そして始まりの晩へ 2
随分昔、まだ人形が対となる娘人形と共に智恵子のもとに在った頃。まだ子供のなかった智恵子は、子供相手にするように人形達に話を聞かせた。幼い頃に聞いたおとぎ話。智恵子もまた祖父母から聞いた昔話。そんな中に、ひとつ奇妙な話があった。
人は死後、三途の川を渡ってあの世へ行く。だがその三途の川の中州には集落があるのだという。そこにいるのは既に死した人間、まだ生きている人間、生死の境にある人間、様々な人間がいる。その上、この世のものではない妖怪の類も存在するのだと。
生死の境である三途の川。その中州の集落はあらゆるものの境界に存在するため、あらゆるものが集まる。そこは縁日のようにいつだって賑やかな場所だ。物珍しい、面白いものもたくさんあるだろう。
けれどもし橋を渡り、その集落へ辿りつくことがあっても決して名前を名乗ってはいけない。名前は魂を繋ぎとめるもの。見知らぬ誰かに名前を知られたらとても恐ろしい目に遭うから。
楽しげな表面上に惑われてはいけない。隙を見せたら悪いモノに連れていかれてしまうから。
迷ってはいけない。迷ってしまえば、もう二度とこの世にもあの世へも行けず、静かな死を迎えることすらできなくなってしまうから。
――けれど少しだけ行ってみたい気もするの。見たこともない不思議で溢れているのだって、ひいおばあ様が仰っていたから。
智恵子はそう言って、子供のように笑った。
もしやここが、智恵子の話していた三途の川の中州とやらなのか。
背後を振り返ると、人形が渡って来た橋の下には水が流れている。ただし人形が渡って来た橋の下に流れていた川とは比べ物にならないほどに幅が広く、闇が濃いせいもあり対岸が見えないほどに大きな川だ。
人形の周囲をふわりふわりと青と赤の鬼火が舞う。
鬼火という存在自体は主が読んでいた絵本か何かで知っていたが、そう言えばそんなものは現実にはないのだということも後に主が言っていた。
現実にないものが在る場所。
人形の視線の先にはやはり主が読んでいた絵本に載っていた、頭に角が生えた鬼が着物を着て歩いている。さらに視線を巡らせれば頭が鳥、四肢は人間と変わらないような者や、三本の尾が生えた犬のような生き物もいる。
――人もそうでないものも集まる、あらゆるものの境界。
やはりここがそうなのか。だから自分のように、今や人間でも人形でもない曖昧なモノもここにいるのかもしれない。
半ば確信めいてそう思い、人形はかつての智恵子の話の断片的な記憶を辿る。
中州の集落には様々な魂が集まる。法もなく統治者もなく荒れ果てたその集落には、死を司る冥府から選ばれた魂が派遣され、集落を管理するようになっていった。だからもし迷い込んでしまったら、管理する者に会うといい。生死の境を管理する者なら必ず正しい居場所を示してくれるだろう、と。
確かそのようなことを言っていた。この話がどこまで正確かはわからないが、今はそれだけが頼りだ。
人形は一人頷き、できるだけ賑やかな通りへと進んだ。