これにて幕 4
「二人とも、そろそろいいかな?」
シノの声に遊佐と徹は顔を上げた。シノの隣には真赤姫だった人形を抱き、錆びた脇差を手にした智恵子がいる。
「すまないが時間が押していてね。そろそろ戻らないとまずいんだ」
「わかりました」
徹は頷いたが、遊佐は少しだけ待ってほしいと言ってユズリの前まで歩いてきた。
相変わらず人形めいた表情らしい表情のない顔で遊佐は言った。
「色々世話になった」
「……別に。結局私はほとんど何の役にも立たなかったし」
大口を叩いておきながら結局ユズリは大した役には立たなかった。ほとんどはシノや折継の手柄だ。それを思うと遊佐の言葉は素直に受け取れない。
だが遊佐は言った。
「一ヶ月一緒に探してくれて、最後まで付き合ってくれた。この町のことなんて何もわからなかったから助かった。礼を言う」
「お礼を言われるほどのことなんてしてないわよ」
顔を背けながらユズリは言い捨てる。この一ヶ月の終わりを感じながら。
そんなユズリを見て遊佐は息を吐いた。
「……お前、せっかく人が礼を言っているんだからもう少し態度がよくてもいいだろう」
「うるっさいわね。私は元からこういう人間なんだから仕方ないでしょ」
軽く睨みつけると遊佐は呆れたような顔をして、それからほんの僅かに表情を緩めた。
「それもそうだな」
緩めて、笑った。
「そのほうがユズリらしい」
人形のような顔をした彼は小さく笑ってそう言った。
泣きたくなるほどに綺麗な笑顔で、別れを惜しみたくなるほどに穏やかな声で。
「それじゃあもう会うこともないかもしれないが、息災で」
「……あんたも。せいぜい冥府でうまくやりなさいよ。次に会うことがあったらその時はまた町を案内してあげてもいいわ」
次がある可能性など恐らく殆どない。それでも精一杯虚勢を張ってそう言うと、遊佐は笑って答えた。
「それは楽しみにしている」
「ええ。最大限に期待しているがいいわ」
いつものように不遜に笑ってみせると遊佐は微笑を崩さず「そうか」と頷いた。それから思い出したように右手を差し出した。
「何?」
差し出された右手にユズリが首を傾げると、遊佐は淡々と答えた。
「最後なんだから握手くらいしておいたほうがいいのかと思って」
「何に対していいのか悪いのか知らないけど、まぁいいわ」
ユズリは差し出された手を握り返した。
その手は冷たくも温かくもない。ユズリの指先が、先程遊佐が自分でつけた傷に触れた。傷というにも奇妙な穴のようなそれからは紛れもなく無機物の感触がした。
「……陶器っぽいわね」
ユズリの視線の先に気付いて遊佐は言った。
「ああ、そう言えば穴が開いているんだったか。悪かったな、左手を出すべきだった」
その表情からは読み取れないが、少しだけ声の調子が下がった気がして、ユズリは努めて高慢に言ってみせた。
「別にいいわよ。その程度のこと、気にする程私は器の小さな人間じゃないわ」
それから改めて遊佐の手を握り直して彼を見上げた。
「それじゃあ……お疲れ様とでも言っておくわ」
もっと気のきいた言葉でも言えたらいいのだが、残念ながらそう言った可愛げが欠如していることは自分自身が一番よくわかっている。
遊佐はまた少しだけ笑って言った。
「ああ。お疲れ」
もう一度強く握手して、ゆっくりと手が離れる。
それから遊佐はユズリに背を向け、シノ達のもとへと歩いて行った。
「それじゃあユズリ、折継くん。医療班が来るまで君達はここで待っていなさい。二人とも強がってないでちゃんと治療を受けるようにね。では、行きましょうか」
シノに促されると徹と智恵子はユズリ達に頭を下げて。
遊佐は頭こそ下げなかったが「ありがとう」ともう一度言って、シノの先導で町の奥へと消えて行った。
そして後には静寂が残った。
暗闇の中、時折鬼火が地面に散った血を照らす。
遠く遠くに町の喧騒が聞こえる。
お囃子とざわめき。
ついさっきまでそこにいたはずなのに、今は何故かとても懐かしいもののように感じる。
まるで長い夢でも見ていたかのような心地だが、今さらのように湧いてきた疲労感と傷の痛みが全て現実だったのだと訴えかけてくる。
ユズリは地面に腰を降ろし、深く息を吐いた。
「意外に呆気ない終わりだったな」
折継もまたユズリより少し離れた所に座り込んだまま、そう呟いた。
「あの姫さんもあれだけ大暴れしておいて、飼い主が来たら途端に大人しくなりやがって。何か俺ってば骨折れ損っぽくないか?」
「あんたもたまには苦汁をなめたほうがいいし、むしろよかったじゃない」
「いいことあるかよ。結局真赤姫は狩れなかったし、あちこちに大枚叩いて準備してたのが全部無駄になって最悪だ」
「お気の毒様」
「けっ」
ユズリの皮肉に折継はつまらなそうに顔を歪めた。
「だいたいユズリは一度真赤姫に接触してたんだから、その時にあれが付喪神だって気付けよ」
「ほんのちょっと接触したくらいでそんなものわかるわけないじゃない。そもそも、あんたは早々に真赤姫が此岸彼岸を行き来しているって知っていたんだから、その段階で真赤姫が生死どころか魂すら曖昧な存在だったって気付きなさいよ」
すると折継自身もそれは思っていたのか、気まずそうに顔を歪めながらも話を逸らした。
「まぁあれだよな。真赤姫が此岸と町とを行き来できたのは生まれたての付喪神っていう曖昧な存在だったからこそなんだろうな。本人には此岸とこの境界の町の区別なんてついてなかったかもしれないし。曖昧とは言え、死んではないから冥府まで迷い込むことはなかったみたいだが」
「いっそ冥府まで行っていればお偉方がもっと早くに動いてここまで被害が広がることもなかった気がするけどね」
「それは確かに」
折継は息を吐きながら答えた。
それからほんの少しの沈黙の後、ユズリは折継を見ないままに気にかかっていたことを口にした。
「これからあの二人はどうなると思う?」
「遊佐と真赤姫か?」
折継もまたユズリを見ないままに聞き返してきた。
「真赤姫はまぁ極刑だろ。自分が他の連中にしたように魂の滅絶だな。もし極刑を免れたところで無限に地獄で苦しみ続けるか。あれだけしたんだからそれくらいは当然だろうな。……でも遊佐はどうだろうな。付喪神が今の此岸にあっても混乱を招くだけだし、冥府で管理されるかそれとも転生でもさせるのか。いや、特殊な魂だし転生は難しいのか? そう悪くはならないと思うけどな。冥府も一応生死を司る公正な機関を謳ってるわけだし」
「……そうね」
そうあればいい、と思いながらユズリは頷いた。ただでさえこの後味の悪過ぎる結末だ。最後にほんの少しでも救いがあればいい。
「ま、何にしてもせっかく人見知りのユズリが久々に懐いた相手だったのに、もう会えないかもしれないのは残念だな? 泣いていいんだぜ?」
折継はユズリを見ながらにやにやと笑っていた。
からかっているのか、それとも励ましているつもりなのか……まず前者だろうからユズリは強気に言い返した。
「別に懐いてなんかないわよ。それにこんなこと、管理者になればいくらでもあるでしょうよ。だったら未来の管理者たる私がこの程度で残念がったり泣いたりなんてするわけないじゃない」
「へーぇ」
折継は何か言いたそうに嫌らしく笑っている。
その腹立たしい顔に背を向け、ユズリは遠くに見える町の中心、十二階建ての塔に目をやった。
屋上に燃える炎は薄い藍色。
じきに夜が明け、朝が来る。
見慣れた色であるはずなのに、何かが物足りない気がする。
それが何かなどは考えるまでもない。
この一月、朝の訪れを感じる炎を見上げる時は常に人形じみた男が傍らにいたためだ。ほんの一ヶ月程度のはずなのに、それは随分当たり前のものになっていたらしい。
その短い期間を共有した相手へ向け、ユズリは小さく口にした。
「……お疲れ様」
彼の今後が少しは穏やかな物であるように。
徐々に薄くなっていく藍色を眺めながらそう思った。
了
迷い夜行、ようやく完結しました。最初に書いたのは何年前だったっけ? と考えるのも億劫な程度に昔です。まさかこんな数年越しになるとは当初思っても見なかったという……。
ここまで時間がかかってしまったのには私的な時間がなくなったこともありますが、この紅牢夢の後半にはパソコンの調子が悪くなったこともありますますもって更新速度が遅くなったことも大きいです。にも関わずこうして完結までお付き合いいただいた方には全力でお礼申し上げます。
暗く重たく、読後感よろしいかと言われれば笑って誤魔化すしかないような話ではありますが、ここまで読んでいただけて本当にありがたいことです。
この迷い夜行の世界は意外と気に入っていまして今後もこの世界の話は何かしら書いていけたらなと思っています。その際にはまたお付き合いいただけましたら幸せです。
それでは本当に時間をかけてしまいましたが、迷い夜行にお付き合い頂きまして本当にありがとうございました。
初瀬泉