夢のユメ 4
遠慮も躊躇もない、此岸でなら考えられない速度でのことだったが、真赤姫はひらりと軽やかな動きで体を横へと逸らした。
それを視界に捉え、折継は舌打ちしたが勢いのついた脇差はそのまま地面に向かう。勢いのまま脇差は真赤姫の赤い打ち掛けの裾を巻き込んで地面へと深く突き刺さった。
絹を裂く音と地面を抉る音。
「随分素早いじゃねぇか。そんな重そうな服で……」
憎々しげに真赤姫を見遣った折継の目が大きく見開かれた。
「何だ、お前。その顔……遊佐?」
ユズリよりよくあの顔を知っているらしい折継が見ても遊佐と真赤姫の顔は似ているらしい。
だが虚を突かれたような顔をした折継が一瞬怯んだ。
小さく息を呑んだ先には人形のように整った顔に憤怒の表情を浮かべた真赤姫。目を見開き唇を震わせ、どこか虚ろだった双眸は火のような怒りを宿し、折継を睥睨する。
それはまさに鬼女の如き様相だった。
「よくも……」
震える唇が強い怒りを孕んだ声を発する。
真っ白い手が伸び、自らの打ち掛けを貫いた脇差の刃を握り締めた。皮膚が裂ける音が聞こえたと思うより先、勢いよく折継が真横に飛んだ。否、飛ばされた。
「折継っ!」
自身の突き刺した脇差ごと、折継は真赤姫によって放り投げられた。華奢な体のどこにそんな力があるのかと疑いたくなるような剛力で、まるで小枝か何かのように折継を片手で投げ飛ばしたのだ。
数メートル程飛ばされた折継は大木の幹に勢いよくぶつかり、根元に崩れ落ちた。
「許さない。よくもあの方の下さった着物に……」
幽鬼のように立ち上がった真赤姫の目は憎悪に燃え、まっすぐに折継を見据えている。
「許さない、許さない……!」
錆びて刃毀れのした脇差を片手に、呪詛の言葉のようにそう繰り返しながらふらふらと歩き始めた。刃を直接握ったはずなのにやはり彼女の手からは血など流れていない。全身に返り血を浴びているのに、彼女自身からは一滴の血も流れていない。
いくら生者でも死者でもなくとも、魂が傷を負えば此岸同様血を流す。少なくともユズリが見てきた人間達、あるいは人間だった者達は皆そうだった。なのに真赤姫は血を流さない。血がないのではないのかと疑いたくなるほどに。生者でも死者でもないどころか、これでは本当に化け物ではないか。
真赤姫は覚束ない足取りで歩いて行く。その先にいるのは先程大木に叩きつけられた折継だ。意識はあるらしいが座り込んだまま咳き込んでいる。あれだけの勢いで激突すればいくら彼でも無傷ではいられないだろう。
ユズリは太刀を構え、真赤姫の前に立ち塞がった。
真赤姫は不快げに眉根を寄せた。
「何のつもり?」
こうして対峙すると真赤姫は小柄なユズリと同じ程度の背丈しかなかった。これだけ小柄で華奢な体であれだけの怪力を発揮する相手など今まで見たこともない。
「真赤姫。冥府からあんたの捕縛令が出ている。情状酌量の余地はないだろうけど、一応自首を勧めるわ」
「自首?」
真赤姫は不可解な表情で首を傾げる。
「何を言っているの? 貴女の言っていることはよくわからないわ」
そして真赤姫の腕が、脇差が振り上げられる。
やがて振り下ろされるであろう刃を太刀で防ごうとした時、まるで螺子が切れた人形のように真赤姫のあらゆる動きが停止した。
脇差を振り上げたまま、真赤姫はユズリではないどこかを見ていた。その顔に驚愕の表情を浮かべ、細道のほうを見ていた。
「何故……?」