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そして始まりの晩へ 5

「ふむ。君はこの町で本名を名乗るべきではないと知っているようだね」

 シノは駒を並べる手を止めることなく、けれど面白そうに言った。

「珍しいな。最近はこの町の話を知っている人は少ないのに」

「……祖母から、聞いたので」

 主は智恵子を何と呼んでいただろうかと考えながら答える。だが智恵子は主にとっては祖母。こう答えて間違いではないはずだ。

「そうかい。ではおばあさんに感謝をしなくてはならないね。うっかり君が本名を名乗っていたら今頃君は私か、そうでなければその辺の耳聡い連中に名を握られてしまったかもしれない」

 名を握るという意味はわからないがとりあえず人形は、今この場では『遊佐』は頷いておいた。

 傍から見ていただけだった将棋は意外に戸惑うことなく指すことができた。駒を進める度、ぼんやりとしていた思考が少しずつ冴え冴えとしていき、(おぼろ)なものでしかなかった五感が明確なものとなっていく。

 とりとめもない会話を交わしながら互いの駒を取り、取られ、やがてシノが腕を組んで長考状態に入ってしばらく。

「ちょっと」

 不機嫌な若い女の声が二人の間に割って入った。

 遊佐が顔を上げると丁度遊佐とシノとの間に小柄な少女が立っていた。

 遊佐も見慣れた現代日本でなら珍しくも何ともない洋装に長い黒髪。大きな気の強そうな瞳でシノを睨みつけ、右手に持った赤い吹き戻しでシノの肩に叩きつけていた。

「私ずっと探してたのに、何こんなところで将棋なんかやってるの」

 十代半ばか後半、それくらいの少女は不満を隠そうともせずにシノへ問い掛ける。

 だが対するシノはあくまでも穏やかな声を上げた。

「おや、ユズリ」

 そしてわざとらしく眉を下げてユズリと呼んだ少女を見る。

「お前、真剣勝負の最中に何をするんだ? その上いきなり肩を叩くなんて礼儀知らずな真似はよしなさい」

「うるさいなぁ。ずっと探してたのに見つからないのが悪いんじゃん」

 ユズリが顔を背けると、シノは呆れたような顔をした。

「まったく……お父さんに手を上げるなんてそんな悪い子に育てた覚えはないぞ」

「奇遇だね。私もお父さんに子育てされた記憶は殆どない」

 ユズリは胸を張り、きっぱりと言い切る。

 会話を拾い聞いた限り恐らくこの二人は親子なのだろうが、生死の境の町の管理者、他の町の連中から畏敬とも畏怖ともつかない視線を送られる男に対し随分と忌憚のない態度だ。

 そんなことを考えていた遊佐を見てシノは苦笑する。

「ああ、すまないね。うちの娘なんだよ。どうにもこうにも躾がなっていなくてお恥ずかしいが」

「恥ずかしいって何よ。失礼な」

 ユズリは不服そうに言い、それからシノと親子らしい遣り取りをし始め、気付けば彼女も遊佐たちの隣に置かれた縁台に座っていた。そして親爺にかき氷を注文し、運ばれてくるなり満足げに笑った。シノはどこかうんざりとした風だったが。

 そんな二人を眺めていると、ユズリは遊佐を見て唐突に口を開いた。

「名前は?」

 自分の名前を聞かれたのだと認識するのに少しの時間を要したが、遊佐は答える。

 はっきりと迷いなく、ユズリの目を見て。

「遊佐」


 そして人形は自らを主の姓・遊佐と呼んだことにより主と自らを混同し始めていく。

 本人にすら自覚なく人形は遊佐家の病弱な長男と己との境界を失いつつあった。

 皮肉にも管理者とその娘と出会い、そして自らを主の姓で名乗ったことにより、不安定な魂は己が人形だということすら忘れ、ずっと共に在った主の記憶が己の物だと思い違えて行く。

 こうして人形は『遊佐』となった。

 この夜だけの町で出会った人々に対し己を人間として振る舞ったことも、少なくともその時の遊佐にとって、それは嘘ではなかった。

 彼自身、自分が人間だと信じて疑っていなかったのだから。

 けれどその幻想は人形が遊佐と名乗った最初の人間、シノによって呆気なく終わらされた。

 辻斬り真赤姫の情報を得るために向かった八卦院の店にいたシノに連れ出された先で、シノは前置きなどすることなく、あの人の好さそうな笑顔を崩すことなく、単刀直入に尋ねるというよりも確認するようにこう言った。

「君は人ではなかったんだね」


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