泡沫ビト 3
「違う! 貴方は嘘ばかり! 御方様は貴方のことだってとても大事にして下さったのに……この恩知らずがっ!」
途端、真赤姫は烈しい怒りを遊佐へ向けた。
彼女に巻きつく糸がきらきらと煌めく。ぴん、と一層強く糸が張ったのが分かった。千切れると思った時には真っ赤な衣を切り裂き、真赤姫の右腕が振り上げられていた。後を追うようにいくつもの糸が途切れる音が辺りに響いた。
「貴方も結局、御方様に仇なすのね」
身震いするほどに低く重い声が発せられるなり、糸の拘束を逃れた真赤姫は遊佐へと向かって行った。
赤い衣も真っ白な肌も、あちこち糸によって無残に切り裂かれている。雪のように白く滑らかな頬にはひび割れたような形の亀裂が入っている。
やはり彼女も人形なのだと思い知る。
「付喪神ってのは器が壊れたらどうなるんだろうな」
折継のそんな呟きが聞こえた。
それと同時に折継は手にしていた脇差を真赤姫に向けて投擲した。真似する気も起きない乱暴な扱いにユズリは目を剥く。
脇差はまっすぐに真赤姫へと飛んでいき、そして右肩へと突き刺さった。真赤姫に痛覚があるのかは疑問だが、肩を貫く衝撃にその場に膝を突いた。
「また貴方……」
真赤姫は肩に深々と突き刺さる脇差に手をかけながら折継を睨みつけた。
その鋭い敵意にユズリは改めて太刀を手に真赤姫へと向かった。
「ユズリ、少しの間そいつを足止めしておいてくれ!」
折継の言葉の真意は不明だったがユズリは頷き、己の肩から脇差を引き抜こうとしている真赤姫へと太刀を振り上げた。
だがそれは寸でのところで抜き取られた折継の脇差によって防がれる。
「邪魔をしないで」
真赤姫は酷く忌々しげにユズリを見上げた。
鬼女のようなその姿にぞっとするものを感じながらもユズリは退かない。
「ならあんたもそれ以上他人を傷つけるのをやめなさいよ」
「何故?」
真赤姫は襤褸のようになった赤い打ち掛けを翻し、折継の脇差を捨てて己の錆びた刃の脇差を握る。
「御方様に仇なす者を始末すること、御方様がお喜びになられる赤を散らすこと、一体何が悪いと言うの?」
静かなのに明らかな苛立ちを含んだ声と共に刃がユズリへ向かって突かれる。
まっすぐ心臓へ向かってきたそれを寸でのところで横に避けて交わし、ユズリもまた太刀を振りかぶる。けれどそれは錆びた刃によって防がれる。
刃同士の競り合いとなれば圧倒的に力で劣るユズリの不利だ。ユズリは刃を退いて背後へ跳ぶ。着地して体勢を立て直そうとした瞬間には既に真赤姫の刃がユズリへと向かってきていた。
その太刀筋は滅茶苦茶だ。ほんの少し剣道や居合を学んだものの、ほとんど独学で身につけたも同然のユズリの太刀よりも。
だからこそ次の太刀筋の予測がつき難い。
だがこんな町だ。様々な剣術を見てきた。様々な戦法を見てきた。
それらは決して正統とはいえないような、むしろ邪道と言うべきものが多かった。まして実践。純粋に優劣をつけるような試合ではなく、互いの生死が懸ったようなものだ。勝つために手段を選ばないなど当然。卑劣な戦い方をするような者とて数多く見てきた。
そんな輩を相手にユズリとて生き抜いてきた。
大きな動作で刃を振り上げた真赤姫の懐へと入り込み、目を見張った彼女の鳩尾めがけて太刀の柄を叩きこむ。
何かが砕けるような嫌な音がして、真赤姫の動作が停止する。
人形に人間の急所は有効なのか不安だったが、予想以上に効果を発揮した。真赤姫は一度咳き込み、体をかがめた。
その隙を逃さずユズリは真赤姫の背後へ回り込む。彼女の手から脇差を叩き落とし、その両腕を背につけるように拘束しながら体を地面へと叩きつけた。