彼らの視点 2
「紅子には本当に赤が似合うわ」
そう言って智恵子は紅子にたくさんの赤い着物や小物をあつらえた。
まだ遊佐家に嫁いで間もない頃から、老いて子供達が独立してもずっと彼女は紅子を慈しんだ。内向的で家にこもりがちな智恵子の唯一と言っていい楽しみは赤の似合う美しい娘人形、紅子を着飾ることだったのだ。
偏執的といっても良いほどその娘人形に情を注ぐ智恵子に夫や息子達は呆れ、厭ってすらいたが、智恵子は紅子をまるで我が子も同然に扱った。遊佐家に嫁いでから数十年、変わることなく。
智恵子の与えてくれるたくさんの赤。自分に注がれる優しい視線、言葉。
紅子の中で智恵子への敬愛、忠誠心、そんな想いがより濃く色づいていく。
病弱な孫息子に与えられた人形もまた、そんな紅子に呼応するかのように自我を、意識を持ち始める。病弱な長男のそばで友人として過ごしながらぼんやりと己という存在を感じ始めた。
本来ならそれで終わるはずだった。
薄らと自我を持ちながらも、所詮は口を利くことも手足を動かすことも出来ぬ人形でしかないはずだった。
あの日、遊佐家が赤く染まる晩まではそんなことなど決してあり得るはずもなかった。
「なぁ母さん、頼むよ」
夜も更け始めた頃、遊び歩いた先で有り金を使い果たして帰った次男はそのまま智恵子の部屋を訪ね、猫撫で声で何とか母を懐柔しようとしていた。
当の智恵子は何度も金の無心にやってくる次男には既に愛想を尽かしており、息子のほうを向くことすらせず紅子のために新たに誂えた打ち掛けを着せていた。
次男は舌打ちしそうになったのを何とか堪え、貼りつけたような笑顔で尚も母に語りかける。
「今みたいにああも四六時中風体の悪い連中に追い回されちゃ、俺は仕事を探すこともできないんだよ。この借金さえ返したら今度こそ俺はまっとうに生きようと思っているんだ。だから頼むよ」
室内の灯りは薄暗く、障子の向こうから差す月光の存在をはっきりと感じられる。
その薄明かりの下には年齢にそぐわない鮮やかな赤い和服をまとう智恵子と、彼女の愛玩する娘人形。そしてあちこちを飾る様々な赤い道具。
昔から次男はこの部屋が嫌いだった。母と折り合いがよくなかったせいもあるが、赤という色が本能的に好きになれなかったからかもしれない。それなのにこの部屋は赤で溢れかえっている。
縮緬で作られた赤い椿。衣紋掛けに吊るされた赤い晴れ着。朱塗りの重箱に屠蘇器。古びた赤楽茶碗。鞘も柄も赤い日本刀。
父や他の兄弟達すら理解できないほど偏執的に赤を愛する母が集めた道具で溢れている。
嫁に来る以前から持っていたものも少なくないと言うからどの道具もそれなりに年季が入っている。骨董というには新しく、中古品というにも古いような物ばかりだ。それでも売れば少しは金になるか。そんなことを考えながら、尚も次男は出来るだけ聞こえのよい言葉を吐き続ける。
「俺だって本当はこんな生活はもうやめたいんだ。この年になるまで死んだ親父や母さんにも心配をかけ通しで申し訳ないんだ。これからは心を入れ替えて親孝行をしたいんだよ」
智恵子は次男に背を向けたまま、静かに声を発した。
「……そんな言葉は聞き飽きました」