泡沫ビト 4
地面にうつ伏せる形となった真赤姫の背を両膝で押さえ込む。その間も両手の拘束は解かない。少なくともユズリはそのつもりだった。
予想を遥かに上回る強力によって、両腕の拘束は無理矢理解かれる。
ユズリの手から逃れた真赤姫の両の手首は奇妙な形に歪んでいた。人間だったのなら複雑骨折であることは間違いない角度に曲がった手が、ユズリへと伸ばされる。
「っ!」
攻撃を避けようとしたと言うより、本能的な恐怖から無意識に後ずさったおかげでその手はユズリまで届かない。一瞬恐怖が過った頭を振って、手に力を込め直した。
それでも一度はっきりと感じた恐怖が消え去ることはない。
今にも崩れ落ちそうになりながらも真赤姫はユズリから視線を逸らさない。怨讐に満ちた双眸がまっすぐに向けられている。
怖い。
捩じ伏せたはずの恐怖がより鮮明に蘇ってきた時。
「――ユズリ!」
彼のそんな大きな声を聞いたのは初めてだった。
遊佐は険しい表情で言った。
「もういい、後は俺が始末をつける。だからお前はもうそいつに関わるな」
「……は?」
意味が分からず眉を顰めると遊佐は真赤姫を一瞥した。
「そいつはお前の言う『理解し難い奴』だ。これ以上ここにいたらお前も殺されかねない」
そんなことはわかっている。ユズリだって例外ではない。この町で過剰に痛めつけられれば此岸でも彼岸でも死ぬ。
だから父はユズリにこの件から手を引けと言ったのかもしれない。ユズリはいつだって守られてばかりだ。
ああ、何て癪に障る。
これがあの底意地の悪い父の娘か。
これがこの魑魅魍魎の跋扈する町の未来の管理者か。
「……っふざけるんじゃないわよ!」
ユズリは恐怖を抑えつけ、震える手足に力を込め、己を鼓舞するように声を張り上げた。
「あんたが偉そうに私に指図するんじゃないわ! 私はあんたに協力するって言ったのよ!? それをちょっと自分が危険な目に遭ったからって前言撤回して一人で逃げ出すような腰抜けになれって言うの!?」
両手でしっかりと太刀を握って構え直し、地を這うようにしながらも激しい憎悪に燃えた目を向けてくる真赤姫を見やる。
「その上、最初に遭った時に一応あんたには助けてもらったことにもなっている。その借りも返さず逃げ出すほど私は腑抜けてはいない」
いくら無理矢理抑えつけても恐怖が消えるわけじゃない。
誰が見たって虚勢を張っているようにしか見えないことくらい、自分だってわかっている。
だが最後まで付き合うと、見届けると決めたのだ。
ほんの一ヶ月。たったそれだけとはいえ縁を持った相手の行く末を。
この実に血生臭く、あまりに救いのない人探しの結末を。
「だから私は最後まで付き合う」
遊佐は何か言いたげにしたが、それを封じるようにユズリは言う。
「だいたいね、いくらあんたが人形だろうと付喪神だろうと、目の前で知り合いがボロ雑巾みたいにされる様なんて見たくもないのよ! だから今度は私があんたを守ってあげる! それで貸し借りなしよ!」