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泡沫ビト 1

 当初、その言葉の意味がわからなかった。

 それくらい人形は『遊佐』として確立されていた。

 だがシノの言葉は奇妙に遊佐の精神を揺さぶった。

 自分は人間だ。

 遊佐家の長男として生まれ、幼い頃から病弱で部屋にこもりがちで、あまり学校に通うことすらできなかった。だから子供の頃は友達らしい友達もほとんどできなくて、祖母のくれた人形が唯一の遊び相手だった。

 自分によく似ているとくれた人形。

 けれど遊佐の記憶に、人形の姿はない。

 人形を抱き上げようとする自分の姿ははっきりと思い出せるのに、抱き上げようとしたはずの人形の姿を思い出すことができない。

 枕元に置かれた水差しと薬。

 布団の上に横たわる自分。

 見舞いに来てくれる家族。

 祖母に借りた本を読む自分。

 そんな光景はいくらでも思い出せるのに、何故ずっと側に在ったはずの人形の姿を思い出せない。

 自分によく似ていると祖母に言われた人形の顔はどんなだった。

 その形は、重さは、感触は一体どんなものだった。

「……俺は」

 思い出そうとすると酷い頭痛が遊佐を襲った。

 そんな遊佐を見て、シノは悲しげに顔を歪めた。

「君は自分を忘れてしまっているのかい?」

 目の前にいるはずのシノの声が随分遠くに感じられた。

「私を含め、この町の誰も気付けないほど人間に近くなっていたくらいだ。自覚がないのではないかとも思ってはいたが……」

 人間に近い……それでは自分は人間に近いだけの何か。人間じゃない何かのようではないか。

 シノは静かな声で言う。

「折継君から君の素性を聞いて調べたんだ。遊佐家の長男は既に死んでいる。君と初めてこの町で会った日の晩、正確には日付は変更していたから前夜になるがね」

 死んでいる。

 遊佐がこの町に来た時には既に遊佐家の長男は死んでいた。

 何か、とても大事な何かを思い出しそうで思い出せない。

 混乱する思考に赤が過る。

 赤い女が、赤を撒き散らしていった。

 自分もその赤に染まった。

 それを、見ていた。

 ――何故だ。何故自分を見ることが出来た。

 何故こうもう鮮明に、赤く染まり絶命した自分の姿を思い出すことができる。

 倒れた自分の姿を見るなど、どうすればできるというのだ。

「そうだ、死んでいた……赤い女が、殺したから……」

 朦朧とする意識の中で吐き出した言葉にシノが頷く。

「ああ。遊佐家の長男、遊佐(とおる)は殺されたんだ。そして当人は今、冥府にいる。だから君が遊佐家の長男であるはずがないんだ」

 遊佐徹は死んだ。

 真っ赤に染まって死んでしまった。

 そうだ。遊佐家の長男の名前は徹。

 それは、自分の名前じゃない――。

 そして遊佐は、人形としての己を取り戻す。

 まるで夢から覚めた後のように。

 つい先程まで信じていた自分が他人となり、人間と振る舞っていた自分が人形だという事実に戸惑い混乱し、自分の中で折り合いをつけるのにはしばらくかかったが受け入れた。

 思い出した現実を思えば、無理やりにでも受け入れ、早急にこの町まで来た目的を果たさねばならなかった。

 そして、それはようやく叶った。

 遊佐が己を忘れていた間にも血を降らせ続けた片割れは、今彼の目の前にいる。


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