彼らの視点 6
主に似合うと褒められた赤で、真っ白な手は染まっていた。
主の仕立ててくれた赤い衣もべたついた赤を浴びていたが、同じ赤だから構うまい。むしろ赤が好きな主は喜んでくれるかもしれない。そう思うと紅子の口元は自然と緩む。
右手に持った赤い束巻きの脇差も、本来は白銀に輝く刃までが赤く染まっている。主の大切な赤い道具をより一層赤に染めて、紅子は主である智恵子の自室に座していた。
お優しい主を煩わせる人間達はもう動かない。口煩く喚くこと、主に乱暴を働くこともない。ただ主の好きな赤に染まってあちこちに転がっているだけだ。
主を煩わせるだけの人間でも、最期に主の好きな色に染まって主を喜ばせて差し上げればいい。
紅子の横には主へと刃を向けた不遜な次男が転がっている。全身を真っ赤に染めて、無様に仰向いている。だが紅子はまるでその存在に気付かないかのように、ただ目の前に倒れている智恵子へと声をかける。
「御方様。もう起きて頂いても大丈夫です。御方様を害しようとする者は全て私が取り除きました」
けれど智恵子は動かない。
堅く目を閉じたまま、頬を涙で濡らしたまま動かない。
「御方様、御方様」
そっとその体を揺するが、智恵子は目を開いてはくれない。
体から赤を流しながら、智恵子は起きてはくれない。
紅子の名前を呼んではくれない。
ああ、そうか。
主は嘆き悲しみ疲れてしまったのだ。
いつも己の腹を痛めて産んだ子供達や周囲の人間達に煩わされ、挙句に先程はとうとう刃まで向けられた。
繊細な主の心はどれだけ傷ついただろう。
だから眠ったまま、目覚めないでいるのだろう。
その心を癒すため、深い眠りについているのだろう。
紅子は音もなく立ち上がった。
ならば主の心を癒すため、もっともっとたくさんの赤を探そう。
そうすればきっと主の心も癒される。
きっとたくさんの赤を目にするため、目を覚まして下さる。
「待っていて下さいませ、御方様。紅子が御方様のお好きな赤を、たくさんたくさん見つけて参ります」
そして紅子は智恵子の部屋を後にした。
もっともっと赤を。
足音もなく、その気配すらなく、紅子は彷徨い歩き出した。
同じ土と木から、同じ人間の手によってつくられた一対の人形。
だからだろうか。別個のはずの彼女の存在をこれほどはっきりと感じるのは。彼女の意識がぼんやりと伝わってくるのは。
人形は己の足下に横たわった同じ顔の彼を見下ろしている。
まるでただ眠っているだけのようだが、そうでないことを人形は知っている。左胸から血を流し、生来白い肌は血の気がなく、色を失っている。幼少の頃から自分を側に置いてくれた主が目を開けることはもう二度とない。
そう思うと酷い空虚が襲う。
主の死に直面し、人形には今までになくはっきりとした自我が生じた。その自我に従う体を得た。
主が死んだ今、そんなものを得て何になると言うのか。そもそも本来ただの土と木の塊でしかない自分が人形の領分を越えて、一体どうしようというのか。
人形の対となる娘人形は、自分よりも先に人のように動く体を得て、そして主と主の血縁者達を殺した。
ぼんやりと今も流れ込んでくる彼女の意識。彼女は己の主、人形にとっては前の主である智恵子の死を理解していない。今もまだ生きている、眠っているだけと思っている。
智恵子のためと、遊佐家の人間達を殺した。
殺して智恵子の愛する赤に染めた。
そしてこうしている今も、智恵子のためと赤を求め彷徨っている。
――止めなければ。
人形の領分を越え、人形でない何かとなり彷徨う彼女を止めなければ。
主の仇を討つだとか、これ以上犠牲者を出さないためにとか、そんなことを思っていたわけではない。ただそれが彼女の対として生まれた自分の義務だと、そう思った。
人形は冷たくなって横たわる主に一礼し、彼女の後を追い始めた。まだ幻のように形の定まらぬ体で、人世へと踏み出した。
遊佐智恵子、長男夫妻、長男夫妻の二子、次男、三男夫妻、遊佐家総勢八名が死に、事実上遊佐家が終わった晩のことだった。