕は無実です」
「現実を見ろ」
あっさりと返された。
「先生。僕は無罪ですよね?」
「お前は生きているだけで有罪だ」
僕という人間を全否定された。
「先生。僕は無害です」
「安心しろ。お前は限りなく有害だ」
遂には人間として扱われなくなった。
「先生。僕を信じて下さい」
「ああ、信じているとも。何か事件があれば、それは大体お前のせいだ」
トラブルメーカーに指定された。
「先生。僕は何も悪くないです」
「そうだな。悪いのはお前をちゃんと殺してくれなかった通り魔の野郎だ」
まるで生き残ってしまったのが間違いのような、それが心底残念であったかのような言葉が返ってきた。
言うだけ無駄だった。
教師どころか人間として疑わしい台詞しか返ってこなかった。
その出来事が、事件があった瞬間のその状況を見てもいないのに、それでも僕が悪いと断言されてしまった。
まあ、僕が悪いのだけど。
だから言い返す事はやめるけど。
けど、何て言うか、その、お前は本当に一時期は聖職者とまで謳われていた職業である教師か、と問い詰めたい。
それも結局は時間の無駄になってしまう予感がするからやめておくけど。
「あのなぁ、女性に手を上げるなんて男としては最低な行為だぞ? いや、男女関係なく、それ自体が最低な行為だな。小学校の授業で習わなかったか? それともお前の事だから習ったけど、しかも忘れていないけど、それでも無視したのか?」
今まで人間として間違った言葉を散々言い連ねてきた最低教師が、急に正しい事を言い始めた。
その正しさが僕に適用されないのは何故なんだろうか。もしかして僕は人間としてカテゴライズされていないのか。
一瞬だけ、そんな事が頭を過ぎる。
だが、気にしないようにする。
気にしても仕方ない。
そんな事はこれまでの苦労くんとのやり取りで、十分に理解した。
だから気にしない。気にしてない。
「いいか、手は出すなよ?」
「足なら良かったんですか?」
それでもこんな風に思わずふざけて、まるで小学生のような返事をしてしまったのは、本当に思わず、何も思っていない状態で、何も考えずに素で返してしまっただけだった。
当然の如く、他意はない。
だけど苦労くんはそうは思わなかったようで、少し呆れたような表情――と、言っても、生徒指導室に入ってからの苦労くんの表情はずっと呆れっぱなしなのだが――を見せ、駄々をこねる子供を相手にするかのように、わざと落ち着かせた感じの声で「そういう意味じゃない」と、否定した。
苦労くんは真面目だ。
僕とのやり取りにおいてはその真面目さはなりを潜めてしまうが、お人好しで今時珍しいくらい正義感に熱く、普段はその冴えない見た目通りまるで駄目なオッサンのようだが、いざと言う時は生徒の為に行動する昔の漫画のような教師である。
だからこそ僕のふざけているようにしか思えず、実は“ように”どころか本当にふざけているだけの言葉にすらも、渋々ながらも真面目に答えたのだろう。
だけど、それは間違いだ。
自分で言うのもなんだが、僕に真面目に接するのは、しかも言葉を使って相手をするのは、正しい行為とは言えない。
何故と問われれば、僕だから。
自分を正しく狂いもなく理解出来ている自信は微塵もないが、僕は真面目な人間を不真面目な言動でからかうのが割と好きなふざけた性格らしい。
「ならどういう意味なんですか? 肘ですか? 膝ですか? 若しくは頭ですか? それともやっぱり口を出すべきでしたか? クリスティとは違って僕の顔は汚い言葉を吐くには少し上品過ぎると思ってやめたのですが、暴言には暴言を返すのがハンムラビ法典の百九十九条的な意味でも正しい選択でしたかね?」
だから僕は乗りに乗って、口調だけは丁寧にふざけた言葉を続けてしまった。
それは案の定、苦労くんの意には沿わなかったらしい。
苦労くんは少し顔を顰めた。
「暴力は良くないと言っているんだ」
「それは悪くもないって事ですか?」
「悪いに決まっているだろ!」
苦労くんは大きく溜息を吐いた。
「なあ、南よ。真面目に説教されてくれる気はないか? お前と話をしていると先生は異常に疲れるんだが……」
それから言って、項垂れる。
どうやらからかいが過ぎたらしい。
「すみません。金髪の人間を見たら殴ってしまう特異体質なんです」
「お前は毎朝鏡を殴ってるのか?」
「いえ、殴っていません」
「お前、勢いだけで言ってるだろ?」
「人生には勢いも大切だと思います。勢いとか乗りとか、そういう頭足らずな人が世界を救う事もあるじゃないですか」
無論、平面の世界の話である。
無知は罪とまで言われる現実では、死ななきゃ治らない馬鹿はすぐ死ぬし、安易な行動は簡単に死に繋がる。
自分を馬鹿と貶すようで嫌だが、だからこそ僕も先月生き残りはしたけれど、通り魔に殺されかけた。きっと一歩間違えたら簡単に死んでいただろう。
そして目の前の白髪混じりの頭をした男は、そうなれば喜んでいただろう。
「だから僕は勢いも大切だと思うんです。そろそろ世界も救えるはずです」
頭の中では真逆の事を考えながらそう言うと、苦労くんはそのあだ名に相応しい、苦労人らしい溜息を吐き出した。
「そうだな。お前と真面目に話をしようとするなんて無駄だったよな。生徒達の言った通りだった。世界でも何でも救ってくれていいから勝手にしてくれ」
苦労くんは投げやりにそう言って、椅子を引いて立ち上がり、本当に疲れたような表情で僕を見て、また溜息を吐く。
「取り敢えずクリスティには謝っておけ。それから仲直りをするかどうかは自由だし、その後で他の生徒達にしたみたいに性格を改変させるのも自由だ。どうせ何を言っても素直に聞かないだろうし、あくまで自分のやりたいようにやるだけだと思うが、それだけは一応言っておく」
苦労くんはそこで一度区切り、
「ただし責任は持たんがな」
と言った。
「先生はただ、お前が死ぬ事を祈りながらそれを遠くから見ておく事にする」
「それって生徒に言う事ですか?」
会話の途中、何度も思っていた事を尋ねると、苦労くんは初めて笑った。
「お前は俺の生徒なんかじゃないよ」
おいオッサン。と僕は睨んだ。
苦労くんは笑みを絶やさない。
別にショックを受けた訳でもないし、きっとそうなのだろうと予想はしていたが、実際に言われるとは思ってなかった。いや、実際に言えるとは思っていなかった、の方が正しいか。
善人でお人好しで、今時珍しい、生徒を本当に大切に想っている教師である苦労くんに、たった一人でも、それが問題児であろうとも、突き放すような、手放すような言葉が吐けるとは全然思わなかった。寧ろ問題児だからこそ突き放せないのではないかとすら思っていた。
「お前の問題は先生が抱えられる問題児の許容範囲を超えているからな」
「問題……、ですか」
お開きの空気を感じ取り、僕はゆっくりと立ち上がった。そんな僕を見て、内情を理解しているかのような台詞を苦労くんが吐く。そんな台詞に思わず朝に出会った狸を思い出し、僕は顔を顰める。
すると、はっはっはっ、と見た目にそぐわぬ豪快な笑い声を聞こえた。
「気に障ったか? 南にも傷付いたりする心があったんだな」
それは見当違いの勘違いで、あの狸とは違う事がわかり、それは僕の顰めた顔を戻せる勘違いだったが、続いた余計な言葉のせいでそれは叶わなかった。
生徒扱いをしないのは良いが、せめて人間扱いくらいはしてほしい。
それも叶わないのだろうけど。
まるで先程ふざけた仕返しをくらった気分だ、と僕は項垂れる。
「ああ、久し振りに良い気持ちだ。おかげで今日も教師として頑張れそうだよ。ありがとうな、南」
僕は勘違いを正す気にはなれず、嬉しくもない感謝の言葉に頷いた。
それからもう話す事はないだろうと生徒指導室から出ようとし、ドアに手を掛けたところで、つい以前から気になっていた事を何気なく尋ねてみた。
「そういえば先生。また通り魔の振りして僕を殺そうとする気はありますか?」
沈黙。苦労くんから先程までの笑みは消え、その表情が一ヶ月と同じになる。
「…………」
「…………」
お互い見つめ合った。
そこにはロマンスなんてカケラもなく、殺伐とした空気が張り詰める。
だが、それも長くは続かなかった。
すぐに沈黙は破られた。
「…………そうだな」
苦労くんは胸元に手を入れ、何かを取り出して、それを掴んで僕に向ける。
それは黒光りした金属の塊だった。
拳銃。人の命を簡単に奪える、教職員は持っているはずがない、日本人が持っていていいはずがない凶器だった。
あまり銃器に詳しい訳ではないが有名なそれの名前くらいはわかる。
ワルサーP38。ドイツの銃器メーカーである自動式拳銃。過去、第二次世界大戦中にはドイツの陸軍で使用されていて、某怪盗三世の愛用する拳銃だ。ヴァルター・ペー・アハト・ウント・ドライスィヒとドイツ語で言うと格好良い気もする。気がするだけで、ただの殺人に使われてきた凶器の一つでしかないが。
それを苦労くんは握っていた。
弾倉は既に入っているだろうし、安全装置も下がっていてロックも解除されているし、スライドは先程引かれた。
引き金に指を掛けていて、いつでも僕の命を奪える状況にある。
つまりは絶体絶命。僕の命は目の前の白髪混じりの男、九郎原道典の手の中にあるような、そんな状況になっていた。
確かワルサーP38にも欠点、スライド上部のカバーは連続で射撃すると外れるなんて事も聞いた事があるが、それが現在でもそうなのかは知らないし、一発あれば十分に僕を死に至らせる事が出来る。
銃弾を回避なんて馬鹿な考えはない。
ワルサーP38は確か弾速は秒速350mくらいだっただろうか。まあ、仮に350mとしておこう。そして人間、自分の限界反応速度を0.2秒と仮定して、回避完了までに掛かる時間を0.1秒とすると、合わせて0.3秒。
つまり回避するまでに掛かる時間で銃弾が進む距離は350×0.3=105(m)。
そして僕と苦労くんの距離は百メートルどころか三メートルも離れていない。音速とかそういう問題を置いといたとしても、人間をやめなければ絶対無理だ。
先読み――相手の動作、特に指をよく見て回避行動をしても、間に合うはずがない。殺気を読んで避ける達人なんてのもいるかもしれないが、生憎一般人である僕にはそんな技能は備わっていない。
指先一つでダウン確実である。
なんて、落ち着いて状況整理が出来てしまっている自分が笑えた。先月殺そうとしてきた相手を、もうやらないとだろうと信頼している訳でもないのに、それでも暢気に状況確認している自分が非常に、そして異常に愉快に思え、笑った。
対して苦労くんは真剣な表情だ。これではどちらが追い詰めていて追い詰められているかわからない。僕の方が余裕があるなんて本当に馬鹿らしくて笑える。
真剣な表情。苦労くんは本当に真剣な表情で、僕を射抜くように見ていた。
今にも射殺さんばかりだ。
出来れば今、どんな心理状況なのか、是非とも教えて欲しい。そういえば何故殺そうとしたのか詳しい事も訊いていないし、思い切って理由を尋ねてみたい。
そんな事を考えていると、苦労くんは不満そうに口を開いた。
「何故笑っている」
僕に問い掛けているのではなく、自分自身の疑問を口にしたかのような、そんな印象が感じられた言葉だった。
自分の馬鹿さ加減やこの状況が面白くて笑っている、と素直に言ってあげるべきなのだろうか。それとも独り言のように言ったので黙っておくべきだろうか。
僕は少し悩んだ。
そして。
そんな仕種が不愉快だったのか、苦労くんは引き金をその指で引いた。
…………。
………………。
……………………。
…………………………。
だが、僕は死ななかったらしい。何も怪我を負う事なく、普通に生きていた。
「………………」
苦労くんはその状況に何も言わない。
そうなるとわかっていたからだろう。
とは言っても、別に苦労くんが弾を外したとか、あれだけ不可能だ何だと言っておきながら普通に弾を避けたとか、寧ろ最初から弾なんて入ってなかったとか、そういう事ではない。いや、最後のはある意味では正解と言ってもいいか。
ワルサーP38は偽物だった。
それだけの事だ。
弾倉なんてある訳がなく、だから当然殺傷行為が出来るはずもなかった。
それだけの事だった。
「おい、南。少しは怯える姿くらい見せてくれても罰は当たらないと思うぞ。何せ結構高い買い物だったんだからな」
苦労くんは手に持っているワルサーP38型ピストルで、ポケットから取り出した煙草に火を着け、溜息を吐き出す時と同じ動作で煙を吐き出した。
ピストルライター。面白喫煙具とでも言えばいいのだろうか。拳銃の形をしているだけで、通販でも買える玩具だ。
苦労くんはそれを使い、僕を脅した。
先月実際に殺そうとしてきた相手が持っていたからそう感じただけで、本物そっくりのただの偽物だったという訳だ。まあ、ピストルライターとしては本物なのだろうけれど。
「意外にお茶目だね、苦労くん」
扉をスライドさせて開きながら、相手の方も振り向かずに僕は言った。
「あ、生徒の前で煙草吸ってた事は他の先生達には黙ってあげるからね」
「それはありがとうよ」
「どういたしまして」
先程までとはまるで逆で、不良教師と優等生みたいだ。
「ああ、そうそう忘れてた」
既に扉の外に出て、くるりと回って扉を閉めようとした時、突然思い出したかのように苦労くんは言った。
僕は中途半端な状態で扉を止め、煙を吐き出す苦労くんの方を見る。
「まだお前を殺そうとしているのかって質問だがな」
苦労くんはそこまで言って、また煙草を吸い、そしてもう一度吐き出して、
「――俺にはお前は殺せないよ」
殺さないではなく殺せない、とそんな諦めを白状するかのように吐き出した。
「殺せない、ですか」
「ああ、殺せない。もしも殺せるならあの時ちゃんと殺してたよ」
自分達の事ながら教師と生徒、日本人同士の会話ではないと思う。
「お前を殺せるのはきっと“お前”だけだ。それ以外には殺せないよ。神様だろうが自然現象だろうが、何があっても生き延びるんだろうよ、南愛姫は」
「まるで化物のようですね」
「化物も殺せば死ぬだろ。だけどお前は殺しても死なないから困る」
「不死身になった覚えはないですよ?」
「不死身だったら簡単に諦めてたさ」
まあ結局諦めたがな。と続いた言葉には、言葉に出来ない想いを感じた。
「まあ、それだけだ。さっさと授業にでも行ってこい、学生。くれぐれも問題は起こさないようにしろよ?」
「善処します」
「政治家の方がまだ信用出来る」
「それは酷いですよ」
「二つの意味で信じられない行動をするお前が悪い」
確かにそれには思い当たる部分があるので言い返せなかった。
「それじゃあ、失礼しました」
「ああ、本当に失礼だったな」
そして、結局最後まで言い返す事なく、僕は扉を閉めて苦労くんと別れた。
バラバラマジカルの幕間、オリジナルストーリーの話を登場人物とか基本設定とか変えて、他の話として投稿するか、それともILPに活かすか考え中。
どちらにしても魔法とか特殊な部分は完全になくなる訳ですから、別作品みたいになるのでしょうけど。




